TellerNovel

テラーノベル

アプリでサクサク楽しめる

テラーノベル(Teller Novel)

タイトル、作家名、タグで検索

ストーリーを書く

シェアするシェアする
報告する

 灰色の雲が覆いかぶさろうと、王国の活気は色褪せない。

 新たな一日の始まりだ。

 晴天ではないものの、大通りは普段通りに賑わっている。

 道を埋め尽くすほどの通行人達。その足並みは不揃いながも、水が流れるように乱れることなく進んでいる。


(久しぶりに天気悪いな。僕は構わないけど、アゲハさんのことを考えると……)


 ボロ雑巾のように痛んだ長袖のカーディガン。色はすっかり抜けており、薄緑色はかつての名残でしかない。

 黒いズボンもあちこちが痛んでいる。それでも履き続ける理由は、これしかないからだ。

 少年の名前はエウィン。十八歳の若者ながらも傭兵として生計を立てている。

 今日も魔物狩りで金を稼ぐつもりだ。

 しかし、ここ最近はイレギュラーなスケジュールを組んでいる。


(雨が降ったら切り上げた方がいいのかな? 午前だけだし、その時の体調を加味しつつ要相談って感じでいいか)


 アゲハの試験合格が、丁度一週間前。

 以降、二人は一日の半分を、つまりは午前中を鍛錬の時間と定め、マリアーヌ段丘に通い続けた。

 草原ウサギを探す。

 捕まえる。

 燃やす。

 このサイクルを淡々と繰り返す。一見すると無意味な殺傷に思えるも、そうではない。

 魔物を殺すと、人間は強くなれる。

 理由は未解明ながらも、この仕組みは紛れもない事実だ。

 アゲハはロールプレイングゲームを連想するも、その認識でおおよそ正しい。

 魔物を倒してもファンファーレは鳴らないが、彼女の身体能力が徐々に高まっていることからも、この手法が正しいと証明された。


(お昼食べたら、依頼やりたいのにな。あぁ、アゲハさんもそろそろウサギ狩りは卒業してもいいのかも? 少しは走れるようになったんだし。おっぱい揺らしながらだけど……)


 その光景はあまりにも蠱惑的だ。

 彼女が足を踏み出す度に、大きな水風船が柔らかそうに弾む。

 男として、見過ごすことは失礼極まりない。そういった建前を口実に、十八歳の若者はチラリチラリと盗み見てしまう。

 申し訳ないという気持ちはあるものの、異性と付き合ったことがない以上、本能に抗う術を身に着けていなかった。


(到着っと。パンとおにぎりを毎朝届けるってのも傭兵らしからぬ感じはするけど、こうなっちゃったんだから受け入れるしかないしね。アゲハさん的には養われてる感があってむず痒いんだろうな。だったら事前にお金渡しちゃう? こういったところも話し合って考えよう)


