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翌朝、少し遅めの朝食を家族と摂った後は、帰省した時にしか使わなくなった二階の自分の部屋へと行く。時計を見ながら荷物をまとめ、身支度をすませる。塚本からは先ほど、これからチェックアウトするという連絡があった。ぼちぼち出かけようかと荷物を持って階下へ降り、家族に挨拶をするためにリビングへ行く。
テレビを眺めていた兄が首を回して声をかけてきた。
「美祈、やっぱり駅まで送ろうか。こっちに来た時だって迎えに行ったんだから、車出したって構わないぞ」
ちょうどキッチンから出てきた母も兄の言葉尻に続く。
「悠生が乗せていくって言ってくれてるんだから、甘えたらいいのに」
私は首を横に振った。塚本と待ち合せていることを隠す必要はないのだろうが、彼が異性であることで余計な想像をされたくはなく、そのためさらりと答える。
「ありがと。でも大丈夫だよ。バス停まですぐだし。それに、たまには街を眺めながら、バスでっていうのもいいかと思って」
「ふぅん?」
母が怪しむような目で私を見た。
イケナイ嘘をついているわけではないが、何となく気が引けて、私は愛想笑いを浮かべる。
「そろそろ時間だから、私、行くね。お父さんもまたね」
「もう行くのか。また帰って来いよ」
「うん」
私はそそくさと玄関に向かい、靴を履く。後ろに着いてきた三人に笑顔を見せて、実家を後にした。外に出てからは真っすぐ待ち合わせ場所に向かう。
書店に着き、私は腕時計に目を落として時刻を確かめた。家を出たのが少し早かったようで、約束の時間まではまだ間があった。かと言って、店の中で雑誌などを眺めているほどの余裕はなさそうだ。それならばと外で待つことにして、店の出入りの邪魔にならなさそうな場所を探す。出入り口から少し離れた所に自動販売機が数台並んでおり、その傍ならあまり目立たず邪魔にもならないだろうと、そこに移動した。
そろそろ来る頃合いだろうかと思いながら駐車場を眺めていると、ちょうど空いていた私の目の前のスペースに、白の乗用車が入ってきた。
フロントガラスの向こうに見えた顔が塚本だと分かった途端、どきりとした。どうも最近の自分は変だ。特に昨夜からはそれまで以上に変だという自覚があった。
そんな自分に戸惑いながら、私は彼の車の方へゆっくりと近づいて行った。
私に気がついた彼はすぐに車から降り、にっこりと笑う。
「待った?」
屈託のない彼の笑顔を前に、私はまたしてもどきりとしてしまった。それに気づかれたくなくて、表情を隠すために目線を彼の足元に向けながら答える。
「さっき来たところ」
「なら、よかった」
「えぇと、今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ。さてまずは、荷物を預かるよ。後ろの席に乗せておくから」
彼の手が荷物を持つ私の手へと伸ばされた。
「自分で乗せるわ」
「俺がやるよ。貸して」
再び、「でも」と言いかけてはっとした。車の種類などに疎い私の目にも、高そうに見える車だ。このピカピカの車体に傷でもつけたら大変だと思い、私は塚本に荷物を預ける。
「やっぱりお願いします」
彼は私から受け取った荷物を、丁寧な手つきで後部座席に置いた。後ろのドアを閉めた後は助手席のドアを開けて私を促す。
「どうぞ。乗って」
「お邪魔します」
私は恐る恐る慎重に車に乗り込んだ。
「さて、早速行ってみようか」
運転席に乗り込みシートベルトを締め終えた彼は、私の顔を見た途端に不思議そうな顔をする。
「今日の遠野さん、なんか大人しくない?もしかして緊張してるの?」
「だって、この車、外も中も綺麗でピカピカなんだもの。傷つけたらどうしようとか、靴のまま乗っちゃってよかったのかなとか、色々考えちゃって……」
塚本の顔に苦笑が浮かぶ。
「大人しかったのはそれが理由?狭い空間に俺と二人きりになることに緊張してるのかと思ったんだけど、違うのか。ちょっと残念だな」
「え……」
冗談か本気か捉え難い彼の言葉に戸惑い、私は彼の顔をまじまじと見つめた。
彼は私の視線を受けて慌てたように前を向く。
「えぇと、とにかくそんなの気にしなくていいから。行くよ」
「う、うん」
私の目に映った彼の耳は赤く染まっていた。自分が言ったセリフに照れたのか、あるいは他に理由があるのか、彼の本心を探りたくなったが、やめた。なぜなら彼から伝染したかのように、私の顔までもが火照り出したからだ。それに加えて、胸の奥では鼓動が連続してどきどきと打ち出した。早く気持ちを落ち着かせようと、私はさり気なさを装って窓の外に目をやった。
