物心がついた頃には、母と二人暮らしだった。
父は知らない。
私が小学生になった頃に、しーちゃんが離婚したことは覚えている。
でも父は知らない。
母に、父について聞いたことはあるけれど、それが母を困らせる質問だと毎回感じた。
少し頭を働かせてしーちゃんに聞いてみたこともあるけれど、同じような空気を感じた。
二人に何度か聞くうちにポロリと漏れる言葉たちから、父はどこかにいるけれど母と結婚出来なかったのだと想像していた。
それを確信したのは、母が病気で亡くなる直前だった。
すでにダンスに夢中だった私と、妹のしーちゃんを座らせた青白い母が、病室のベッドの上で通帳を見せた。
3年生になったばかりだった私に金額が理解出来たわけではないけれど
「才花の父親から預かっているお金が十分にあるから、ダンスも他のこともお金がないからと諦めることはない。しーには迷惑を掛けるけれど才花をお願いします」
そんなことを母は言った。
それからしーちゃんは、私のスクールの送迎や大会への付き添いなどに時間を費やしてくれて、本当に感謝している。
中学生の頃には、私のやっていることにはすごくお金がかかっていることも理解していた。
だけどしーちゃんは
「まだ大丈夫。ちゃんと才花のお金の範囲内だよ」
と笑いながら最初の世界大会にはついて来てくれた。
そして4年前、高校の卒業式が終わったあと私はしーちゃんに
「私の通帳を見せて」
とお願いした。
「自分のお金を自分で管理して、アルバイトとダンスを続けたいから。しーちゃんは人生の9年間をまるごと私にくれたでしょ?これからはしーちゃんも自分の好きなことを優先して欲しい。私を一人で海外に行けるくらい逞しく育ててくれてありがとう」
「才花のおかげで全国あちこちに行けたし、海外旅行も楽しめたし、才花のためだけの9年間というのは違うわよ。学校からの保護者呼び出しとか、貴重な経験させてもらったしね」
「ごめん、ごめん。貴重な経験って言う割には…一度ではなかったよね」
「親になったって経験しない人もいるでしょ?」
「そういう方向か…そうだね」
「理由はいつも同じだったから、だんだんとこっちも対応慣れしてね。うふっ…最後なんて‘校則で才花を縛って、世界へ羽ばたく生徒の可能性を潰すと?それがここの教育者の方針でしたら、私は親としてこんな教育より世界で学ばせる方を迷わず選びます’って…気持ち良く言ったわよ」
私は学校の勉強は得意ではなかったけれど、しーちゃんが
‘課題や提出物はきちんとやりなさい。それをサボってネイルをして学校に行くとただの遊んでいる生徒だけど、やることをきちんとやってネイルしようが、ピンクのメッシュを髪に入れようがかまわないわ。目的がはっきりしていて、それが終わればちゃんと取って行くのだから’
と年中言ったんだ。
「はい、才花の通帳」
「これは?」
「出来るだけ、明細を残そうと思って。大きな金額は控えてあるから」
通帳と一緒に、同じサイズの手帳が私の前に置かれた。
コメント
1件
2人は同じ目標に向かって走ってたんだね✨ お母さんから預かった通帳などきちんと管理してくれててよかった。使い込みとかしてなくて。お父さんから才花ちゃんのために預かっているお金、送金されていたのかな?🥺