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放課後の図書室は、音が沈む。
ページをめくる音さえ、布で包まれたみたいにやわらかくなる。
古い木の棚が天井まで並び、窓から差し込む夕陽が、埃を金色に浮かび上がらせていた。
その学校の図書室には、ひとつ奇妙な決まりがあった。
「閉館後、本を開いてはいけない」
理由は誰も教えてくれない。ただ、司書の先生は毎日決まった時間になると、生徒を急かすように帰らせ、最後に必ず全ての本が閉じているか確認するのだった。
二年生の栞は、本が好きだった。
家に居場所がない彼女にとって、図書室は唯一、安心できる場所だった。だからその日も、閉館時間ぎりぎりまで席を立たなかった。
「もう時間よ」
司書の先生の声がする。
「はい、すぐ出ます」
そう答えたものの、栞は棚の奥で見つけた古い一冊が気になっていた。
背表紙にタイトルはない。黒い革張りで、ひどく冷たい。
誰にも見つからないように、その本を制服の下に隠した。
夜。
どうしても気になって、栞は再び図書室に戻った。
鍵は、なぜか開いていた。
中は真っ暗で、窓から差す月明かりだけが床を照らしている。
胸が高鳴る。
机に本を置き、ゆっくりと開いた。
ぱらり。
ページは真っ白だった。
「……なに、これ」
次の瞬間。
文字が、にじみ出るように浮かび上がった。
――あなたは、ここにいる。
栞は息を呑んだ。
ページがひとりでにめくれる。
――あなたは、本を開いた。
――あなたは、もう帰れない。
バタン!
背後で音がした。
振り返ると、図書室の扉が閉まっている。
鍵の回る音。
カチリ。
「先生……?」
返事はない。
代わりに、棚の奥から、かすかなざわめきが聞こえた。
さささささ……
ページをめくる音。
一冊、また一冊と、本が勝手に開いていく。
閉じていたはずの本が、すべて。
無数のページが風もないのにめくれ、紙の音が波のように押し寄せる。
ささささささささ……
栞は本を閉じようとした。
だが、閉じない。
ページが指に吸いつくように張り付き、離れない。
本の中の文字が変わる。
――あなたは、読まれている。
ぞくりと背筋が凍る。
棚の本すべてに、目があった。
ページの隙間から、黒い瞳がこちらを覗いている。
「いや……」
後ずさると、足が何かにぶつかった。
振り向く。
そこには、椅子に座った誰かがいた。
制服姿の、少女。
顔は本で隠れている。
ゆっくりと、本が下がる。
そこにあったのは――
顔のない、真っ白な肌。
何もないはずの部分から、声がする。
「あなたも、物語になる?」
少女の手が伸びる。
指先は紙のように薄く、触れた瞬間、栞の腕がざらりとした感触に変わる。
皮膚が、紙になっていく。
「やめて!」
必死に叫ぶ。
そのとき、机の上の本が最後のページを開いた。
――完。
図書室の灯りが、ぱちりと点いた。
翌朝。
司書の先生は、棚に一冊増えていることに気づいた。
黒い革張りの本。
背表紙には、金色の文字。
『栞』
先生は静かにそれを棚へ戻す。
そして呟く。
「だから、閉館後に本を開いてはいけないのに」
その夜もまた、図書室では誰かが読む。
そして、読まれる。
ページをめくる音は、今日も止まない。
さささささ……