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fk視点
彼と夜に浮ついた視線を交わしあって、それで尚、俺達が身体だけのつめたい関係だと認識できるほど、俺は鈍感じゃなかった。肌に触れ合う度に高鳴る鼓動も、日が昇って彼が姿を消すと同時に現れる喪失感も、もう無視することが出来ないほど俺の中で大きくなっている。彼へ向けた自分の感情に、気付かないわけがない。でも、それは言葉にできない。言葉にしたら、きっと全て終わってしまうから。
最後に彼と身体を重ねてから、もうどれくらいの時間が経ったのだろう。天候のせいかいつもより空いている店内に目を向けながら、俺は道具の手入れをした。どこへ目を向けても、彼の姿は依然どこにもない。消えてしまったのだ。それは突然のことではあったものの、頭のどこかではこの結末を理解していた。ここはそういう世界で、そういう二人だったから。
異様な俺達の愛情は許されない。それでも、一目惚れだった。
初めて出会ったあの日から俺は目を離せなかった。明け方の空のようなワイシャツに黄色いネクタイを締めていた彼が、今も尚鮮明に脳裏に焼き付いている。あのときはバーテンダーと客でしかなかったから、深くまで距離を詰めることはなかったけれど。その次に会った、土砂降りの雨が降り注いでいたあの日。湿度を持った夜の空気が俺達の距離感を狂わせた。傘に身を隠すようにして重ねた唇の冷たさは、現実の過酷さを現しているようにも思えた。
あのときの俺は素面だった。元彼の言葉や態度で、世間がいかに恐ろしく同性同士の関係性が脆弱なものかなんて分かりきっていた。それでも、思考に霧がかかるような不安なんて、繋がりあった悦びで呆気なく塗り替えられていった。快楽と体温で爪先からじんわりと身体が満たされていく感覚に呑まれては、ゆめうつつとして本能のままに欲を追い求めた。
酒を飲めば飲むほど酔って溺れていくのと同じで、彼を想ってしまえば最後。止めることなんてできなくなって、溢れ出しそうになる感情を無理やり抑え込んだ。彼も俺と同じだったと思う。二人が向かっている先が破滅であることを、俺も彼も知っていたから。
俺は、彼のことをなにも知らない。職業も住所も年齢も、名前すらもだ。探したくても、探せない。会いたいのに、会えない。俺の職場や住所を知っている彼の方から迎えに来てくれないと、俺は彼の影さえも追いかけることができない。脆く、頼りない関係性を突きつけられるような気分が胸を刺す。
◇
店内に流れるジャズのメロディが脳に重たく響いた。いつの日か聴いた、裸のままシーツを被った彼の控えめな鼻歌が耳を掠める。話し声とはまた違う、繊細で美しい彼の歌声が頭から離れない。……あぁ、クソ。思わず手の中にある磨き終わったショートグラスを地面に投げ捨てそうになった。
俺達は何も悪くない。何の罪人でもない。そのはずなのに、世間は俺達を許さない。それどころか凶器を突き立てて全てを奪おうとしてくる。そんな世間から彼を守りたい気持ちと、隠しきれなくなった愛で繋がり合いたい欲望がぶつかりあってジレンマに苛まれる。
許されなくてもいい。そう叫びたくなるものの、彼を巻き込むのが怖くて俺は静かに立ち尽くしている。苦しくて、悔しくて、心が痛い。
数十年後か百年後、もしも許される未来があるのなら、またあなたと出会いたい。最後にそう伝えたかった。俺の光のような彼に。
「こんばんは」
目の前に一人の客が現れる。カウンター席の、左から四番目。長い脚を軽くクロスして、カウンターに男性らしい長細い指を組んで置く。少し垂れた切れ長の美しい目が、俺を見つめている。脈拍はどんどん駆けていき、彼にまで伝わってしまいそうなほど大げさに胸の鼓動は高まっていった。長い朔日だったから。
会いたかった。どうして今まで来てくれなかったのか。どうして今日突然来てくれたのか。何かあったのか。聞きたいことが山ほどあって、途端に思考と胸の中は張り裂けそうなほどいっぱいになっていった。結局、震える唇から弱々しく「なんで」と言葉を吐き出すことしか出来なかった俺に、彼は曖昧な笑みを浮かべる。
「お久しぶりですね」
落ち着いた夜の海のような声で彼はそう言う。慣れていたはずの彼の物憂げな微笑みに、なぜか酷く胸が痛んだ。瞳に映ったその表情が、諦めに似ていたからかもしれない。
