テラーノベル
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「……奈緒さん、お待たせ! 引越し、終わったわよ」
旅行から戻った翌週
我が家のインターホンを鳴らしたのは、大きな段ボールを抱えて満面の笑みを浮かべる里奈だった。
彼女が指差したのは、我が家の真向かいにあるアパートの一室。
「……里奈、お前……本当に引っ越してきたのか……?」
リビングで、私の靴を磨いていた健一が、窓の外を見て絶望の声を上げた。
「当たり前じゃない。月々の『返済』、遅れたらすぐに取り立てに行けるようにね。これからは24時間監視体制よ。ね、奈緒さん?」
「ええ。心強いわ。これで私が留守の時も、彼がサボらないか見張ってもらえるもの」
私は里奈を部屋に招き入れ、彼女のために用意した紅茶を淹れた。
健一は、かつて自分が愛した女と、自分が蔑んだ妻が
楽しげに自分の「管理方法」を相談している光景を、ただ震えながら見ているしかなかった。
「そうだ、奈緒さん。健一のスマホ、私の端末と『位置情報共有』に設定しておいたから。一歩でもエリアから出たら、私のスマホに通知が来るわ」
「あら、名案ね。ついでにこの『スマート首輪』も試してみる?」
私が取り出したのは、スマホと連動してバイブレーションや電子音が鳴る、最新の見守りデバイス。
健一の首にそれをかけると、彼はもはや
自分が人間であることさえ忘れたような、空虚な目を向けた。
「……健一さん、どうしたの? 昔は『刺激が欲しい』って言っていたじゃない。これ以上の刺激なんて、他にないでしょう?」
「……ああ……あ、あ……」
健一の口から漏れるのは、もはや言葉にならない呻き声だけだった。
◆◇◆◇
その日の午後
里奈は向かいのベランダから、健一が洗濯物を干す様子を双眼鏡で眺め
少しでも皺が寄っていればスマホで罵倒のメッセージを送る。
私は家の中で、彼が作った料理に一口もつけず、「味が薄いわ。やり直し」とゴミ箱に捨てる。
逃げ場のない二重の檻。
健一は、向かいの里奈からの通知と
目の前の私からの叱責の間に挟まれ、精神の糸がブツブツと音を立てて切れていくのを感じていた。
「……ねえ、健一さん。そんなに辛そうな顔をしないで」
私は彼の耳元で、ナオミの声を使って囁いた。
「あなたが欲しがったのは、これでしょう? 私たちがあなたを奪い合う、特別な愛……。ほら、里奈さんが呼んでいるわよ。ベランダに出て、彼女に向かって土下座してきなさい」
健一は、壊れた機械のようにベランダへ向かった。
白昼堂々、アパートの二階から彼を見下ろす里奈に向かって、エプロン姿で膝をつく。
通りかかった近所の人々が、異様な光景に目を背けて通り過ぎる。
健一は、自分が「社会的な風景」の一部として、最底辺の汚物として定着していくのを感じていた。
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#大人ロマンス
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