 スラッシェ通りを南下すること約十分。事前に立ち寄ったギルド会館にて、朝食は購入済みだ。それらを背負い鞄に忍ばせながら、目的地にたどり着く。

 四階建ての大きな建物は宿泊施設だ。看板のベッドマークもそう主張しており、エウィンは慣れた手つきで引き戸をスライドさせる。

 受付の店員とも、もはや顔なじみだ。視線が交わった際に軽く会釈するだけで、訪問の理由を察してもらえる。

 無言のまま、先ずは二階へ。階段を上った後は、木材の匂いを吸い込みながら廊下を突き当りまで直進する。

 木製扉と向き合いつつも、儀式のようにノックを三回すれば、向こう側から足音共に聞き慣れた声が近づいてくる。


「はーい……」


 その声を合図に、扉が遠ざかるように開かれる。

 黒髪の女性が恐る恐る顔をのぞかせれば、二人の視線は当然交わった。


「おはようございます」

「お、おはよう、ございます」


 上目使いの彼女はアゲハ。人前では挙動不審ながらも、この少年の前ならばいくらか落ち着ける。

 アゲハは猫背のまま少年を招き入れ、エウィンも背負い鞄を肩にかけながら我が物顔で立ち入る。

 この部屋は個室ゆえ、決して広くはない。

 設置されている家具もベッドを筆頭に数える程度だ。

 鞄から取り出したおにぎりやパンを丸テーブルに並べながら、少年はいつも通りの提案を投げかける。


「朝ご飯食べましょう」

「う、うん……」


 現在の時刻は八時過ぎ。二人は当然のように空腹だ。

 今朝の献立は、海苔すら巻かれていない素おにぎりと、柔らかそうで少し硬いライ麦ロールパン。いつも通りの品目ながらも、腹は十分に膨らむため、どちらも文句は言わない。

 室内に椅子は一つしかないことから、行儀が悪いと承知しながらも、エウィンは立ったまま真っ白なおにぎりを頬張る。


「アゲハさんの調子も良さそうですし、そろそろ遠征を考えてもいい頃合いかもしれませんね」


 米と塩の味しかしないものの、得られる満足感は格別だ。米自体が美味いのだから、必然と言えば必然なのかもしれないが、指に残った一粒さえもついばんでしまう。

 木窓から二階の風景を眺めながら、口の中が空っぽになったタイミングで提案したのだが、どういうわけかアゲハを硬直させてしまう。手にはロールパンを掴んでおり、それを口に運ぶ直前だった。


「遠征?」

「はい。アダラマ森林にするか、ルルーブ森林か。どっちも森なので変わり映えはしませんけど、魔物が違いますし、どっちにするかは依頼次第って感じですね」

「どっちも、遠いの?」

「歩きだと三日程度かかります。そう考えると、近くはないかもですね」


 エウィンの言う通りだ。

 マリアーヌ段丘の向こう側は、距離にしておおよそ百キロメートルは離れている。傭兵にとっては近場なのだが、ただの日本人には十分過ぎるほど遠い。

 この少年の身体能力は、既にオリンピックの出場者以上だ。

 プロの格闘家に殴られたところで痛くも痒くもない。

 レース用自転車にまたいだ競輪選手にすら、スピードで勝っている。

 しかし、アゲハはまだまだ凡人だ。体力はいくらか向上したものの、マラソン選手のようには走れない。


「わたし、大丈夫、かな?」

「いざとなったら僕がおんぶしますのでご安心を。あ、抱っこの方が良いのかな? それとも肩車? リクエストあれば従いますけど……」

「え? いや、その、おんぶで……」


 エウィンは不安を払拭するように提案するも、結果的に彼女の頬を赤らめさせる。

 普通の人間ならば、大人を背負って長距離を走ることなど不可能だ。短距離なら可能だろうが、何十キロメートル、何百キロメートルを走破する十八歳などいるはずもない。

 しかし、この少年なら可能だ。

 付け加えるなら、傭兵の多くが速度差はあるものの実演してみせる。

 魔物を狩るならば、その程度の力量は必要ということだ。

 もっとも、アゲハの場合はそのルールに従わない。

 転生の際に神から授かった、二つのボーナス。

 白い癒し。

 黒い焼却。

 そのどちらもが即戦力だ。

 道中はエウィンに頼るという方針は、実際のところ悪くはない。


「僕もあんまり遠くまでは行ったことがないので手探りにはなっちゃいますが……。一緒にがんばりましょう」

「うん」

「いやはや、怪我しても問題ないって、それだけでも本当に心強いです。僕も回復魔法が使えたらなぁ……。と言うか、僕の戦闘系統って何なんだろう?」


 戦闘系統を知ることは、傭兵にとって非常に重要だ。これを把握することが最初の一歩を言っても過言ではない。

 なぜなら、戦闘系統こそが戦い方や立ち振る舞いを左右してしまう。


「魔法を使える人だったり、武器の扱いが上手い人、のことだっけ?」

「そんな感じです。正確にはもっと細かな分類に分かれてて、攻撃魔法を習得する魔攻系、回復魔法の魔療系、近接戦を得意とする強化系、味方の盾になる守護系みたいな。全部で十一種類あって、僕達は必ずどれかに分類されます。あ、アゲハさんは違う世界の人なので、当てはまらないのかも? 攻撃魔法と回復魔法を使える時点で、魔攻系と魔療系のいいとこどりですし。うらやましい」