お客が店を出ると同時に店の扉が開いて、アスファルトに降り注ぐ雨音が響いて聞こえた。俺達の間に会話はない。何から話せばいいのか、何から聞けばいいのか分からなかった。彼を見つめる視界がぼやけそうになるのを必死に堪えて、気を紛らわせるように手元に視線を落とした。
俯いた俺の顔色をうかがうように顔を傾けてから、目が合うより先になにかを噛みしめるように彼は目を瞑った。眉間には皺ができていて瞼には力が入り切っている。悲痛さが漂う険しい表情を振り払うように、彼は溜め息を吐き出してそっと顔を上げた。その表情に先程の残り香はなくて、どこか吹っ切れたような顔をしていた。
しかし、彼と共に過ごした時間のおかげで、些細なことも分かってしまう。その表情が虚像だということなんて、いとも簡単に気付くことができた。
彼は重たげな唇を開いて、言った。
「ギムレットを」
その一言だけで俺の頭は真っ白になった。必死に保っていた平常心が音を立てて崩れていく。こんなタイミングで、こんな表情で頼まれた酒が、その意味を持っていないわけがなかった。
問い詰めるように目線を向けても彼は野良猫のように顔を横に向けている。一向に目を合わせてはくれない。
ふと、遠くから視線を感じてその方に目線をやるとマスターがじっと俺を見ていた。早くカクテルを作るように催促されているのだろう。分かっている。分かっているけれど、どうしても作りたくない。自分の手でこの関係を切るなんて、そんなことしたくなかった。
それでもこのままじっとしているのはあまりにも不自然であるし、マスターに歯向かうわけにもいかず俺はシェイカーの中へジンを注いだ。彼はスクリュー・ドライバーを夜の誘いにするような男だ。この酒の言葉を知らないわけがない。
カクテル言葉を学んでいるとき、哀しい酒だなと思ったのを覚えている。長いお別れ、鋭い愛、そして叶わぬ想い。そんな酒が自分に向けられるなんて、あの頃は微塵も想像していなかった。
ライムの香りが鼻腔を刺激して、苦い感情が漏れ出しそうになる。出来上がったカクテルをグラスに注ぐその動きが、自分の感情に相反していて不思議な感覚に駆られる。カクテルグラスをそっと彼の前に差し出してからは、一瞬だった。
彼は度数の高いそれを一口で煽って飲み干した。そして焼けそうなほど熱くなった喉から溜め息に似た自嘲を溢しては財布を開き、「ごちそうさま」とカウンターに五千円札を一枚カウンターに置いて逃げるように去っていった。
突風のような出来事に呆気にとられながら遠ざかっていく彼の背中をじっと見つめる。これで、終わってしまうのか。これが、お別れだというのか。
鼻頭にツンと痛みが差して目元が熱くなっていく。彼の姿が見えなくなったその瞬間、俺は裏口へと駆け出した。仕事がどうとか、世間がどうだとか、何も考えられなかった。ただ、ただひたすらに、許せなかった。自分の身のことばかりを考えて彼を追いかけなかった自分を想像して、許せそうになかったのだ。
◇
躓きそうになりながら勢いよく外へ出ると、真っ暗な空からは大粒の雨が降っていた。アスファルトから弾け飛んできた水滴がズボンの裾をじっとりと濡らしていく。今はそんなことに気を止めている暇はない。傘も持たずに出てきたため頭に直接降り注ぐ雨が髪を伝って滴り落ちてくる。水に体温を奪われている感覚がどこか懐かしく思えた。
雨粒で視界を遮られながらも俺は必死に彼の姿を探した。今店を出たところなんだから、そう遠くへは行っていないはず。そんな予想は的中して、細く暗い路地裏を抜けていくとすぐそこに彼は立ち尽くしていた。片手には傘があるというのに、彼はそれを差さずに何かを洗い流すように雨に打たれていた。
大股で彼のもとへと向かうと足音に気が付いた彼がおもむろに顔を背けて、逃げるように大通りへ歩き出した。距離を縮めた末に彼の手首をパッと掴むと、驚くほど冷たかく微かに震えていた。腕を引いて薄暗い路地裏へ連れ戻す。高まる感情のように雨脚はどんどん強まっていった。
全ての感情に身を任せて思いを叫んでしまいたいのに、口からこぼれる声は弱々しく震えている。掻き消されてしまいそうなその熱は、情けなくて頼りない。それでも、揺るぎない確かなものだった。
