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第1話:魔王、決まる


その日、空が紫に染まった。


「――選定、完了しました」


全世界に、声が響いた。


そして、名指しされたのは――


 


「トアルコ・ネルン。あなたを、魔王と認定します」


 


「……え?」


 


街の片隅。目立たぬ路地裏の花屋で、じっと鉢植えに話しかけていた男がいた。


彼の名は、トアルコ・ネルン。

くしゃっとした茶色の髪に、細く優しげな目元。体格は普通だが、どこか“常に縮こまっている”ような姿勢が目を引く。

店主には「今日も掃除ありがとうね」と言われ、犬には「よくわかんないけどあの人安心する」と尻尾を振られる、そんな男だ。


 


「ま、魔王? いやいやいや……何かの間違いじゃ……すいません、僕よりもっと適任が……!」


彼はひとり、路地裏で土下座していた。


――誰にともなく。


 


しかし、事態は容赦なく進む。


彼の背後から、黒い紋章のような種子が浮かび上がり、皮膚に染みこむように刻まれた。


> “これより、世界はあなたを魔王と認識します”




その瞬間、空気が変わる。街の人々の目が、不意に彼を敵と定めた。


 


「まって! ぼ、僕は何も! 本当に……!」


 


彼は逃げた。道を外れ、崖を越え、森を走り抜けた。


ずっと、ずっと、謝りながら。


 




森の奥。大木の根元で、ようやく彼は座り込んだ。


「どうして……僕なんだろう……」


ポツリと、呟いたその声には、怒りも憎しみもなかった。


ただ――


 


「……誰も、悲しまなきゃいいのにな」


 


涙をこぼす小さな花に、彼はそっと手を添えた。


指先から流れ出る力が、それをふわりと蘇らせる。


 


彼の“魔王の力”は、破壊ではなかった。


それは、「心からの願い」だけに反応する奇跡だった。


 


 


こうして、世界一臆病で、世界一腰の低い魔王が誕生した。

彼はまだ知らない。


これから出会う者たちが、

その“優しさ”によって、少しずつ変わっていくことを――

魔王ですが世界征服は予定にありません。

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