 戦技ないし魔法を習得する際、その順番は戦闘系統によって定められている。

 強化系の一つ目が、腕力向上。

 魔攻系ならフレイム。

 ゆえに、何か一つでも会得出来たのなら、戦闘系統の把握は完了だ。

 同時に、今後の方針も定まってくれる。

 回復魔法の使い手ならば、杖を購入して味方のサポートに徹すれば良い。

 近接戦闘に特化した戦技を習得する予定ならば、肉体の強化が最優先だ。


(僕も早く知りたいな。理想は魔療系だったけど、アゲハさんがいてくれるから回復魔法にこだわる必要はなくなったし。となると、戦技をバリバリ使って魔物を翻弄するってのもかっこいい気がする。あぁ、アゲハさんを守るって意味では守護系や魔防系も捨てがたいか。楽しみだな。うん、今日もこのパン美味しい)


 妄想が捗ってしまう。大金を握りしめ、武器屋を訪れた傭兵のような心境だ。

 残念ながら己の意思で戦闘系統を選ぶことは出来ないのだが、未確定なこの状況は自分のことながらも楽しめてしまう。

 素朴な味を噛みしめながら、少年はアゲハから視線を外し窓の外を見下ろす。

 大通りは普段通りの大賑わいだ。祭りが開かれているわけでもなければ、王族のパレードも予定されてはいない。

 それでも数え切れないほどの民が外出している理由は、その多くが出勤なのだろう。

 この二人も間もなく外出する。

 目的地はマリアーヌ段丘。今日も変わらず、草原ウサギを狩る予定だ。

 久しぶりの悪天候が予想されるため、エウィンとしてはいくらか不安になってしまう。雨にうたれたところで風邪をひくわけではないのだが、彼女に関しては心配せずにはいられない。

 アゲハは流行り病に倒れたばかりだ。午前中に降り出すようなら、予定を切り上げても言い訳としては十分だろう。


(今日明日のご飯と宿代は問題ないし、僕も午後はサボっちゃおうかな。アゲハさんと話し込むのもそれはそれで有意義だし……。ん? えっ⁉)


 突然の違和感が、少年の思考を激しく乱す。

 エウィンは取り乱すように窓を開くと、身を乗り出さずにはいられなかった。先ほどまでは大通りの人々を見下ろしていた両眼だが、今は城下町の上空に釘付けだ。


(魔物の反応? いや、あり得ない。ここは王国の中……)


 神経に食い込むような殺気が、現在進行形で上空に滞在している。

 数は一つ。

 高度は不明ながらも、決して低い位置ではないと感知能力が告げている。

 しかし、見当たらない。どれほど凝視しようと、その先は延々と続く灰色の空だけだ。


(いない? でも、確かに感じられる……。見えないだけなんだ。もしくは、もの凄く小さいのか、視認性が悪い? あ、遠ざかって……)


