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第六章 満ちゆく月
第四話 月下の戦い 後編
それから三日間。
二人は森を抜け、街道を進みながらソレイユ帝国を目指した。
昼は歩く。
夜は野宿をする。
それを繰り返す。
二年間の旅で、野営も移動もすっかり慣れていた。
けれど最近、明らかに変化していた。
夜の森。
倒れた魔物の身体から、黒い粒子が溢れる。
それはまるで帰る場所を求めるように、静かにジントの元へ集まっていった。
ジントは目を閉じ、呼吸を整える。
胸の奥へ流れ込む闇を、受け止める。
冷たい。
苦しい。
けれど拒めば、この闇はまた世界を彷徨う。
だから、ジントは静かに受け入れる。
やがて、魔物の身体は崩れ、黒い粒子となって消えていく。
「……」
ダイチはその様子を黙って見ていた。
最近、魔物が増えている。
しかも、一体一体が強い。
瘴気も濃くなっている。
以前とは明らかに違う。
焚き火の前。
ダイチは薪を放り込みながら、眉を寄せた。
「最近、ほんま異常やな」
「……うん」
ジントは炎を見つめる。
胸の奥がざわつく。
何かが近づいている。
そんな感覚。
「前はこんな頻繁に出てこんかったやろ」
「……そうだね」
ジントは小さく呟いた。
「満月も近いし」
ダイチがちらりと見る。
「やっぱ関係あるんかな」
「分からない」
そう答えた。
けれど、本当は少しだけ分かっていた。
月が満ちていくほど、自分の中の何かが強くなる。
闇の気配が、はっきり感じ取れる。
時々、呼ばれているような気さえする。
――来い。
胸の奥で、そんな声が響く。
ジントは無意識に、懐へ手を伸ばした。
小さな袋。
その中に入っているのは、砕けた御守の欠片。
かつて自分を抑えていたもの。
今はもう、元の形には戻らない。
ジントはそっと手を握った。
-–
その後も、何度か魔物と遭遇した。
大型の魔物。
群れを成す異形。
以前なら避けていたような相手とも、二人は戦った。
けれど、敵が強くなれば傷も増える。
激しい戦闘。
魔物の爪が、ダイチの肩を裂いた。
「っ……!」
血が滲む。
「ダイチ!」
ジントの声が鋭くなる。
けれど、ダイチは笑った。
「大丈夫や!」
そのまま前へ出る。
流れる水で身体を運び、雷を拳と脚へ纏わせる。
地面を蹴る。
水の魔力が足元を走る。
一瞬で魔物の懐へ入り込む。
「はぁっ!!」
拳が叩き込まれる。
青白い雷光。
轟音。
魔物の巨体が吹き飛ぶ。
だが、まだ倒れない。
黒い瘴気が噴き出す。
ジントは目を閉じた。
来る。
身体が反応する。
闇が、瘴気が、自分へ集まる。
やっぱり怖い。
それでも、逃げない。
心を静める。
受け止めるために。
黒い粒子が、ゆっくりジントへ流れ込む。
怒り。
恐怖。
悲しみ。
孤独。
誰にも届かなかった感情。
それらが胸へ流れ込む。
「……っ」
苦しさに顔が歪む。
けれど耐える。
魔物の最後の闇が消えた時、森に静寂が戻った。
-–
焚き火の前。
ダイチは木にもたれて座っていた。
荒い呼吸。
破れた服。
肩の傷にはまだ血が滲んでいる。
「見せて」
ジントがしゃがむ。
「いや、これくらい平気――」
「平気じゃない」
ぴしゃりと言い切られ、ダイチは苦笑する。
「……はいはい」
服をずらす。
肩には鋭い爪痕、赤く裂けた傷口。
そして腕にも、鎖骨近くにも古い傷が残っていた。
ジントは息を呑んだ。
二年間、ダイチはずっと前に立っていた。
魔物から、瘴気から。
そして時には、自分を見る人々の恐れた視線から。
「……」
胸が苦しくなる。
自分のせいだ。
そう思ってしまう。
ジントはそっと手を伸ばした。
淡い光が、傷を包む。
開いた傷がゆっくり閉じていく。
「……あったか」
向かい合っているせいで、その声が妙に近い。
焚き火の光が、サファイアのような瞳に映り込んでいる。
ジントは視線を逸らすように落とした。
だけど目に入ってしまう。
鍛えられた体。
無数の傷跡。
戦ってきた証。
胸がずきりと痛む。
「……跡、残るかも」
「別にええよ」
「よくない」
強い口調。
ダイチが目を瞬く。
ジントは小さく呟く。
「……増えすぎ」
「痛かったでしょ……」
ダイチは一瞬、目を見開き、
そして、ふっと笑った。
「なんやそれ」
「だって……」
「今日はなんか素直やな」
「……うるさい」
ジントの耳が赤くなる。
けれど、 手は止めない。
傷跡へそっと触れながら、 静かに治癒を続ける。
ダイチはその顔を見つめた。
焚き火の光に照らされた、 長い睫毛。
真剣な表情。
少しだけ震える指先。
胸の奥が、 じわりと熱くなる。
ジントは俯いたまま、呟く。
「オレのせいで……」
その瞬間、ダイチの表情が変わる。
いつもの軽い笑顔じゃない。
真っ直ぐ向けられる青い瞳。
「違う」
静かな声。
「オレがそうしたいからしとる」
ジントが顔を上げる。
「お前を守るのは、俺が決めたことや」
「だから」
少し笑う。
「そんな顔すんな」
胸の奥が痛い。
「お前、全部一人で抱えるやろ」
「……」
「俺がおるやん」
その言葉に。
ジントは何も返せなかった。
「俺が守るから」
静かな声。
「お前は、ちゃんと頼れ」
ジントは俯く。
だから困るんだ。
何も知らないくせに。
そんなことを言われたら、離れられなくなる。
失いたくないと思ってしまう。
「……ダイチ」
「ん?」
少し迷って。
小さな声。
「……ありがと」
ダイチが固まる。
「……え?」
「何」
「いや、今なんて……」
「聞こえてたでしょ」
数秒。
そして。
ダイチの耳が赤くなる。
「お前……今日ほんま変やぞ」
「うるさい」
「熱あるんちゃう?」
「ない」
「絶対ある」
ジントは思わず、ほんの少し笑った。
その笑顔を見て、ダイチは黙る。
心臓の音が、やけにうるさかった。
-–
四日目の夕暮れ時。
森を抜けた先。
高い石壁。
行き交う馬車。
煙が立ち昇る煙突。
ソレイユ帝国へ最も近い街が見えた。
ダイチが息を吐く。
「……やっとここまで着いたな」
ジントは静かに街を見る。
穏やかに見える景色。
けれど、胸の奥のざわめきは消えない。
まるで、この先で、何かが大きく変わることを知っているかのように。
コメント
1件
comiさん、第4話読み終えました!魔物の瘴気をジントが自ら受け止める設定、世界観の根幹に触れる感じがしてとても好きです。あと、ダイチの傷を治しながら「増えすぎ」って呟くジントの声、すごく刺さりました。普段は強がってるけど、ここで素直な気持ちが出るのがいい。二人の距離が少しずつ縮まってる感じがたまらないです。続きがすごく気になります!