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二十階層——ボス部屋前。
山頂付近の洞窟を抜けた先は、ぽっかりと空いた広大な空間だった。天井は見えない。壁際の松明だけが等間隔で並び、ぱちぱちと爆ぜている。
正面に黒い扉が立っていた。高さがある。首を反らしても上端が暗闇に溶ける。
「……ふぅ。着いたな」
ダリウスは肩から荷を下ろし、短く息を吐いた。外套の留め具を外す指が一度もたつく。すぐ直す。
「野営にしよう」
その一言で、四人が散った。動きが早い。言葉は少ない。
オットーは無言でテントを組み立てる。杭を打つたびに肩が揺れ、最後に腰を押さえて歯を見せた。笑いに見せようとして失敗している。
エドガーは折り畳みの机と椅子を出し、ランプの位置を調整する。光が紙面に落ちる角度を何度も変え、最後に頷いた。
ミラは洞窟の入口から周囲をぐるりと回り、小さな印を確かめて結界をなぞる。指先が空を滑り、時々立ち止まって鼻を鳴らす。
ダリウスは焚き火の前に腰を下ろし、鉄板を据えた。
じゅわ、と油に何かを落とす音。薄くスライスしたニンニクが踊り、香りが一気に立つ。
ミラが結界の印の上で足を止め、鼻だけ先に動いた。
「……いい匂い」
ダリウスは返事をせず、分厚い肉塊を鉄板へ落とす。どさり。
ジュウウウウ——と力強い音が洞窟の天井にまで反響し、脂が弾ける。
溶け出した肉汁がニンニクの香りと混ざり合い、塩と胡椒がぱらぱらと振りかけられた瞬間、香りは一気に暴力的なまでの破壊力を持ちはじめた。
表面はこんがりと焦げ目がつき、端の方はカリッと色づいていく。
しかし肉の中央はまだふっくらと厚みを保ち、ナイフを入れれば柔らかく押し返してきそうな弾力が残っていた。
頃合いを見計らってダリウスが鉄板から肉をすくい上げ、皿に並べていく。
その上に、きつね色に揚がったニンニクチップをどさっと山のように乗せた。
「できたぞ。食べよう」
声をかけた瞬間、三人の視線が皿に吸い寄せられた。誰も否定しない。
エドガーが先にナイフを入れる。刃がすっと入り、赤みの残る断面が覗く。鼻から短く息が漏れた。
「……これは反則ですね」
「いただきまぁーす!」
ミラはもう口いっぱいに頬張っていた。噛むたびに肉汁が出て、ニンニクがカリッと砕ける。頬が丸く膨らみ、目が細くなる。
「んーっ、おいしい……! 身体の中からレベルアップしていく感じがする……!」
「それはよかった」
ダリウスもようやく一口。噛みしめて、飲み込む。喉が熱い。肩が少し落ちた。
オットーはフォークで刺した肉を二回噛んだだけで飲み込み、次へ行く。急ぎすぎて一度むせる。胸を叩いて誤魔化す。
しばらくは咀嚼音と小さな感嘆だけが続いた。松明の爆ぜる音が混じる。遠くの扉は動かない。
ひと息ついたところで、ダリウスが骨付き部分を手づかみでかじりながら口を開く。
「……で、ボス、なんだと思う?」
エドガーはステーキをきれいに切り分けたまま、手を止める。目線が上へ行き、戻る。
「二足歩行系でいけば……イエティでしょうか。
この階層は山と雪でしたし、寒冷地の怪物としては妥当な線かと」
「その場合は——」
ミラがもぐもぐしながら当然のように続けた。口の中がいっぱいで少しもごもごする。
「オットーが大斧で前に出て、私がその周りに簡易結界、だよね?」
ダリウスが目だけで笑う。ミラは照れてまた肉を運ぶ。
「だがよ」
