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 『シュキュウ、お前いつクイネ君の所に嫁ぐ?』
 ある日、父から言われた一言でワタシは言葉を失った。意味が、しばらく理解出来なかったのだ。
 ——ウチの家はヤモリが生まれやすい家系だ。ヤモリタイプの獣人は家庭的な作業を好む性格になりやすく、専業主夫に向いている者が非常に多い。家を守る事に特化しているので、独身のうちは執事やメイドなどとして働く者がほとんどだ。是非嫁に貰いたいと懇願される事も多々あり、ワタシの姉達も相手の家に切望されて嫁に行った者ばかりだ。
 そんな家系な為か、ウチの誰かがクイネさんの嫁になる事は随分前から決まっていた。
 だが、父も母も相手がワタシだと言っていた事が無かったので、自分が彼に嫁ぐだなんて夢にも思っていなかったのだから、ワタシが即座に返事を出来なかったとしても、その事を責めないで欲しい。
子沢山の家庭で育ち、未婚の姉も妹もまだ沢山いる。なのに男子はワタシ一人だ。そうとなれば、嫁ぐのは姉か妹の誰かになるものだと思うのは当然だろう。同性婚は珍しく無いとはいえ、何だかんだ言っても異性婚が主流なのだから。
 『……ワタシが?姉さんか妹達の誰か、じゃなく?』
『あぁ。だって、彼から是非お前をと随分前から名指されているからな』
当然だろ?と言いたげな顔で言われたが、寝耳に水で納得なんか出来なかった。だって、クイネさんがワタシを指名するなんてあり得ないし、意味がわからない。殆ど話した事もなければ、たまに顔を合わせても冷たい態度しか出来ていないっていうのに、何故ワタシを?と不思議でならなかった。
『そう……なんだ』
『もうお前も十八になったしな、向こうさんとしては一日でも早く嫁いで来て欲しいそうだぞ』
『……い、い、いつでも……いいって、言っておいて』
答える声が震えてしまった。ワタシがクイネさんに嫁ぐとか……どうしたって信じられない。
『そうか、そうか、わかった。だったらこちらも早く用意をせんとな』
『…………うん。衣装とかは、母さんと話しておくよ』
俯き、顔を隠す。今のワタシの顔は父さんになんか見せられない。
『じゃ、じゃあ……部屋に戻るよ』
『ワシはクイネ君の所に早速返事をしに行っておこうかな。顔を合わせるたびに、いつになるかと訊かれてたからな、吉報は待たせない方がいいだろう』
『うん……そうだね』と 父に対してかろうじて返事をし、ワタシは自分の部屋へ急いで走って行った。
バタンッと勢いよくドアを閉め、ズルズルとその場にしゃがみこむ。
 (嘘だろ?ワタシが嫁ぐとか……嫁げるとか )
 『あぁ……』
顔を両手で隠し、ボソッとこぼした声が震えている。感情が抑え切れない。どうしよう、どうしようどうしよう!
