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#ハッピーエンド
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洞窟の天井から、ぽたり、ぽたりと水滴が落ちる。一定じゃない。そのたびに耳が拾ってしまう。
焚き火がぱちぱちと弾け、音の隙間を埋めた。
火の上には、いくつもの串が並んでいる。
ダリウスが手際よくそれを回し、指先で塩と香草、砕いた胡椒をつまんで振りかけると、表面に浮いた脂がじゅうっと音を立ててはねた。
パリッと焼けた肉の表面から、透明な肉汁がじわりとにじみ出し、熱で細かく揺れている。
スパイスが焦げる香りは、焚き火の煙と混じり合い、さっきまで冷えて湿っぽかった洞窟の空気を、いっぺんに「飯の匂い」の空気に塗り替えていく。
「……で、ダリウス。さっきのはなんだったんだ?」
焚き火の向こうで、オットーが素足を火に向けて温めながらぼやいた。
つま先が真っ赤だ。痛そうなのに本人は目を細めて、息を長く吐く。
隣でミラは毛布にくるまり、鼻先だけ出してもぞもぞしていた。くしゃみを堪えるみたいに肩が小さく跳ねる。
「そうだよダリウス! なんかこう——」
ミラが毛布からぬっと顔を出し、両手で謎のポーズを取る。
「『ふふふ……あなたの攻撃パターンは、すべてこのミラ様の脳内に記録されているのだ!』みたいな感じだった!」
「いや、誰だそれは」
ダリウスは吹き出しそうになりながらも、串をくるりと返した。焼けた面が火に当たり、また脂が跳ねる。
「『ミラ様』じゃなくて俺が動いてたんだが……」
「細かいことはいいの! でも本当に、そんな感じに見えたんだよ。
ミノタウロスの攻撃ぜーんぶ『はい、次これ来るでしょ』って避けてる感じ!」
ミラが興奮気味に身振り手振りで再現する。毛布がずるずる落ち、肩が露出する。寒さに気づいて、慌ててまた引き上げた。
「……いや、正直なところ、俺にもよくわからないんだ」
ダリウスは少し真面目な顔に戻る。串を一度火から外し、焼き具合を目で確認してから戻した。
「気づいたらな、相手の動きがやたら遅く見えてきてさ。
頭の中がやけに静かで、先に“こう来る”ってのが分かる、みたいな……」
言い終えたあと、ダリウスは自分の左手を見た。指の付け根に乾いた血の筋。こすっても落ちない。
視線を戻し、串の間隔を揃え直す。
エドガーが焚き火の明かりで魔導書をぱらぱらとめくりながら口を挟む。ページを押さえる親指に、うっすら煤がついた。
「昔読んだ本に、似た話がありましたね。
極度の緊張と、極度の脱力が同時に噛み合った時……『超集中状態』と呼ばれるものに入ることがあるそうです」
「超集中……?」
ダリウスは串を一本ずつ配る。熱い。指先で持ち替え、落とさないように慎重に手渡した。
「そんな大層な名前で呼ばれるほどのもんかね」
「事実、大層でしたよ」
エドガーは淡々と言う。視線はまだ魔導書の行間に残っている。
「怪物相手に、あの間合いで生きていられる人間は、そうそういません」
オットーは説明そっちのけで串にかぶりついていた。口いっぱいに肉を詰め込み、慌てて飲み込む。
「んぐっ……ごほっ……んん! ……確かにあれは神がかってたぞ!」
「……神がかってたって言われると、妙にむず痒いな」
ダリウスは肩をすくめ、焚き火の炎を見つめる。炎の向こうで、串の焼け具合だけがきっちり見えた。
「……ただ、なんとなくだがな。超集中の……もう一段先がある気がする」
「先?」
ミラがもぐもぐしながら首を傾げる。口の端に胡椒がついている。
「またあの状態に入れるかどうかも怪しいくせに、欲張りですね」
エドガーが少しだけ笑った。笑いはすぐ引っ込む。代わりに、ページを閉じる指が丁寧になる。
「ともかく、あの状態を“前提”に戦術を組むのはやめておいた方がいいでしょう。
『ないもの』としてプランを立てて、それでも勝てる形を考えた方がいい」
「だな」
ダリウスもうなずく。串を口に運び、噛む。歯が肉を裂き、脂が舌に広がる。短く息を吐いた。
焚き火の赤い光がオットーの顔を照らした。
彼は串を持ったまま、少し俯いている。噛む動きが一度止まり、眉だけが寄った。
「……あと、登山の時はオットーの腰のケアもしないとな」
「めんもくねぇ……」
オットーが珍しく、しょんぼりとした声を出した。串を膝の上に置き、腰のあたりに手を当てて指で押す。顔が一瞬だけ歪む。
「あれはほぼぎっくり腰ですよ。年相応に自覚を持ってください」
エドガーは目線をそらし、続けた。声の調子が少しだけ落ちる。
「……次から、荷物は……私も半分持ちます」
「おお、エドガーが優しい……雪でも降るのか?」
「えぇ、がっつり降ってましたよねさっきまで」
ダリウスが軽口を叩くと、エドガーがため息混じりに返す。
オットーが小さく鼻で笑い、串をまた掴んだ。
ダリウスも串をかじりながら言葉を足す。
「俺も持つさ。
よく考えたら、盾と斧だけでも相当な重量だ。あの中でシールドバッシュ連発させたのは、こっちの采配ミスだよ」
「……そう言ってもらえると、少しだけ気が楽だな」
オットーは焚き火を見つめ、小さく笑った。笑いが終わったあと、肩が一度だけ落ちる。
その会話を聞き流していたのか、ミラが突然、別の疑問を投げる。
「ねぇ、話は変わるんだけどさ」
「ん?」
「ダンジョンのお宝箱って、なんでみんなスルーなの?