オットーがフォークを指先でくるくる回し、グラスを持ち上げる。飲む。置く。口の端を拭かずに続ける。
「コンラートのじいさん、ドラゴンも出るって言ってたからな。
二足歩行だの何だのに、あんまり囚われすぎねぇ方がいいぜ」
「そうだな……」
ダリウスはオットーの腰へ目を落とす。オットーは気づいて、先に背筋を伸ばそうとして失敗した。すぐ肩をすくめる。
「オットー。……腰の具合は大丈夫か?」
「問題ない」
オットーは頭をかき、わざとらしく笑ってみせる。笑いが途中で途切れ、喉が鳴った。
「コンディションとしては、万全とは言えねぇがな」
「私たちの年齢で、“万全”なんて言える日が残ってると思わない方がいいですよ」
エドガーは言いながら目薬を差す。片手でまぶたを引き、滴を落とし、瞬きを二回。視界を作り直すみたいに瞬きを増やす。
「どこかが痛い。どこかが重い。それが標準装備です」
「夢も希望もねぇな、おい」
「だからこそ、準備とシミュレーションがものを言うんです」
エドガーはナプキンで口元を拭き、ダリウスを見た。
ダリウスはグラスを卓に置き、短く頷く。
「——よし」
焚き火がぱちっと弾けた。火の粉が一つ、暗闇へ飛ぶ。
#ハッピーエンド
26
「十階層のときに想定したパターンに加えて……オットーの腰が逝ってしまった場合も含めて、もう一度シミュレーションしよう」
「おい、そこを“デフォルト想定”みたいにするな」
オットーが即座に噛みつく。声は強いが、腰を庇う手が遅れてついていく。ミラがくすっと笑った。
「でも、たしかに考えておいたほうがいいかも。オットー、重いし」
「おいミラ、そこはフォローしろや!」
笑いが一度起きる。短い。
そのまま声の温度が落ち、机の上に羊皮紙が増え、武器の位置が確認されていく。オットーが盾を置く角度を変え、ダリウスが通路の幅を指で測るふりをし、ミラが結界の手順を指先で空に書く。エドガーは詠唱の短縮パターンを口の中で繰り返し、途中で舌打ちを飲み込んだ。
皿の上の肉は減っていく。匂いは残る。
四人の声は何度も「もしも」を往復した。
*
重い扉が背後で軋みを上げながら閉まっていく。
ギ……ギギギ……バタン。
噛み合う音が腹に落ちた。反射的に肩が上がり、すぐ落ちる。誰も振り返らない。
中央付近の松明が一斉に灯った。橙色が広がり、床石の模様が浮く。
そして“それ”の輪郭が出る。毛並み。牙。目の色。
二本足で立つ、巨大な狼。
黄色い目玉が四人を舐めるように見回す。
「……ワーウルフ、か」
エドガーが小さく呟いた時には、ダリウスは前に一歩踏み出していた。足音が一つだけ響く。
「オットー、斧!」
「了解!」
オットーは大盾を地面に突き刺し、大斧へ持ち替える。肩が鳴る。痛みを無視するみたいに奥歯を噛む。
ダリウスと並ぶように前へ出た。
ワーウルフが唸る。低い。胸の奥を揺らす音だ。
ダリウスが懐へ踏み込む。床石を蹴る音が二つ、三つ。
右腕がぶれた。爪が喉元へ落ちてくる。
「っ——!」
ダリウスは首を引き、半歩だけ滑るように下がる。頬を掠める風。毛先が揺れた。
背後から斧のうなり。
「ぉらぁ!」
オットーの大斧が右腕へ叩きつけられる。鈍い手応えの音。血飛沫。
ダリウスがすぐ踏み込み直し、剣を短く走らせる。
「——っ!」
右腕に斬り込み。深くはない。だが逃がさない。
そのパターンを二度、三度。誘う、引く、入る。斧が叩き、剣が追う。手堅い。地味で、迷いがない。
ワーウルフが吠えた。毛が逆立ち、全身の輪郭が一瞬歪む。
四つ足に落ちた。床石が鳴る。体重が違う。速度も違う。