『箱を用意しないと、荷物詰めて……えっとえっと違う、もっと他にする事であるはず……』
ダメだ、頭が上手く動かない。現状を受け止め切れていないせいで何の準備から入ったらいいのかサッパリ思い付かない。いつも冷静に、周囲の空気を読んで今何をするのが最善か。そればかり考えて生きてきたはずなのにクイネさんの事が絡んだ途端にいつもそれが出来なくなる。あぁ、まさかここまで心が掻き乱れるなんて。
 ( 初恋は叶わないって誰が言ったんだろう? )
部屋の壁に飾ってあるクイネさんの絵に視線をやりながら、ワタシは心の中で叫んだ。
 
 ——初めてクイネさんと逢った時の事はもう覚えていない。ここは王都などとは違ってとても狭い漁村だ。ウチの家以外は子供の数など限られていて、幼馴染だと言えなくもないくらい昔からの知り合いではあった。
でも彼と話した事は殆ど……無い。
全てはワタシのせいだ。緊張して、し過ぎて、話せなくなるのだ。一言も声が出ない。たとえ出ても、ロクでも無い事しか言えない自分が情けなくなるレベルで酷い事を口走ってしまう。
 十八才の誕生日だからとくれたガラス細工っぽい物は、嬉し過ぎて手が震え、落として割った。
偶然二人きりで天体観測を出来た時は、緊張し過ぎて吐き気がし、トイレに引き籠ってしまってお流れになった。
 ……やることなす事散々だ。でも、何でかクイネさんは全然嫌な顔をしない。いつもニコニコ笑っていて、幸せそうで、明るくって、お日様みたいな人だなってずっと思っている。見かける事は多いのに話せない。ホントに……空高くで輝く太陽みたいだ。
 父からクイネさんの許嫁はワタシだと告げられた日の翌日。
朝からバタバタと家の中が騒がしい。何だろう?と不思議に思いながら部屋を出て、廊下を覗いてみると、母さんに『あぁ、シュキュウ起きたのね。丁度良かったわ、居間に急いで行って頂戴』と言われた。
『……うん』
 (どうしたんだろう?何か手伝う事でもあったのかな?)
 着替えぬまま急いで居間に行くと、そこには——ちょっとおしゃれをしたクイネさんが、そわそわした顔をしながらソファーに座っていた。
 『————っ⁈』
『あ、シュキュウ!おはよう!』
 ワタシと目が合った瞬間、クイネさんが弾けんばかりの明るい笑顔で朝の挨拶をしてくれた。
なのにワタシは返事をする事なく、慌てて廊下の壁に張り付いてしまった。起きてすぐに居間を覗いたので、まだ夜着姿だったのだから仕方がない!と思っておきたい。
 (と、と、とにかく、まずは着替えないと)
 そう思ったワタシは急いで部屋に戻り、夜着から麻布で作ったシャツとトラウザーズに着替えた。でも……これから居間に戻ると考えただけで、いつも通り緊張し過ぎて吐き気がしてくる。
鏡をチラッと見ると、顔色が悪くて眉間にシワがよっていた。……なんて酷い顔だ。これで彼に嫁ぐとか、速攻で離縁されそうだ。というか、そもそも嫁ぐ前に断られそうな気がする。戻らない方がいいんじゃ?ワタシに逢いに来てくれた訳ではないんだろうし。
『…………そうしよう』
数回頷き、脱いだ夜着を持って洗濯室まで行こうかと思った時、部屋のドアをノックする音がした。
マズイ、母さんだろうか?居間に戻れって言われるのかもしれない。困ったな、何と言って断ろうかと悩みながら『はい』と返事をしてドアを開ける。
『やあ!』
クイネさんと目が合い、ワタシは速攻でドアを閉めた。
『————ひっ!』
 (何?何故⁈どうして部屋の前にクイネさんが⁈)
 コンコンッとドアをノックする音がまた聞こえたが、再度開ける勇気などあるはずが無い!
『シュキュウ、ここ開けてくれないかな。渡したい物があるんだ』
 (渡したい物⁈——まさか、離縁状じゃ!いや待て、冷静になるんだ。まだワタシ達は結婚してない!)