目的地に向かって車を走らせる塚本は、運転に集中しているためか、いつもと違って口数が少なかった。
その隣の助手席で、私もまた、なぜかいつものように気楽な感じで彼に話しかけることができず、後ろに流れていく街並みをぼんやりと眺めていた。
「見えてきたね」
塚本の声に私は前を向いた。
徐々に近くに見えて来る母校の外観は、当時とほとんど変わっていないようだ。
塚本は校門の手前でウインカーを出し、外壁に沿って車を停めた。
「どうする?降りてみる?」
おかしな言い方をするものだと、私は首を傾げた。
「降りて、グラウンドとか、その辺を見て歩きたかったんじゃないの?」
「あぁ、まぁね……」
塚本の歯切れが悪くなった。
「俺としては、ここから見ただけでもいいかな、というか。実は、もうだいぶ満足してる、というか……」
「え?そうなの。まぁ、塚本さんがいいなら、私は全然構わないけど」
元々ここに来たいと言っていたのは塚本だ。その本人がそれでいいのなら、私に反対する理由はない。しかしそれなら、わざわざ私を誘う必要はなかったのではないかと疑問が浮かぶ。そのことを訊いてみようと口を開きかけたが、それよりも先に、彼が感慨深げに言う。
「あの頃の俺は、こんな風に遠野さんと一緒にいることなんて、全然想像できなかったな……」
「確かにね」
それは私も同様だ。当時のことを思い出して苦笑する。
「塚本さんったら本当に無口で、隣の席だっていうのに、話しかけても『うん』とか『あぁ』くらいしか言わなかったよね。嫌われてるのかと思うくらいだったわ」
「前にも言ったと思うけど、どう接したらいいか分からなかっただけだよ。嫌うどころか、むしろ本当は……」
言いかけて、塚本ははっとしたように口をつぐんだ。
いつだったかの会話の中で、私と仲良くなりたいと思っていた、と彼は言った。それをそのまま言えばいいだけのはずだ。それなのに、なぜそこで言葉を止めるのか。その理由を求めて見た彼の顔に、昨夜言葉を飲み込んだ時と同じ表情が浮かんでいた。そのことに気づいた途端に心がそわそわし始め、私は彼から目を逸らした。
私の戸惑いに気がついて、彼は気を取り直したかのように声を明るくして言う。
「さて、と。向こうに戻るとするか」
「そ、そうね」
塚本に調子を合わせるように、私は作り笑いを浮かべて頷いた。
帰路に向けて彼が車を発進させた時、私のバッグの中でスマホの通知音が鳴る。
「あ、マナーモードにするのを忘れてたわ」
「別に構わないよ。どうぞ」
「ありがとう。じゃあ、ちょっと失礼して」
彼に礼を言って、私はスマホを取り出した。兄からメッセージが入っていた。早速それを開いて文面を目にしてすぐ、私はぼそりとつぶやく。
「すっかり忘れてた……」
「大丈夫?何かトラブル?」
「あ、いえ、そういうんじゃなくて」
私は苦笑いを浮かべる。
「親戚がね、今日私に見合い写真を持ってくるって言ってたこと、完全に頭から抜けていたの」
「見合い?」
間髪入れずに塚本が鋭い声で訊ねた。
彼の反応を不思議に思いながら私は答える。
「うん。もともとそういう話が来ていたんだけど、今日直接私を訪ねるからって言われてたことを、うちの親たちに言ってなかったのよね。そのことで今、兄から連絡があったの。どうするんだ、って。……わっ!」
突然スマホの着信音が鳴り響いて驚いた。
伯母からだ。
スマホは私の手の中で、早く出ろと言わんばかりに鳴り響いている。
今ここで電話に出るのは、塚本に迷惑がかかる。後々の伯母のお叱りを覚悟して、私はえいっとばかりに電話を切り、素早く設定をマナーモードに変更した。
「出なくて大丈夫なの?」
「うん。向こうに帰ってから、かけ直すわ」
用件は見合いの件に決まっている。
伯母は今日、話を進める気満々で私の実家を訪ねたはずだ。ところが私は不在だった。家族からもう帰ったと聞かされて、直接電話をかけてきたのだろう。
今回は、とりあえずは逃げるつもりはないのにと、私は苦笑する。夜に私から連絡を入れることを伯母に伝えてほしいと、慌ただしく兄に返信した。
返信した途端、再び伯母から電話があった。すでにマナーモードに変えてあったから、今度は数コールの後に留守番電話に繋がったはずだ。伯母の不機嫌な顔が目に浮かぶ。この後兄に送った内容が伝わるはずだが、マンションに戻ったら、早めに折り返しの電話をかけた方が良さそうだ。
苦笑しながらバッグにスマホを仕舞い込んでいると、塚本が何かつぶやいた。
ちょうどその時、近くで救急車のサイレンが聞こえ、彼の声をかき消した。
「ごめんなさい、今何て言ったの?」
「いや、何でもないよ」
塚本は曖昧に笑い、前方に見える交差点に向かって軽くアクセルを踏んだ。