テラーノベル
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縫季は、廊下を歩いた。
扉を叩く。
「宗正府少卿殿。少しよろしいでしょうか」
間があって、扉が開いた。
子嘉が立っている。五十がらみ。目が細い。縫季を見た瞬間、わずかに表情が引き締まった。
「……何用か」
縫季は一歩も入らなかった。廊下から、声だけを置く。
「医官府の裏手で、清朗殿の印の香が動いております」
子嘉の目が、細くなる。
「清朗殿の印、とな」
「はい。帳の外で。私の確認では、出所が不明です」
縫季はそれだけ言った。
それ以上、言わない。
子嘉は一拍黙った。黙ってから、ゆっくりと口を開く。
「……清朗殿は、帝辛殿下の幼き日より、傍らにあった者か」「さようです」
「出自は」
「王族の血筋ではございません」
縫季は静かに答えた。
子嘉の目に、火が点いた。
「王太子の側に、王の血に連ならぬ者を近づけるなど、本来あり得ぬことだ」
声が低くなる。
「それが医官府の裏で不審な動きをしているとなれば……」
「私の口からは、何とも」
縫季は一礼した。
「お知らせまでと思い、参りました」
子嘉は縫季を見た。何かを測るような目だ。
だが、縫季の顔には何もない。
「……分かった」
子嘉が扉を閉める。
廊下に静けさが戻った。
縫季は、来た道を戻った。
歩きながら、掌を見た。
(……汚い)
清朗が言いたくなかった言葉を、縫季が燃料にした。
清朗が言いたくなかった言葉を、縫季はそのまま運んだ。
帝辛が変えようとしている世界の悪弊を、帝辛を守るために使った。
(それでいい)
そう思おうとして、思いきれなかった。
縫季は掌を握りしめた。冷たい。
歪に楔を打つための手が、どこまで汚れるかを、今日初めて知った。
◆
夕方。
縫季は、帝辛の政務の間の扉を叩いた。
「殿下」
「入れ」
帝辛は卓に向かっていた。木簡から目を上げる。
「清朗の件か」
「はい」
帝辛は一拍、息を置いた。
「報告しろ」
「清朗殿が使用していた香は、安堵の香ではありません。医官府裏手の集積所でも同じ香が動いており、清朗殿の印で配給されていました」
帝辛の眉がわずかに寄る。
「結論は」
縫季は息を吸った。
「清朗殿を、遠方へ派遣します。医官として。名目は転地養生です」
帝辛の視線が止まる。
「決裁は、まだだな」
縫季は一秒だけ迷って、答えた。
「……通しました」
帝辛が立ち上がった。
「いつ出る」
「明日です」
帝辛は卓の前を離れ、縫季を見た。
「昨夜は、『確かめろ』と言ったはずだ」
責めていない。だが受け止めきれない速さに、声の底が揺れる。
縫季は視線を落とした。
速いほど、傷は深い。だが遅いほど、歪は増える。
帝辛が言う。
「清朗に、会えるか。今夜」
縫季の胸が割れた。
縫季は首を振った。
「……できません」
「なぜだ」
縫季は、嘘をつかなかった。
「殿下が会えば、清朗殿は残ります」
帝辛の動きが止まる。
「残れば――また、無理をします。善意が、止まれない種類です」
帝辛は低く息を吐いた。
「……分かった」
その瞬間。
縫季の掌が、また冷えた。
今度は、より深く。
殷滅亡へ向かう収束圧が、強まっている。
縫季は掌を握りしめた。
「清朗に、伝えてくれ」
帝辛が言った。
縫季の指がわずかに震える。
「……何を」
優しいままの声。
「必ず、また会おうと」
(その因果は、俺がもう裁断した)
戻らせない。戻せば歪が広がる。
帝辛はそれを知らない。俺だけが知っている。
「……はい」
縫季は声を絞った。
帝辛は縫季を見た。何かを問う光が確かにある。だが、問わない。
問えば、何かが壊れると分かっている目だ。
「縫季」
「はい」
「一人で無理をするな」
縫季の胸がひくりと痛む。
「……申し訳ありません」
帝辛は静かに頷いた。
「下がれ」
「失礼します」
縫季は踵を返し、政務の間を出た。
扉が閉まる。
廊下の空気は冷たい。冷たいのに、胸の奥だけが熱い。
(線が、戻っていく)
保存記録に最も近い収束へ。殷滅亡という結末に向かって。
縫季は歩き出した。
夕日が差し込み、影が長く伸びる。
明日、清朗が去る。帝辛が悲しむ。そして、俺は――憎まれる。
(それでいい)
掌は、まだ冷えている。胸の奥も、同じように冷えていく。
縫季はその痛みに、名前をつけなかった。
#BL
#ヒューマンドラマ
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コメント
1件
うわあああ〜!!第33話、読み終えたよ…😭💔 縫季の「それでいい」って自分に言い聞かせる感じ、胸がぎゅってなった…。善意で止まれない清朗を遠ざけるために、自分が憎まれる役を買って出るの、切なすぎるよ…。帝辛が「一人で無理をするな」って言うところ、お互いわかっててなお問わない関係性が尊くて苦しい…。 影が長く伸びる夕方の描写と、縫季の掌の冷たさが重なって、もう涙止まらんかった…!!次回も楽しみにしてるね😭🌸