 鳥がどこかへ去るように、レーダーの外へ逃げられてしまった。

 このまま曇り空を眺めていても埒が明かないため、エウィンは窓を閉めると一旦黙り込む。

 その挙動を一部始終を眺めていたアゲハだが、戸惑うように問いかけてしまう。


「ど、どうしたの?」

「あ、その、にわかには信じられないのですが、空から魔物の気配がして……」

「え? そんな、ことって……」

「あり得ないです。だから確認したのに、やっぱり姿は見えなくて。だけど、いなくなる直前まで、確かにそこにいました。最後は西の方に遠ざかって……」


 妄想じみたことを口走っていると、少年も自覚している。

 それでも、その言葉に嘘はない。

 勘違いの可能性も本能的に排除済みだ。

 自分のことながら、この特技についての説明は難しい。それでも、その精度が現状では百パーセントだと自信をもって断言出来る。

 草原ウサギだけでなく、ゴブリンも、ウッドファンガーも、他の魔物に関しても、その位置を気配から逆探知可能だ。

 ゆえに、今回の件に関しても、そこに何かがいたのだと確信をもててしまう。

 しかし、ここはイダンリネア王国の領土内だ。

 人々で賑わう城下町だ。

 上空とは言え、人間のテリトリーに魔物が現れた以上、少年は寒気を感じずにはいられなかった。


「空を飛ぶ魔物って、いるの?」


 アゲハの疑問は至極当然だ。

 彼女が接触した種類は、草原ウサギとゴブリンだけ。知識だけならウッドファンガーを筆頭にエウィンとの雑談で学習済みながらも、鳥のような魔物については一度も話題に挙がらなかった。


「はい。と言いつつ、僕も又聞きレベルの知識ですけど……。有名どころは、洞窟とかに生息しているコウモリとか、お肉が美味しいコカトリス……は空を飛べなかったか。少なくとも、この近隣にはそういう鳥みたいな連中は発見されていません」

「そう、なんだ。なんか、怖いね」

「僕の勘違いだといいんですが……」


 そうでないことは本人が理解している。

 ゆえに考え込んでしまうのだが、思考を巡らせたところで真実にはたどり着けない。その姿を視認出来なかった以上、この話題の落としどころは不明だ。


(魔物の侵入を許したとしたら、ここからは治維隊や王国軍の仕事……でいいのかな? 僕でさえ気づけたんだから、今頃あっちこっちで大騒ぎなんじゃ?)


 治維隊は犯罪を取り締まる組織ゆえ、魔物退治は専門外だ。侵入者が人間の敵ならば、彼らが対策を講じるだろう。

 しかし、魔物が相手の場合、王国軍が立ち向かう。保有戦力は治維隊や傭兵とは桁違いに巨大なため、王国における最大戦力となっている。


「いなくなったようですし、空飛ぶ魔物が渡り鳥のように通過しただけなのかもしれません。今は気にしないで、朝ご飯食べましょう。おにぎり二個目、もーらい」


 素おにぎり、六十イール。非常にリーズナブルな価格設定なことから、エウィンにとっておにぎりとはこれを指す。

 併せて購入したライ麦ロールパンは、一袋に四個入っており、その値段は百十イール。こちらも財布に優しい商品と言えよう。


「魔物って、色々いるんだね」

「かなりの数みたいです。バッタみたいなやつ、ミミズみたいなやつ、トカゲみたいなやつ、あぁ、植物みたいなのもいますね。ウッドファンガーなんか、まんま見た目はキノコですよ。大きさはここくらいまであって、四本足でもそもそ走ります。草原ウサギ卒業したら、次はこいつにチャレンジしましょう」

「が、がんばる……」


 エウィンの言う通り、草原ウサギは入門用の魔物だ。ここで満足せず、頃合いを見計らって次のステップへ進まなければならない。

 傭兵らしく、走力が身についたのなら。

 スタミナが向上したのなら。

 活動範囲を広げることが可能だ。

 その結果、受注出来る依頼の種類も増えるのだから、腕を磨くことは傭兵にとって必須事項だ。


(もし、アゲハさんと会えなかったら、僕は一生、ウサギ狩りを続けてたのかな? いや、病気か怪我でぽっくり死んじゃうか。千イールしか稼げなかったんだし、病院で薬をもらうなんて夢のまた夢……)


