テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
例えばそれは、挽歌を聴いたような気分だった。
頭を強く殴られた気分、食べ物を詰めすぎたかのように胃の中の何かが混ざり込んで、吐き出しそうな気分。
どちにしろ、いい気分ではない。花束を抱え直しながら、そう考える。
突然の事だったからか、頭が追いつかず混乱している人と、理解が早く涙を流し続ける人と、誰だろうって顔をしている人に分かれている。勿論、私もその中の一人であることは確かだ。何が起きたかも全く分からない状況で、ただ一つ分かるのは、明らかに他殺だったこと。後頭部に強く殴られた跡と、お腹の刺し傷が、明白な証拠となっていた。凶器はまだ見つかっていない。
今思い返せば、死んだその人との楽しい記憶はあまり無かった。目の前で安らかに眠っている人は、強い権力者で、誰からも慕われてて、苦しんでいる人に手を差し伸べる、そんな人だった気がする。私もその中の一人だったような、見向きもされないような存在だったような。
思い出そうとすればするほど、記憶は薄れ、闇に溶け、やがてまた、違う理想に溺れる。その理想から出て行こうとしても、闇の中にいる手は、私を離そうとしない。
「あの人もまだ若かったのに、可哀想にねぇ……。」
死んだその人の叔母は、その人の母親の隣で、他人事のように呟いた。まぁ姉妹の子供なんて、血が繋がっているかすら分からないから、死んだところで変わらないのだろうけど。若かったと言っても、もう30を超えている人間だった。強い権力者だったからこそ、その生まれ持つモノを妬み、恨みする人も少なからず居ただろう。他殺の可能性が高いを言われた時、どこか納得できた気がした。何故か涙も出ない、悲しくもない、苦しくも、スッキリした感じもしない。多分、私はまだこの状況に理解できていない一人なのだろう。吐き気が続く中、もう一度花束を抱え直す。
遺影に映るその人は、とても楽しそうに笑っていたけれど、瞳の奥には黒ずんだものがある気がする。それが真偽かどうかなんて確かめられないし、もう興味もない。
突然、死んだその人の母親が抱きついてきて、花束が床に転がる。さっきまで奇声を上げながら嘘だ!嘘だ!と叫び続けていたのに、泣いたまま縋るような目で見てくる。
「お願い、もう私には貴方しかいないのよ!お願いよ、私を見捨てないでぇぇ!」
あぁ、ほんっと子があれなら親も親だ。自分じゃ出来ないことは全部他人に押し付けて、自分は権力を振り回して遊び続けるだけ。心の中にあった沢山の重い考えが、突然全部切れて闇に呑まれる。
……勿論いいですよ。あの人の代わりを務めると約束していますからね。
笑いながらその人の母親の手を握ると、母親は救われたような、騙し切れたような、達成感のあるような顔をしていた。自分が楽をする為なら手段を選ばない、この家庭にはそんなルールでもあるのだろうか。転がっている花束を遺影の前に供えて、接待の為にその場を後にする。
「お別れ、言わなくていいんですか?」
古く軋んだ嫌な音がする廊下を音を立てないように歩いていると、通り過ぎようとしたその人のお兄さんに声をかけられた。
もうお別れならしてきましたよ。貴方の方こそ、お別れ、しに行かなくていいんですか?
笑ってそう答えると、その人のお兄さんは呆れた顔で笑った。
「まさかアナタ、気づかれてないとでも思ってます?全て“仕組んでいた”こと。」
一瞬、その言葉の意味が理解できなかった。仕組んでいるなんて、そんな筈ないのに。その人のお兄さんの目を見ると、全て分かっているかのような笑い方で見下していた。
……なんのお話でしょう?質問の意図が一切理解できません。
理解できない?と、分かりきっているくせにと言う顔をしながら鼻で笑った。
「察しのいいアナタならなんのお話かお分かりでしょう?警察にバレたら、アナタの人生はどん底行きそのものですね。いやぁ楽しみです、アナタの化けの皮が剥がれるの。」
いやはや、と楽しそうに笑う姿に、眉を顰める。
失礼ではありませんか?私は警察に言われてやましい事なんて一切隠しておりません。早くお花の一輪ぐらい供えてあげてください。貴方達の母親も待っていますよ、狂った精神で。
強気に言葉にすると、その人のお兄さんは一瞬驚いた顔を見せた。ここまで言う姿を見るのが初めてだったんだろう。そりゃそうだ、誰しも仮面をつけている事なんてある。
「……どこに行こうとアナタの勝手ですが、挽歌までには戻ってきてくださいね。しきたりですので。」
……分かっています。全員分のお茶の用意ができたらすぐに戻りますのでご安心を。
気分が悪い、そりゃ勿論、被害者なのに全てを仕組んでいると言われて気分が良くなるわけがない。さっきからずっと息が詰まる。ここから逃げ出したい、存在ごと隠して欲しい。もう私を、一人にして欲しい。
ゆっくり溢さないようにお茶をお盆で運ぶと、あの人の母親はさっきとは打って変わって、笑って私を出迎えた。
「丁度良いところに来たわね、貴方の事を話していたのよ。」
楽しそうに笑うこの人の姿は、あの頃初めて出会った時と全く変わらない。……本当に、狂った連中だ。
……今後のお話ですか?