「形態変化かよ……!」
オットーが舌打ち混じりに吐いた瞬間、ダリウスが叫ぶ。
「オットー! シールドバッシュ!」
「おうっ!」
オットーは大斧を背に戻し、盾へ飛びつく。突き出す。光が張る。
ワーウルフが矢みたいに突っ込んできた。爪と牙がバリアに打ちつけられ、きしむ音が続く。オットーの足が下がる。砂利が鳴る。腰が一瞬沈むが、踏ん張って戻す。
ダリウスが荒い息を吐いた。喉が鳴る。
「……はぁ、はぁ……」
ワーウルフの目がオットーに固定されている。ダリウスの口元がほんの少し上がる。
「……よし。完全に、こっちを向いた」
オットーが返事の代わりに鼻で笑った。
次の瞬間、ワーウルフが動きを止める。黄色い目が、オットーの後ろを測るように走った。
後衛。
エドガーとミラの方角。
「……来るぞ」
ダリウスの声が落ちた直後、ワーウルフは横へ跳んだ。回り込む。速い。
オットーの正面の外へ出た瞬間、ダリウスが床石を蹴って割り込んだ。
「そのパターンも、想定内だ!」
盾を構える。
「《シールドバッシュ》!」
小さな光の盾が展開された。
次の瞬間、牙が食らいつく。
ガギィッ——!
亀裂。ひび。音が走る。
パリンッ!
光が弾け飛ぶ。ダリウスの腕が痺れ、肩が後ろへ持っていかれる。足を踏み直すが、間に合わない。
その隙にオットーが走り込み、後衛前へ滑り込んだ。
「ったく……! 忙しいな!」
「《シールドバッシュ》!!」
厚い壁が再び立つ。ミラが息を吐き、すぐ結界の手を組み直す。エドガーは詠唱を途切れさせず、喉の奥で呼吸を整えた。
ワーウルフが一度止まる。視線がダリウスへ戻る。
骨が鳴る。肉が捻れる。形が変わる。二足で立つ。腕が長い。
口元が吊り上がった。
ダリウスが腰を落とし、剣先を低く構える。足の裏が冷たい床に貼りつく。
爪が光る。距離が詰まる。呼吸が速くなる。
一撃、二撃、三撃。
半歩引く。小さく捻る。間に合う。間に合わない。
足がもつれかける。喉が焼ける。息が漏れる。
「……っ、はぁ……はぁっ……!」
ワーウルフの攻撃のリズムが変わった。早い。角度も違う。
ダリウスの肩が一度跳ねる。剣で受ける位置が遅れた。刃が唸り、手首に重みが乗る。
「エドガー! まだか!?」
ダリウスが叫ぶ。声が掠れる。
後方でエドガーが魔導書を押さえ、目尻に皺を寄せる。片手で目薬を差し、瞬きを二回。息を吸い直して、詠唱を続ける。
「……あと、少しです!」
声は荒い。それでも節を落とさない。最後の語を押し出した。
「ファイ……グラ……フォルン……」
「——《業火の抱擁》!」
熱が来た。皮膚が先に痛む。
紅蓮の奔流が立ち上がり、ワーウルフへ殺到する。逃げ切れる距離じゃない。そう見えた。
ワーウルフが吠える。身体が崩れる。四足へ落ちる。
炎が正面から飲み込む。轟音。爆風。火の粉。全員が腕で顔を庇った。
炎が収束する。煙が残る。
「……よし」
ダリウスが荒い息で呟いた。エドガーが肩を落とし、息を吐く。ミラが一歩前へ出かけて止まる。
低い唸り声が、煙の中から聞こえた。
もやが晴れる。そこに狼の姿が立っている。毛先が焦げ、煙が上がっている。
黄色い目は濁っていない。
「……は?」
最初に声を漏らしたのは、エドガーだった。
「なっ……!?」
「嘘だろ、おい……」
「ぜんっぜん、効いてない……!」
ワーウルフは身を一振りし、焦げた毛の匂いと獣臭を撒いた。
それから四人を見回し、唇を吊り上げた。歯が見える。笑っているように見える。目は笑っていない。、