 そのような生活を、十年以上続けた。

 この少年の土台はそのような苦行から養われており、だからこそ、誰よりも我慢強い精神を宿すに至った。

 我慢するしかなかった。そう指摘されれば、反論の余地などない。

 貧困街に住む以上、雨風を凌げる以上を望んではならなかった。

 浮浪者とは、そういう階層だからだ。

 這い上がりたいとは思っている。

 少なくとも、三食腹一杯食べたいと望んでいる。

 もちろん、今なら可能だ。アゲハとの邂逅が、実現のための力を授けてくれた。

 正しくは、背中を後押ししてくれた。

 たったそれだけのことながらも、この傭兵は底辺からいっきに駆け上がる。

 経済面では貧困にあえいでいるが、アゲハを養えているのだから収入面が改善されたことは間違いない。

 強くなれた。そう実感しているものの、現在の実力がどの程度なのか、適切なものさしが見当たらないため、自分のことながらも把握出来ていない。

 ゴブリンにすら勝てたのだから、多少の自信はもっている。

 驕っているだけかもしれないが、他者に威張らない限りは誇っても良いはずだ。

 この時のエウィンは、まだ知らない。

 ウルフィエナ。この世界がどれほどの広さなのかを。

 魔物と比べ、人間がいかにちっぽけな存在なのかを。



 ◆



 曇り空であろうと、その地はどこまでも緑色だ。生い茂る草達が大地を覆っており、そうでない部分は土色が露出している。


「日本は一年を通りして、気温がかなり変わるんですよね?」

「うん。季節を、四つに区切ることが出来て、春と秋は、今日みたいに涼しいけど、夏はすっごく暑くて、冬は耳や鼻が、痛くなるくらい、寒いかな」


 エウィンはすっかり日本通だ。所詮は聞き及んだ知識でしかないが、その地はここではない異世界ゆえ、興味は尽きない。


「そりゃすごい。精霊がいるわけでもないのに、何でそんなことが起きるんですか?」

「えっと、その、太陽と地球の位置? 距離? ごめん、なさい。詳しいことは……」

「あぁ、こちらこそ、すみません。と言うか、そちらの世界にも太陽や月があるなんて本当に不思議です。そういうのも世界共通だとしたら、それはそれで大発見なのでは? あ、もしかして、こういう知識を売ることで儲けられないのかな? あぁ、裏付けが出来ないから妄言ってことであしらわれるだけなのか。むぅ、残念……」


 マリアーヌ段丘を歩く二人。魔物が生息する危険地帯にも関わらず、彼らの表情は和やかだ。


「精霊って、魔物?」

「そう……ではあるんですが、ちょっと異質でして。例えば、草原ウサギってちょっと大きなウサギじゃないですか。んで、ウッドファンガーは大きなキノコ。総じて魔物と言うのは、生物っぽい姿をしているのが一般的だったりします。でも、精霊は全然違っていて、火の精霊は火の玉みたいな感じで、風の精霊は、何て表現すればいいのかな? 渦を巻く風? ようは、全然生き物っぽくないんです。さらには、その土地の天候にさえ影響を与える存在でして、気温を上昇させたり、雨を降らせたり、と摩訶不思議な連中なんです」

「すごく、強そう……」

「傭兵の間では、精霊を見かけても手を出すなって語り継がれています。普段は温厚な連中なのに、ちょっかいを出すと見境なく攻撃魔法を連発するようで。しかも、苦労して倒しても得られるものは何も無し。牙や肉があるわけでもなく、力尽きると火が消えるように消滅するらしいです」


 精霊。魔物の一種と考えられているのだが、学者達は研究および調査から、とある結論を導き出した。

 精霊とは現象が具現化した生命であり、他の魔物とは一線を画す、と。

 また、それらは精霊界という別世界から進出しており、その世界についても観測に成功している。

 ウルフィエナの地域が色彩豊かな理由が、精霊の影響だ。

 砂漠。

 草原。

 雪原。

 沼地。

 隣り合っていてもなお、天候や風土が一変する。その地域に生息する精霊が異なるからだ。

 対して、日本が四季を彩る理由は根本から異なる。地球の地軸が傾いていることに由来しており、太陽光が降り注ぐ時間やその角度が変わることから、四季と言う形で天候が変動してしまう。


