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掌にカップの温かさを感じながら、葉月はふぅっと息を吐いた。ため息ではなく、やり切った感から自然とこぼれ出た吐息だった。マラソンでいうところのランナーズハイとはこんな気分なんだろうか。達成感に満ちていた。
魔力疲労を起こして駆け込んだベルの元で疲労回復効果のある薬草茶を淹れてもらい、少し元気が出てきた。その後、マーサからも請けてしまった魔石の分もやり終えて、ようやく一息ついたところだ。
「ふふふ。随分と頑張ったわね」
「もう、クタクタ……」
葉月の成長が嬉しくて仕方ないといった風に、ベルは優しく微笑む。日増しに流れも安定して魔力量もめまぐるしく増えているのが見て取れるので、次は何を教えてあげようかと考えると楽しみでしょうがない。
これまでも魔力が芽生えた子供を弟子入りという名目で預かったことはあったが、どの子も思ったよりも早い内に限界が見えてしまい、大したことは教えてあげられなかった。技術を教えても魔力量が足りなければ使えないし意味がない。
過去の弟子の中で、魔力補充を休みなく三つ連続でやり遂げられるような魔力持ちはいただろうか?
「少し休んだ方がいいわね。もう飲めないでしょう?」
「お腹タプタプで、もう無理……」
お茶の回復効果には限度がある。横になって身体を休めていれば自然と元に戻るのだから、たまには大人しくしていなさいと諭す。
この館に来てから、葉月が何もしないでぼーっとしているのは見たことがない。もしかすると単純にそういう性分なだけなのかもしれないが、マイペースなベルからしてみれば頑張り過ぎているようにしか見えなかった。
「今日はもう部屋から出ないこと。食事はマーサに運んで貰うから、養生なさいな」
「えーっ、そこまでですかぁ」
葉月の飲みかけのカップを取り上げて、さあさあと背中を押して作業部屋から追い出した。渋々といった足取りで階段を上っていく彼女の後を、愛猫も付いていくのが見える。便乗して、くーも一緒に寝るつもりのようだ。
「ふふふ。仲がいいわねぇ」
一人と一匹の姿を見送ると、森の魔女は作業部屋の中へと戻る。そして、窓の外へ向かって魔力を飛ばした。
「しばらく後で良いから」
囁くように呟くと、作業台の引き出しを開けて紙とペンを取り出す。首を傾げて少しの間は考えていたが、思いついたようにペンを走らせた。書き終わってペンを片付けているところに、結界が揺らぎ、契約獣の羽音が聞こえて来る。
ベルの居る部屋の窓の外に降り立ったオオワシのブリッドは、中に主の姿を見つけて嬉しそうに一鳴きした。窓が開くと、早足でそばまで駆け寄ってくる。
「ギギィ」
「ご苦労様、ブリッド。この手紙を届けて欲しいの」
そう言うと、先ほど何かを書いていた紙を細長く折り畳んで、ブリッドの口ばしに加えさせた。そして、オオワシの頬を優しく一撫ですると、飛び立つように合図する。
道が開通してからは庭師のクロードが来る度に荷物を運んでくれるので、物資のやり取りにオオワシを使わなくても良くなってはいたが、急ぎの手紙などはブリッドを呼ぶ方が確実で早い。
バサッ、バサッ。
力強い羽音を立てて飛んで行くブリッドの姿が見えなくなるのを確認してから、魔女は再び調薬の作業へと戻った。
集中して薬作りする日が続いていたおかげで、部屋の端に積まれた木箱は随分と減っていた。でもまだゼロという訳でもないし、追加納品分の空瓶は順次届いている状態だった。サボり過ぎていた過去の自分が恨めしい。
手紙の返事が届くのが先か、それとも納品が終わるのが先かという考えが浮かんでみたけれど、全く勝てる気がしなかった。
諦めて、調合が完了した薬を空瓶へと注ぎ入れる作業に没頭する。蓋をして種類ごとに木箱に並び入れていき、箱がいっぱいになったら部屋の扉前に出して積んでおく。そうするとクロードが荷馬車に乗せて街まで運んでくれるのだ。
当初は庭師は週一で来ると聞いていたが、館の状態が落ち着くまでは結構な頻度で来るつもりのようだった。今も時折、外から老人の鼻歌が聞こえてきていた。
朝のうちに作り終えた分の瓶詰作業が終わった頃、マーサが昼食を知らせに扉を叩いた。
「葉月の分は部屋に運んでくれるかしら」
かしこまりました、とマーサは葉月の分をトレイに乗せて二階へ向かっていった。
一人残されたベルは、ガランと広いホールを見渡しながら、一人で食べるのが久しぶりなことに気付く。
ここ何日かで生活が随分と変わってしまった。でも、一人きりで散らかった館での生活は遠い昔のことのように思えてくる。ほんの少しだけ前のことなのに……。
ふとテーブルの上を見ると、手紙が置いてあるのが目に入った。ベル宛になっているので、今朝クロードが運んで来た荷物に入っていた物なのだろう。朝食の時には渡し忘れていたのだろうか。
「……ジョセフ、からね」
差出人の名を確認すると、封も開けずにそっとテーブルに置き直した。これは見なかったことにしよう……。