テラーノベル
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翌日。いつもより早起きをして朝ごはんの用意をしていると、伊織さんが起きてきた。
「おはよう。今日はいつもより早起きだな」
「……おはよう。昨日早く寝たからか、何だか目が覚めちゃって」
「ああ、俺が寝るときには寝てたか」
よかった、起きていたことはバレてないみたい。
安堵しながらも昨夜のことを意識してしまい、なるべく視線を彼に向けないように声をかけた。
「朝ごはん食べられそう? 飲み会だったし、雑炊にしたけど」
「助かるよ。飲み会の翌日は胃の調子が悪いんだ」
やはり昨日は酔っていたのだろう。そう考えれば辻褄が合う。
それなら、あのピアスは……? 伝えなければ、伊織さんは気付かないかもしれない。でも、どういうテンションで聞けばいいの?
また悶々とした気持ちに襲われていると、伊織さんが心配そうな顔で覗き込んできた。
「……どうかした? 体調でも悪い?」
「あ、ううん。そうじゃないけど――っ」
起き抜けの温かな手が額に触れる。瞬間、昨日のキスがフラッシュバックして頬が熱くなった。
「熱はなさそうだけど……顔赤い?」
「っ、ううん、平気だよ。すぐ用意するね」
伊織さんの横をするりと抜け、朝食の準備を再開する。
きっと彼にとっては、妻の体を案じての行動だ。しかし、昨日を含めて直接的に私に触れるのは初めてで、慣れないことに動揺が収まらない。まったく、経験が少ない自分が恨めしい。
「そうだ。今度郁ちゃんとご飯に行こうって話してるんだけど、夜家空けてもいい? 来週あたり」
「もちろん大丈夫だよ」
「ありがとう。夕飯は冷蔵庫に入れておくし、なるべく遅くならないようにするから。また日程決まったら言うね」
「俺のことは気にせず楽しんでおいで。食事も適当に済ませるし、緋真ももっと自由にしてくれて構わないから」
「……うん」
緋真“も”か。昨日までは、単に優しい言葉だと思っていたけれど、今は変に勘くぐってしまう。人は、一度疑ってしまえば、そう簡単にはなかったことにはできない。
これから伊織さんとどう接していくべきなのか。考えても考えても、到底答えは見つからないように思えた。
◇
結局あの日から疑念を抱いたまま、悶々とする毎日を送っていた。伊織さんは特に変わった様子はないし、あの日以来一度も甘い香りを付けてくることはなかった。
だから単純に、飲み会でピアスの持ち主との距離が近くなっただけかもしれないと思い始めていた。
「緋真先生。今日はありがとうございました」
料理教室での授業終わり。調理器具を洗っていると、再び授業に参加してくれた智美さんが近づいてきた。
「お疲れ様です。今日はいかがでしたか?」
「前より少し上達した気がします。最近休みの度に通ってるので」
「すごい! 授業でわからないことなどあれば遠慮なく聞いてくださいね」
「はい、ありがとうございます」
私が勤務しているのは週四日程度。智美さんの仕事はシフト制ではあるらしいが、私の授業と時間が合いづらいらしく、こうして顔を合わせるのは二回目だ。ちなみに今日は貸し切りではなかったので、智美さんは初めて会った時よりも、寡黙な印象を受けた。
「あの、授業のお話ではないんですが、落とし物って届いてないですか?」
「落とし物? 何かなくされたんですか?」
「ピアス落としてしまって」
言われて受付の落とし物ボックスを探してみたものの、それらしきものは見当たらなかった。
「うーん、ないですね。落としたのって今日ですか?」

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今日であればまだ見つかっていない可能性が高い。他の講師たちに伝えておけば、掃除のときにでも見つけてもらえるはずだ。
その意図を伝えるも、智美さんは諦めたように首を横に振った。
「いえ、落としたのは少し前です。たしか緋真先生の授業を受けさせていただいた日に。たぶん別の場所で落としちゃったんだと思います」
「そうですか……でも一応他の先生方にも伝えておきますね。見つかってないだけかもしれないし。どんな形のものか聞いてもいいですか?」
「お願いします。これの反対側です」
エプロンのポケットから取り出された、小さな粒に思わず目を見張った。
控えめに煌めくシルバーの、フープピアス。ひねりの効いたデザインはシンプルだけれど、私の胸をざわつかせるには十分だった。
見間違えるわけはない。ここ最近私の頭から離れない、伊織さんの鞄に入っていたピアスと同じものなのだから。
「緋真先生?」
「あ……はい、わかりました。他の先生にも伝えておきます」
「ありがとうございます。これお気に入りだから、見つかるといいな」
唇を結びあげると、智美さんは会釈をして去って行く。
外向きの笑顔を浮かべながらも、顔が引きつるのを感じていた。
コメント
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昨夜のキスの記憶と、今朝の自然な手の触れ合い——そのギャップに緋真が戸惑う様子がとても繊細で、胸がぎゅっとなりました。そして最後の智美さんのピアス。同じデザインだと確信した瞬間、読み手にも疑念が走りました…。静かな日常に少しずつ忍び寄る違和感の描き方が絶妙です。続きが気になります!