「どうして、こんなこと」
「……離して」
「っ離さない」
今この手を離したらもう二度と、俺の前には現れてくれないでしょ。そう問い詰めたかったけれど、できなかった。肯定されるのが怖くて、頭に浮かんだ言葉を飲み込む。
人気のない真夜中の路地裏に冷たい沈黙が漂う。追いかけては来たものの言葉が上手く紡げない。ぐるぐると渦巻いた思考に焦れったさを感じていると、彼はそっと口を開いて独り言のように呟いた。
「あんたの人生、壊したくないんだよ……」
唇を噛んで、押し寄せる感情の波を必死に抑えているように見えた。赤く潤んだ瞳が、その葛藤を物語っている。
今夜は月の視線を感じない曇天の夜空だ。だからきっと誰も見ていない。人々も、神様も。
いつまで経っても纏まらない言葉に痺れを切らした俺は、彼の身体を強く抱きしめた。濡れた互いの身体は冷たくて、それでも、伝わってくるのは人間のどうしようもないような温かさだった。炭酸の気泡が天へと駆けるように、じわりと耐えきれなかった涙が溢れ出てくる。格好がつかないけれど、それでよかった。
「壊していいし、傷つけていい。だから、傍にいて」
「……あんたは、男が好きだってことがどういうことか分かってない」
「っ分かってるつもりだよ。それでも、あなたが好きだから。離さない」
アスファルトを殴る雨音が耳元に響く。自然に流れ出た言葉が、俺の感情の全てだった。あなたが雨に打たれるときは、一緒に俺も濡れてやる。
涙が落ち着いてきた彼の頭を優しく撫でると、彼は繊細な笑みを浮かべた。初めて見る表情に、やっと本音で繋がれたのだと自覚して胸が熱くなる。雨に溶かされてひとつになってしまうくらい強く抱き寄せた。
彼の冷たい手が俺の首元に回される。じっと俺を見つめる瞳に応えるように顔を寄せて触れるようなキスをした。そしてそれは、徐々に互いの体温を確かめるようなものになっていく。していることは前と変わらないのに、確実に何かが違って感じた。
◇
夜通し降り続いていた雨は止んだようで、あたたかな日差しが真っ白なシーツに差し込んだ。朝目覚めて、隣に彼がいる。それだけで、今までとはもう違うんだと夢のような現実が幸福で俺を柔らかく包んでいった。
身体を起こした俺の腰にするすると彼の腕が巻き付いていく。寝ぼけた甘い行動にふっと笑みをこぼしてからふわふわとした彼の髪をなでると、瞳がぼんやりと現れた。
「おはよう。身体、大丈夫?」
「……ん、だいじょうぶ」
眠たそうな声色で話す彼が愛おしくて、こうして二人でいれる時間が幸せで仕方がない。ぼんやりとした朝の空気に身を委ねていると、あることを思い出して俺は「あ……」と無意識に言葉を漏らした。
「……なに」
「そういえば、あなたの名前まだ知らないなって」
そう伝えると彼は「あぁ」と納得したように頷いた。そして「て」と言いかけて、ふにゃりと微かに笑ってから口を開いた。
「いわもとひかる。照らすって書いて、照」
「照ね。……やっと知れた」
「ん、あんたは」
「あぁ、俺は深澤辰哉」
彼のように感じを教えようと彼の手首を優しく掴んで手のひらに書くと、彼は身体を小さく捩って「くすぐったい」と笑っていた。些細な言葉や行動が愛おしくて、俺はこの瞬間を噛みしめるように微笑むことしか出来なかった。
「あ、そうだ。ねぇ、なんでさっき『て』って言いかけたの?岩本照ってどこにも『て』なんてないじゃん」
「それは……ふっかには教えない」
くしゃっと笑った彼の顔を見て心が急激に満たされていくのを感じた。もう、我慢しなくていい愛情が沸き立って俺は横になって照を抱きしめた。
「えぇ、なんで?てか『ふっか』って」
「いいじゃん。下の名前で呼ぶの、なんか恥ずかしいから。あぁでも、ふっかは俺のこと『照』って呼んで?」
「なんでだよ(笑) まぁ、別にいいけど」
訪れた柔らかな沈黙に二人でそっと笑ってから、どちらからともなくキスをした。抱きしめ合って生まれた体温が、俺と照の愛情を物語った。
コメント
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ありがとうございました。 2人が一緒にいれて良かった。 完、なのが少し悲しいけれど 読み返してきます🙇♀️
あああああああ最高です……💜💛ぶっ刺さりました➳♥