魔物の素材とかも売れるんでしょ? お金、もったいなくない?」
エドガーはあっさり答える。ページの端をそろえ直しながら。
「私は特に、お金に困っていませんからね……。
研究に必要な範囲は、とっくに賄えていますし」
「俺もだなぁ」
オットーが寝転がり、頭の後ろで手を組む。腹が上下して、毛布がずれる。
「引退した時の貯えがあるからよ。酒とつまみ程度なら、一生困らねぇ」
「……」
ミラの眉が八の字に曲がる。串を持つ手が止まる。
ダリウスはくすりと笑い、ミラを見る。
「そういうことだ、ミラ。
荷物がこれ以上増えたら、そのぶん動きが鈍るだけだ」
ダリウスは言いながら、鍋の位置を少しずらした。火の強さを均し、煙の流れを変える。
「俺たちの目標は、宝箱でも魔物の素材でもなく——塔の最上階にある薬だ。
それを手に入れられれば、それでいい」
「……うーん」
ミラが頬をふくらませる。目線は鍋と串の間を行ったり来たりする。
「なんか、やっぱりもったいないと思うんだよね……」
ぶつぶつ言いながらも、手はしっかり串に伸びている。噛む音が、さっきより小さい。
食事がひと段落すると、ダリウスは立ち上がった。焚き火の周りを片付け始める。
皿を重ね、鍋の蓋を確認し、スープの残りを寄せる。
「よし、皿はこっちに……スープの鍋はあとで湯を足して……」
「なぁミラ、 ちょっとこっち来い」
オットーが声を潜めて呼びかける。テントの裏側へ手招きした。焚き火の光が薄い場所だ。
「ん? 何?」
ミラが小走りで近づく。
その背中を追うように、エドガーもこそっとついてきた。
オットーは周囲をちらりと確認し、腰のあたりから小さな革袋を取り出した。
「ダリウスには内緒だぞ」
袋の口を開く。中身が重みでずるりと寄り、宝石や指輪、装飾の留め金がぎっしり見えた。
光を拾って、きらりと瞬く。音はしないのに目だけが騒ぐ。
「わ……!」
ミラの目が一気に明るくなる。口が半開きになったまま固まる。
「すごい……!」
「俺たちが宝箱をスルーしてたと思ったか? するわけねぇだろ」
オットーがニヤリと笑う。声は低いのに、妙に弾む。
「見つけた時に、換金しやすそうなもんだけ、こっそり抜いておいたのさ」
ミラが袋の口に指先を近づけ、触れないギリギリで止めた。勝手に触ったら怒られそう、という顔だ。
「私も」
エドガーが別の小袋を取り出す。中には丁寧に包まれた魔物素材がいくつも詰まっている。
包み紙の端がきっちり折られているのがエドガーらしい。
「魔物の素材を少しずつ集めておきました。
ここを出る時、まとめてミラに渡します」
「え、 本当に!?」
ミラが二人の顔を交互に見る。嬉しさで頬が上がるのに、声を抑えようとして変な音になる。
「でも、なんでダリウスに内緒なの?」
「はぁ……」
オットーが深く息を吐いた。
「あいつに言ったら、まず間違いなく『受け取らない』からだよ」
「ダリウスらしいですね」
エドガーが苦笑する。
「他人にはやたら優しいくせに、自分には驚くほど厳しいんです。
引退の時だってそうでしたよ——『俺はこんなにもらう資格はない』って言って、功労金を突き返そうとしたんですから」
「えっ……そこで受け取らないの?」
「そう。だから、結局みんなで相談して“後から郵送”しました」
エドガーは肩をすくめる。
「そしたら今度は、丁寧すぎるお礼の品が全員に返ってきましてね。
あれはあれで、処理に困りました」
ミラが唇を噛んで笑いを堪える。すぐ真面目な顔に戻る。
「……ダリウスって、ほんとそういうとこあるわよね」
言いながら、袋の重みを想像するように自分の掌を握る。
「だから、これは“内緒”なんだ」
オットーは小袋をミラの手に握らせる。冷えた革が指に当たる。ミラの握力が強くなる。
「ここから出る時、お前が換金してくれ。
必要な時に、必要な分だけ——自分のために、あるいは……あいつのために、使ってくれ」
「……うん」
ミラはぎゅっと袋を握りしめた。喉が一度鳴る。
その時。
「おーい、 何こそこそ話してるんだ?」
テントの向こうからダリウスの声が飛んできた。
三人がびくっと肩を跳ね上げる。
ミラは反射で袋を背中に隠す。動きが速すぎて逆に怪しい。
「なななななな、 なんでもないよ!!!」
ミラが挙動不審な動きで両手をぶんぶん振る。毛布がずれて、また鼻水が垂れそうになる。
オットーは平然を装い、ニヤリと笑った。
「ちょっとな、 恋の相談に乗ってやってただけだよ。
大人のビターな意見ってやつをよ、 教授してたんだ」
「保護者には言えない悩みもありますからね。お年頃ですよ」
エドガーも目を閉じ、肩をすくめてみせる。言い終えたあと、口元がわずかに引きつる。
「……そうなのか?」
ダリウスは首を傾げつつも、それ以上は追及しなかった。代わりに鍋の方へ戻り、湯を足す準備を始める。
ミラは二人の顔を見て、ふっと笑う。口角だけが上がり、目が少し潤む。すぐ毛布で鼻先を隠した。
「みんな、ありがとね」
それが、宝石のようにきらめく感謝なのだと、焚き火の明かりがそっと教えてくれていた。