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第7話 何もなかったはずの一日
目を覚ましたとき、天井が見慣れないものだった。
「…あれ」
目を擦る。
瞬きをする。
ぼんやりした視界が、ゆっくりと輪郭を取り戻してきた。
ここ、どこだっけ。
数秒考えて、思い出す。
「……久遠の、家?」
体を起こそうとして、少しだけ頭が重く揺れた。
気分が悪いわけじゃない。ただ、妙に鈍い。
喉にも違和感があって軽く触れてみる。
ひり、とした。
「風邪でもひいたか」
首を傾げながら、ゆっくり息を吐く。
とりあえず、記憶を辿る。
朝。
久遠の家で起きて、コーヒー飲んで。
いつもみたいにくだらない会話をして。
それから。
それから、ここで久遠を見送った。
そこまではちゃんと覚えてる。
自分の家に帰る予定だった。
母さんは夜勤明けで寝てるだろうから、家事手伝おうと思って。
洗い物して、洗濯回して。
⎯⎯そこから先が、ない。
「……は?」
思わず声が漏れた。
帰った、よな?
帰って、家事して。
……してない?
いや、してるはずだろ。
でもその記憶がない。
ぽっかり、抜けてる。
「え、は、なにこれ」
気持ち悪い、というより。
違和感。
スマホを手に取って、
時間を見る。
バイトの時間はもうとっくに過ぎていた。
「俺寝坊じゃん…!!!!」
いや、それにしても。
なんでまだ久遠の家にいるんだよ。
眉を寄せる。
考えようとすると、頭の奥が少し重くなる。
それ以上踏み込むと、なんか嫌な感じがした。
「まあ……いっか」
いつものように、深く考えるのをやめる。
とりあえず起き上がって、部屋を見回す。
静かだ。
なのに、妙に落ち着かない。
そのとき。
玄関の方で、鍵の音がした。
かちゃり、と。
なぜか一瞬だけ心臓が強く跳ねる。
足音が近づいてきて、
ドアが開く。
「起きてた?」
久遠が立っていた。
いつも通りの顔。
椥守蕊月@転生します
538
#闇バイト
るしゅ
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2,264
リユ
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いつも通りの声。
さっきの一瞬の感覚が、すっと消える。
「あ…うん」
なんとなく力が抜けた。
「なあ、俺なんでここいんの?」
そのまま直球に聞く。
久遠は靴を脱ぎながら、あっさり答えた。
「凪、自分ち帰ってから倒れただろ」
「…マジ?」
「マジ」
間がなさすぎて、逆に疑う余地がない。
「おばさんから連絡来たから、研究室抜けてここまで運んだってだけ」
「やべ、全然覚えてないんだけど」
「そういうもんだろ」
「えー」
軽く笑う。
でもまあ、俺は忘れっぽい。
だから、そういうこともあるかもしれない。
「介抱ありがとな。んじゃ、そろそろ帰るわ」
ベッドから立ち上がる。
その瞬間。
「凪ん家帰っても、誰もいないけど」
淡々とした久遠の声。
足が止まる。
「え?」
思わず振り返る。
「おばさん、しばらく実家帰るらしいから」
「……は?」
一拍、遅れて理解が追いつく。
「え、なんで?」
思ったより強い声が出た。
久遠は少しだけ視線を逸らして言った。
「夜勤続きで疲れたらしい」
「……」
頭の中で、母さんの顔を思い出す。
夜勤明けで、そのまま寝てて。
最近ちょっとしんどそうだった気もする。
「…あー、まあ」
小さく息を吐く。
「確かに、な」
納得するしかない、って感じで呟く。
「そっか、じゃあ仕方ないか」
完全に腑に落ちたわけじゃない。
でも、否定する理由もない。
久遠は何も言わない。
「あぁでも…俺今バイト完全に寝坊してて」
言いかけたところで、
「休みって伝えてる」
被せるように言われる。
「え?」
「体調崩してるって」
「俺そんなやばい状態なの…?」
自分の体を見下ろす。
別に普通に動けるし、全然元気だけど。
「無理はしない方がいい」
淡々とした声。
「…なんか俺、めちゃくちゃ迷惑かけてるな」
冗談半分で言ったつもりだった。
久遠は少しだけこちらを見て、
「別に大丈夫だよ」
短く返した。
「とりあえず、今は大人しくしてて」
それ以上は言わせない、みたいな言い方。
「はいはい」
軽く肩をすくめる。
まあ、母さんもいないなら。
帰ってもすることないし。
「じゃあ、世話になるわ」
ベッドに腰掛ける。
久遠は特に反応せず、キッチンの方へ向かった。
その背中をぼんやり見て。
ふと、思う。
「……でもさ」
やっぱり、なんか変だ。
ここにいる理由。
俺が倒れたっていう話も、
全部ちゃんとしてくれたはずなのに。
どこか、引っかかる。
「さすがにずっとは」
言いかけたとき、
「ハムスター」
久遠の声。
「は?」
思わず間の抜けた声が出た。
振り返る。
「引き取ることになってて」
「いやいや、急に何?」
「世話するやついないと困るんだよね」
淡々と。
「…ハム…スター?」
思わず聞き返す。
頭の中に、あの小さい生き物が浮かぶ。
「小動物だよね?」
「そう」
「え、最高じゃん」
思わず顔が緩む。
「種類は?」
「知らん」
「いや知ってろよそこは」
ちょっと笑う。
完全に意識がそっちに持っていかれる。
「…てことで、世話するやついないと困るから」
久遠がもう一度言う。
さっきより少しだけ、間を置いて。
視線が合う。
なんとなく察する。
「俺が?」
「他に誰がいるんだよ」
あまりにも自然に言う。
当たり前みたいに。
母さんは家にいない。
バイトもない。
体調も理由にされてる。
なら、ここにいるしかない。
「…まあ、それくらいなら」
少し迷ってから、頷く。
「てか普通に好きだし、ハムスター」
ぽつりと付け足す。
久遠が小さく頷く。
キッチンで水の音がする。
俺はそのままベッドに倒れ込んだ。
天井を見上げる。
さっきから、ずっと引っかかってる何か。
でも、それを掴もうとすると、
すぐに指の間から抜けていく。
「……」
まあいいか。
考えても仕方ない。
視線を横に向ける。
キッチンに立つ久遠の背中。
いつも通りで、
見慣れてて、
なんとなく、安心もする。
小さく息を吐く。
そのまま、ゆっくりと目を閉じた。
⎯⎯変な日だったな。