「この辺りにも、精霊って、現れるの?」

「多分いないっぽいです。少なくとも、僕は見たことないかな? マリアーヌ段丘には草原ウサギだけ、と断言したいのですが、ゴブリンに殺されかけた以上、この話題にはもごもごしてしまいます」


 激痛を伴う思い出だ。

 しかし、この出来事があったからこそ、今のエウィンが実在する。

 美化したいとは思わないが、きっかけであったことは事実だ。そうであると肝に銘じて、今後もアゲハを守り続けるつもりでいる。


「ゴブリン、怖かった、よね」

「はい。問答無用で射られましたからね、ぐさーって。あの容赦のなさは、さすが魔物と言いますか……。まぁ、でも? もう負けませんよ。あ、ゴブリンに勝てるのなら、傭兵として一人前を名乗っても良いとか何とか。それも一重にアゲハさんのおかげです」

「そ、そんなこと、ないよ……」


 お世辞ではなく本音だ。

 そうであろうと、彼女の頬は赤く染まってしまう。

 談笑しながら、二人は草原を南下する。恋人同士のようで、そうではない。保護者と傭兵見習いであり、ピクニック気分ではあるものの、獲物を見つけ次第、その命を奪うつもりだ。

 今日に関しても、周囲にはエウィン達しか見当たらない。

 商人もこの地を縦断するのだが、彼らは比較的安全なルートをたどるため、草原ウサギ目当ての傭兵とすれ違うのは稀だ。

 それゆえの二人っきりだ。

 都合が良かった。それは静かに笑みをこぼす。


「ん? また?」


 この声はエウィンのものだ。無意識の索敵が、敵影をキャッチしてみせた。

 その位置が余りにおかしいことから、少年はしかめっ面を作りながら後方の上空を見上げる。

 当然ながら、灰色の雲が空を覆っているだけだ。遠い位置には王国の壁が確認出来るものの、それ以外は曇り空か草原しか見当たらない。

 隣の少年が驚くように立ち止まったばかりか、振り向きつつも空を見上げていることから、アゲハもワンテンポ遅れて足を止める。


「どうしたの?」

「やっぱり、あっちの方角から魔物の気配がします。もしかして、さっきと同じやつか? だけど、やっぱり姿が見えない」

「う、うん、わたしにも、見えない……」


 案山子の様に棒立ちの二人だが、その目は灰色の雲を凝視中だ。


「尾行されてた? いや、まさか、ありえない。魔物が人間を、僕達をつけ狙うなんて……」


 エウィンとしてもぼやかずにはいられない。

 なぜなら、理解不能な状況だ。

 見えない魔物が、空に滞在している。

 城下町に次いで、マリアーヌ段丘にもそれが出現した。

 同じ個体なのか?

 別種なのか?

 どちらであろうと悪寒を拭えない。

 なぜなら、見られている。

 エウィンは本能的にそう察しており、その感覚は正解を言い当てていた。

 身がすくむような突風が、二人を切り裂くように吹き抜ける。

 何が起きた? アゲハは当然ながら、エウィンさえも理解が追い付かない。今朝のマリアーヌ段丘は無風ではなかったが、このような強風は前代未聞だ。

 異変の理由を、つまりはその正体を、傭兵が先に気づいてみせる。視認せずとも感知出来るのだから、看破するだけなら容易だ。


(後ろに、いる。何かが……、魔物が……)


