テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
薄暗い体育館の裏手に、その倉庫はあった。
昼間はバスケットボールやバレーボールの歓声が響くこの学校も、夜になると別の顔を見せる。古びた扉には「備品倉庫」とだけ書かれ、錆びた南京錠がぶら下がっている。誰も近づきたがらない場所だった。
理由は、簡単だ。
「夜の体育館倉庫から、ボールをつく音がする」
そんな噂が、何年も前から囁かれていたからだ。
三年生の修司は、その噂を笑い飛ばしていた。
「風で転がってるだけだろ。中、見てみようぜ」
肝試しのつもりだった。親友の直人と二人、文化祭の準備で遅くなった帰りに、こっそり体育館へ忍び込んだ。
校舎は消灯され、非常灯だけが緑色に廊下を照らしている。体育館の大きな扉を開けると、ワックスの匂いと、どこか湿った空気が漂ってきた。
……ドン。
二人は足を止めた。
今、確かに音がした。
バスケットボールを床に叩きつけるような、鈍い反響音。
「ほら、やっぱ誰かいるんじゃ……」
直人の声が震える。
音は、体育館の奥――倉庫の方から聞こえていた。
ドン。
ドン。
一定のリズム。まるで、誰かがひとりでドリブルの練習をしているように。
修司は無理やり笑った。
「見に行けばわかるって」
倉庫の前まで来ると、南京錠は外れていた。扉はわずかに開いている。中は真っ暗で、冷たい空気が流れ出ていた。
ドン。
音は、すぐ目の前から聞こえる。
修司は意を決して、扉を押し開けた。
ぎい、と軋む音。
懐中電灯の光が、積み上げられたマット、跳び箱、折り畳まれたゴールポストを照らす。埃が舞い、光の筋が白く浮かぶ。
音は、止んでいた。
「……誰もいないじゃん」
その瞬間。
ドン。
真後ろで音が鳴った。
振り向くと、床にひとつのバスケットボールが転がっている。さっきまでそこには何もなかったはずだ。
ボールは、ひとりでに跳ねた。
ドン。
修司の喉が鳴る。
ありえない。
誰も触れていないのに、ボールはまるで見えない手に操られるように、規則正しく跳ね続けている。
ドン。
ドン。
ドン。
やがてリズムが速くなる。
ドドドドドド――!
懐中電灯が激しく揺れ、光が天井を走る。そのとき、梁の上に「何か」がいるのが見えた。
逆さまの顔。
長い髪が垂れ、白い目がこちらを見下ろしている。
それは、笑っていた。
「……返して」
かすれた声が、倉庫いっぱいに広がる。
「わたしの、ボール……」
直人が悲鳴を上げた。
「逃げろ!」
二人は扉へ駆け出す。しかし、扉は閉まっていた。さっきまで開いていたはずなのに、びくともしない。
ドン。
ボールが、修司の足元に跳ねてくる。
「返して」
声は、すぐ背後で囁いた。
振り向いた瞬間、修司の視界いっぱいに、あの逆さまの顔があった。
天井から、ぶら下がったまま。
白い目が、至近距離で見開かれる。
「あなたが、持っていった」
修司は叫んだ。
「知らない! 俺じゃない!」
ドン。
ボールが、彼の胸に叩きつけられる。
次の瞬間、倉庫の中は静まり返った。
翌朝。
体育館倉庫の前で、修司のスニーカーが揃えて置かれているのが見つかった。
中には、誰もいない。
ただ、床の中央に新しいバスケットボールがひとつ。
そして、壁に無数の手形。
小さな手形が、びっしりと。
その日からだ。
夜の体育館倉庫では、ドリブルの音が二つになったという。
ドン。
ドン。
今も、誰かが練習している。
ボールを、返してもらうために。