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その日、空が紫に染まった。
「――選定、完了しました」
全世界に、声が響いた。
そして、名指しされたのは――
「トアルコ・ネルン。あなたを、魔王と認定します」
「……え?」
街の片隅。目立たぬ路地裏の花屋で、じっと鉢植えに話しかけていた男がいた。
彼の名は、トアルコ・ネルン。
くしゃっとした茶色の髪に、細く優しげな目元。体格は普通だが、どこか“常に縮こまっている”ような姿勢が目を引く。
店主には「今日も掃除ありがとうね」と言われ、犬には「よくわかんないけどあの人安心する」と尻尾を振られる、そんな男だ。
「ま、魔王? いやいやいや……何かの間違いじゃ……すいません、僕よりもっと適任が……!」
彼はひとり、路地裏で土下座していた。
――誰にともなく。
しかし、事態は容赦なく進む。
彼の背後から、黒い紋章のような種子が浮かび上がり、皮膚に染みこむように刻まれた。
> “これより、世界はあなたを魔王と認識します”
その瞬間、空気が変わる。街の人々の目が、不意に彼を敵と定めた。
「まって! ぼ、僕は何も! 本当に……!」
彼は逃げた。道を外れ、崖を越え、森を走り抜けた。
ずっと、ずっと、謝りながら。
森の奥。大木の根元で、ようやく彼は座り込んだ。
「どうして……僕なんだろう……」
ポツリと、呟いたその声には、怒りも憎しみもなかった。
ただ――
「……誰も、悲しまなきゃいいのにな」
涙をこぼす小さな花に、彼はそっと手を添えた。
指先から流れ出る力が、それをふわりと蘇らせる。
彼の“魔王の力”は、破壊ではなかった。
それは、「心からの願い」だけに反応する奇跡だった。
こうして、世界一臆病で、世界一腰の低い魔王が誕生した。
彼はまだ知らない。
これから出会う者たちが、
その“優しさ”によって、少しずつ変わっていくことを――