 恐怖に飲まれながらも、エウィンはゆっくりと振り向く。そこに魔物がいるのだから、背を向け続けることは自殺行為に等しい。

 一瞬の静寂と共に、両者の視線が交錯する。

 わかってはいたのだが、眼前のそれは正真正銘の魔物だ。

 いかに美しい顔立ちであろうと。

 女性的な四肢が細く、美麗であろうと。

 人間とは見間違えない。

 それだけはありえない。

 なぜなら、その体は炎そのものだ。頭部、右腕、左腕、そして両脚は、胴体と見立てた火球から伸びている。

 顔は正真正銘、人間のそれだ。性別さえ判別出来る。

 整った顔立ちは美人なのだろう。鋭い目つきと大きな口さえ、妖艶さを演出する部品に思える。

 その一方で、頭皮から生える髪もまた異常だ。頭髪一本一本がメラメラと燃えており、炎が髪を演じるようにたなびいている。

 部分的に人間の女性であろうと、目の前の化け物は魔物で間違いない。容姿からも、気配からも、エウィンは断言してみせる。

 そして、声を震わせながら問いかける。


「おまえは、何なんだ?」


 現時点でわかっていることがある。

 こいつだ。

 これが上空にいた魔物だ。

 雲に触れられそうな位置に浮いていたはずだが、音もなく、さらには一瞬でここまで移動してみせた。

 にわかには信じがたいスピードだ。

 しかし、気配がそのような軌跡を描いた以上、眼前の何かが自分達を見下ろしていたことは間違いない。

 存在を感知出来ていながらも、大空にその正体を見つけられなかった理由もわかってしまった。

 この姿ではおおよそ不可能だろう。

 首から上および四肢だけが肌色ながらも、その面積は決して大きくはない。

 胴体部分は炎ゆえ、太陽のように眩しければ発見も容易いが、そうでない以上、視認は困難だ。

 人間のような魔物。

 もしくは、人間になりきれなかった何かか?

 エウィンは怯みながらも答え合わせを要求したのだが、残念ながら自己紹介は後回しだ。アゲハが少し遅れて振り返ると、それは嬉しそうに騒ぎ始める。


「マさか、キミの方からワタシを見つけてくれるなんテ。コれじゃまるで道化師じゃないカ。マぁ、実際のところ、ソうなんだけどネ! ファファファファファ!」


 魔物は楽しそうに顔を歪ませる。大きな口をさらに開きながら笑う姿は、魔物と言うよりは狂人のそれだ。


「エウィンさん……」

「こいつは……」


 怯えるアゲハを庇うように、エウィンは一歩を踏み出すも、本当ならばその足を後ろに動かしたかった。

 逃げたい。本能がそう主張しており、それこそが正解なのだろう。

 この魔物は異常だ。

 そもそも魔物かどうかの判別すら難しい。姿かたちも非常識ながら、最たる異質さは人間の言葉を話していることだ。

 魔物は一部を除いてしゃべることが出来ない。

 その一部でさえ、用いる言語はその種族特有のものだ。

 そのはずだが、眼前の何かは彼らと共通の言葉を用いている。


「コんなに楽しい時間はいつ以来かナ? ア、キミの名前は、エウィン、だよネ?」

「な⁉」


 十八年生きてきて初めての経験だ。

 魔物に名前を呼ばれた。

 正しくは、言い当てられてしまった。

 その事実が少年の言葉を詰まらせるも、それは嬉しそうに言葉を紡ぐ。


「探していたのはワタシ。先に見つけたのはキミ。アぁ、運命さえ感じてしまウ! ネえ、ドうしてわかったノ? ア、イや、今のは無しデ。種明かしなんてモッタイナイ。モっともっと楽しまないト。観客らしク……」


 意味不明な独り言だ。問いかけておきながら、自身の発言をあっという間に取り消してしまった。

 姿だけでなく言動も人知を越えている。

 それゆえに理解出来ない。

 理解したいと思えない。

 しかし、エウィンは脳を全力で働かせながら考えを巡らせる。

 眼前の魔物について、分析しなければならない。

 もちろん、アゲハを逃がすためだ。

 残念ながら、討伐ないし勝利という選択肢は選べない。実力差など、背後をとられた時点で把握済みだ。


(今だから、わかる。強くなれたからこそ、理解出来る。こいつにだけは勝てない。勝てっこ、ない!)