 『い、い、いりません!』
何かはわからないが、どうせ貰ってもまた壊してしまいそうで恐ろしい。そんな事をしてしまったら、今度こそ愛想を尽かして『やっぱり嫁にはいらないよ』と言われてしまうに決まってる。
『そんな事言わないで。コレは流石に貰ってくれないと先に進めないから』
ドア越しに懇願されたが、開けられない。早々に諦めて帰ってくれないだろうか?とまで思ってしまう。
 『ねぇ、シュキュウ。ボクのお嫁さんになって欲しいんだけど、イヤ?』
 (『嫁』?……そうか、クイネさんはワタシを『嫁』にしたいのか)
 『夫』じゃない事に少しホッとした。『嫁』だ『夫』だという単語はもう、時代の流れで性的趣向を指すものになっている。ワタシは『夫』として求められたとしてもクイネさん相手では緊張し過ぎて上手く応える自信が無いので、正直有難い発言だった。
 『ボクとしては、「夫」として嫁いで来てくれても良いんだけど』
『む、む、無理です!「夫」は!』
 声が裏返り、悲痛な叫びをあげてしまった。
『わかったよ。じゃあ、ボクのお嫁さんになってくれるって事でいいのかな?』
『…………』
返事が出来ない。たった一言、「はい」と言えばワタシは望みが叶うというのに、開けた口からその単語が出てこない。
 (本意じゃ無いに決まっている。ワタシが彼に好かれる筈が無い、その要素が無い。鵜呑みにするな、もしコレが都合のいい勘違いだった時、ワタシの心が壊れてしまう)
 恐怖心がワタシを満たし、思考が停止する。ガタガタと体が震えて、ドア越しでもクイネさんにそれが伝わっていたのだが、余裕が無いせいでその事にワタシは気が付けていなかった。
 『じゃあ、贈り物はここに置いておくから……良かったら身に付けて欲しいな、式の日まで』
 微かにコトンと音がして、クイネさんの気配が遠ざかって行く。 その事にホッとしながらも、ちゃんと顔を見ておけば良かったという後悔も感じた。
 ドアを開けて廊下に顔を出す。クイネさんは宣言通りもうそこには居らず、小さな箱だけが部屋の前にポツンと残されていた。
『何だろう?』
首を傾げながら箱を手に取る。空みたいに青い綺麗な箱はとても小さく、ワタシの小さな掌にも収まってしまう。思いのほか頑丈で、しっかりとした作りだが装飾は特に無かった。
 部屋の中に戻り、ベッドに腰掛けてワタシはその箱を開けてみた。
『指輪だ……』
ピンクゴールド色をしたリングに、綺麗にカットされた透明な石がはまっている。まさか……これは——
 『婚約指輪?』
 きちんと顔を見て受け取らなかった事をワタシは心の底から激しく後悔した。 ……だけど、大事にしよう。きっといつかいい『思い出』になるから。
身に付けて壊してしまわぬ様、ワタシは箱の中から指輪を出す事無く、大事に大事に大事に布で包み、大きな箱に詰め、引っ越し用にと用意した更に大きな箱の最奥にソレをしまった。
 指輪を受け取った日から結婚までは驚く程トントン拍子に事が進んでいった。全てが全て、クイネさんが準備してくれていたのだ。新居、式場の用意、当日の衣装——と、ワタシの家からは何も用意の 必要が無い程なにもかも整っていた。
 (そんなにもワタシとの結婚を楽しみに?)
 ——と、勘違いしてしまいそうになるくらい順調に、結婚式の日がきた。
なのに、ろくにワタシ達は話しもしていない。このままでいいのか?本当に?こんな自分が嫁いで、クイネさんは幸せになれるんだろうか。あぁ……でも顔を見るとどうしても緊張してしまう、体が固まる、頭が動かない。
真っ白いタキシードに身を包み、控え室でブルブルと震えていると、クイネさんがワタシの肩をポンッと軽く叩いた。
『行こうか、シュキュウ』
そう言ったクイネさんの顔は驚く程穏やかで、ワタシを騙している様な雰囲気は無い。
『…………はい』
 (信じていいのだろうか? 本当に、本当に……ワタシを嫁に?)
 くっと口元を引き締め、深呼吸をし、気持ちを落ち着かせる。
『行きましょう、式場へ』
ワタシは自分からそう言うと、初めてクイネさんを正面から見詰め、彼に手を差し出した。
 (あぁ……嬉し過ぎて泣きそうだ。 こんなに可愛くて、優しくて、素敵な人に自分は嫁ぐのか)
 ワタシは、ワタシは……全てを捧げよう。生涯貴方に尽くすと、この 『家守』の血に誓おう。
『うん、行こうか』
よく見知った太陽みたいな顔をクイネさんがワタシへと向け、手を取ってくれる。この人を好きになって本当に良かった——
心から、そう思った瞬間だった。