テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
#BL
#ヒューマンドラマ
Hp2
409
縫季は清朗の部屋の前に立った。
扉を叩く。
「清朗」
返事はない。
もう一度叩く。
「清朗、いるか」
しばらくして、扉が開いた。
清朗が立っている。いつもの笑顔はない。疲れた顔だけがあった。
「……何の用だ」
「話がある」
「聞きたくない」
清朗が扉を閉めようとする。縫季は扉を押さえた。
「清朗、頼む」
その声に、清朗は動きを止めた。静かに扉を開けた。
「……入れ」
二人は向かい合って立った。
縫季は清朗を見据え、口を開く。
「お前を、遠方に送る」
清朗の顔が凍りついた。
「何を……言ってる?」
「医官府の裏手に、お前の印で動いている香がある。異常な量だ」
縫季は事実だけを置いた。
「あれは安堵の香じゃない。人の善意を止まれなくする香だ」
清朗の目が揺れる。
「お前が持っていた小壺と、同じものだ」
「……嘘だ」
清朗の声が低くなる。
「あの香は医官が勧めてくれた。殿下がお疲れだから」
「違う。お前の善意が利用されている」
清朗は口を閉じた。閉じてから、何かを探すように目が動く。
反論を探している。
「俺を……遠方にだと……?」
清朗がやっと口を開いた。
「お前に、何の権利がある」
言いかけて、表情が一瞬止まった。
「……王の血も、混じらないお前が」
続きが出た。出てしまった。
清朗自身の目が、わずかに揺れた。
そういうことを言う人間じゃない。
血で人を測ることを、清朗は嫌う。帝辛がそれを変えようとしていることを、誰より支持してきた。
なのに、言葉が口から出た。止められなかった。
清朗は唇を噛んだ。取り消せない。代わりの言葉が、出てこない。
縫季はその揺れを見ていた。
(分かってる。清朗も、分かってる)
「……権利はない。でも、決まったことだ」
縫季は静かに答えた。
清朗の目が細くなる。
「お前……俺から殿下を、」
縫季は清朗の言葉を遮った。
「……俺は、残るものを見ている」
清朗が、息を呑んだ。
その一言が、部屋の空気を変えた。
冷たい。感情を持たない言葉の形。
清朗は縫季を見た。縫季の目を、見た。
そこに何が宿っているか、清朗には分からなかっただろう。
縫季自身にも、分からない。
沈黙。
清朗が、低く言った。
「なぜだ……」
「殿下の周りで起きている歪を、ここで止めるためだ」
「お前が悪いと言ってるんじゃない。香が、お前を経路にしている。距離が要る」
清朗の顔が歪む。歪んだまま、涙が浮かんだ。
「ふざけるな……」
「明日、出発だ」
縫季は続けた。
「遠方の地に、医官として派遣する。名目は転地養生だ」
清朗の膝が折れた。崩れるように。
「帝辛……」
その声が部屋に落ちる。
縫季の掌が、ひやりと冷えた。
水が低い方へ流れるように、線が殷滅亡へ向かう強い収束へ寄っていく。
正しい。
(その先の結末も、同じ速さで戻る)
縫季は掌を握りしめた。
「待て、殿下に会わせてくれ! せめて最後に」
清朗が顔を上げる。
縫季は首を振った。
「駄目だ」
「なぜだ」
「会わせない。会えば、残るからだ」
清朗の顔に憎しみが宿る。
「お前だって分かってるだろ。あいつは、こんなやり方を望まない」
「……」
「……お前を許さない」
縫季は扉へ向かった。振り返らない。
「明日、出発だ」
そう言い残して部屋を出た。
扉が閉まる。
廊下は静かだった。
縫季は、その場に立ち尽くした。
胸の奥で、何かが「元に戻った」。
戻ってしまった。
調整員として、保存記録に沿う補修をしたと分かっている。分かっているのに、足の下から地面が消えたみたいだった。
「お前を許さない」
その言葉が、耳に残る。
縫季は歩き出した。
止まれない。止まったら、崩れる。
だが。
(……これだけでは、足りない)
縫季は足を止めた。
俺には、清朗を遠ざける権限がない。決裁を通した、と帝辛に告げる。嘘ではない。
だが、誰の名で通す。
帝辛の名を使えば、殿下の手が汚れる。縫季の名では、通らない。
縫季は廊下の先を見た。
執務棟の端。そこに、使える人間がいる。
宗正府少卿、子嘉。
王族の血筋を管理する役所の男だ。実務は弱い。だが、礼制と系譜に関する発言権は重い。「王族の側に血の薄い者を置くな」が、この男の口癖だった。
コメント
1件
「お前を許さない」……清朗のあの言葉、重かったですね。血で人を測るようなことを言っちゃった後、自分でも気づいて揺れるところとか、縫季の静かな「残るものを見ている」とか、もうね……。設定の収束と感情の衝突が同時に来る構造、すごく好きです。子嘉が出てきたのも、今後の伏線として気になる。続きが待ち遠しいです。