 眼前の魔物は自分達と同等の背丈だ。

 それどころか、体以外はほぼほぼ同じ外見をしている。

 にも関わらず、この敗北感は何だ?

 向き合った時点で、思い知らされた。

 生物としての格が、あまりに違い過ぎる。

 自分達がいかに脆弱かを、思い知らされた瞬間だ。

 立ち向かうという虚勢すらも奪われた以上、残された選択肢は逃避以外にありえない。

 もしくは、死を受け入れることか?

 だとしたら好機だ。

 エウィンはこの瞬間を長年待ちわびていた。

 自分は殺される。

 なぜなら、眼前の化け物に手も足も出ない。

 それならそれで構わない。

 むしろ、そうであって欲しいほどだ。

 ゆえに、語りかける。

 時間稼ぎのようで、そうではない。

 交渉だ。

 アゲハだけは見逃してもらわなければならない。

 代償に自身の命を差し出す覚悟は完了している。

 怯みながらも勇敢に、会話を試みる。


「確かに、エウィンは僕だ。話があるなら聞く」

「アまりに嬉しくてネ、色々と過程を省いてしまっタ。マぁ、悲観する必要はないのかナ。コうしてワタシ達は巡り会えタ。ダとしたら次ハ……」


 魔物が一旦言葉を区切ったことで、三人の間に沈黙が訪れる。

 この状況に対して、エウィンとアゲハに出来ることは一つだけだ。

 待つしかない。

 何を言おうとしているのか、身構えながら次の言葉を受け入れるしかない。

 絶望が待っていようと、そうするしかない。


「邪魔者の排除から始めようかナ」


 この瞬間、二人の背筋が凍り付く。

 しかし、女の口は動き続けた。


「ソっちのニンゲンを、殺すネ」


 巨大な瞳に映る、標的の姿。黒髪の女性は小刻みに震えており、自身の置かれた状況を完全に悟っていた。

 これは、生きるか死ぬかの戦いではない。

 一方的な虐殺だ。

 そうであるとわかってしまったからには、絶望に飲み込まれる。

 エウィンは立ち尽くすことしか出来ない。

 唇は乾いており、指先の感覚は完全に消え去った。

 自分が立っているのか、倒れてしまったのか、それすらも定かではない。

 思考は乱れ、記憶さえも曖昧だ。

 この少年にとって、死は恐怖ではなく救済だった。

 誰かのために死ぬことが使命だと、思い込んでいた。

 その誰かが、彼女だった。

 坂口あげは。日本からの転生者。

 しかし、眼前の化け物はそれを許さない。アゲハから殺すと宣言してしまった。

 だからこその絶望だ。

 決して受け入れたくない現実を、突きつけられてしまった。

 二人の前に現れた、炎の魔物。

 これがただの道化師でないことは、火を見るよりも明らかだ。

 抗えない。

 抗えるはずもない。

 ならば、どうすればいいのか?

 それを知りたがっているからこそ、凶行は止まってはくれない。

戦場のウルフィエナ~その人は異世界から来たお姉さん~

作品ページ作品ページ
次の話を読む

この作品はいかがでしたか?

12

loading
チャット小説はテラーノベルアプリをインストール
テラーノベルのスクリーンショット
テラーノベル

電車の中でも寝る前のベッドの中でもサクサク快適に。
もっと読みたい!がどんどんみつかる。
「読んで」「書いて」毎日が楽しくなる小説アプリをダウンロードしよう。

Apple StoreGoogle Play Store
本棚

ホーム

本棚

検索

ストーリーを書く
本棚

通知

本棚

本棚