「ええそうよ、話し合ったんだけどね、良ければ碧と婚姻を結んでくれないかしら。本家を継ぐ者として今も妻がいないのは、どうかと思っててね。」
どこまで頭がおかしいのだろうか、次男と婚姻させていた女を、今度は長男になんて……馬鹿げた話をしていると言う自覚はないのだろうか……一瞬考えたが、この家族に頭を使うなんて贅沢してる暇なんてない。このヒステリックな母親には、はい以外選択肢がないのだから。
……とても嬉しいお言葉です。
精一杯の作り笑いでそう言うと、あの人の母親はとっても嬉しそうな顔をした。
「本当に⁉︎あぁ嬉しいわ、貴方はとても素敵な女性だもの、失うなんて勿体無いわ。今度改めてお見合いの場を設けましょう。」
その言葉を聞いて、タイミング良さそうにあの人のお兄さんは駆け寄ってきた。
「……葬式が落ち着いたら、同棲でもしましょう。貴方の傷を、一刻も早く埋めてあげたいんです。」
……喜ばしい言葉ですわ。さあ、もうすぐ挽歌の時間です。行きましょう。
――
やっと、全てが片付いた。誰もいないマンションの一室で、ソファにダイブする。あの家族の誰か一人でも居たら、「行儀が悪い」、「もっと女性らしく振る舞え」、そう言われてしまうだろう。疲れているせいか、真っ白な天井が回っている気がする。あと数日もすれば、荷物を纏めて死んだあの人のお兄さんとの同棲が始まる。正直色々と不安もあるが、私に断る権利はない。
冷凍食品のパスタを電子レンジに入れ、少し多めに時間をとってスタートボタンを押す。テレビをつけると、あの人が死んだ殺人事件の捜査のニュースが流れている。流石は強い権力を持った一家、情報はすぐにどこにでも流れるし、警察もたくさん動いてくれる。それなのにまだ、死因しか分からないままだなんて、犯人は相当手慣れた人だったのだろうか、または、警察がポンコツなのか、手を組んでるのか……まぁどちらにしろ、葬式が終わったからには私にはもう関係ない。私には……まだ“やるべきこと”がある。電子レンジがら出来上がりの合図が鳴る。重い体を起こして電子レンジからパスタを取り出して皿に移す。熱々のパスタを感情もなく音を立てて食べていく。やっと私は人間らしさを取り戻せたような気がした。あの家庭に縛られたままだと、息が詰まって仕方ない。気を抜いていられない……もっと人形らしく、笑っていなきゃ。
楽しい挽歌だらけの人形劇は、ここからなのだから。
鏡の前で、ニヤリと笑った。
線香の香りが、甘ったるく一室に漂い続けている。花束を抱えたまま、隣にいる碧さんの震える手を握った。まさかこんな立て続けに葬儀が行われるなんて、誰が思っただろうか。ぼんやりと遺影を眺める。優しく笑ったその瞳の裏に闇があることを、私は知っている。あの人と立て続けに母親も亡くなった。突然不治の病に罹り、手の施しようのないまま亡くなってしまった。病死として片付けられたが、果たしてそうだろうか。あの人が亡くなる数年前にも、父親が亡くなっていた。つまりもうこの家庭には、“彼”しかいない。
「もう私には、君しか……。」
碧さん、私がずっとそばに居ます。安心してください。
彼の手を握りながら作り笑いで必死に味方に見せようとしている自分を客観的に考えると、とっても可笑しな奴だろう。この家族の中にいると私まで狂わされそうになる。とはいっても、もうこの家族も彼と数人の祖父母しかいないけれど……。強く握られたては振り解くことのできないままで、もう片方の手で彼の涙を拭ってあげることしか、私にはできない。甘ったるい線香の匂いは、今もなお漂い続けている。沢山の人が涙を流しているのを眺めながら、頭の中で色々考える。今何かを考えたところで、片付くことなんて一切ないと分かっているのに、私の脳みそは、休む暇すら与えてくれない。弱っている彼の代わりに、私がするべきことは山ほど残っている。
大丈夫ですよ碧さん、私が、“救って”あげますからね。
この場で泣いていないのは、私だけだった。
「えぇ⁉︎アンタあの御曹司と結婚したの⁉︎」
声が大きい……!と静かに宥めると、友人の亜衣は木製の椅子に座り直し、砂糖なしの珈琲を一口啜った。
「相当有名な会社の人でしょ?あそこ、噂だと母親も父親も期待されてた次男も亡くなったって……難しい環境に放り出されたわねアンタ。」
珈琲が減ったカップを揺らしながら、玉の輿ね……と亜衣は呟いている。
玉の輿というか……うちの父親の会社がお世話になってて、まだ未婚だったことから始まったお見合いだったの。最初は次男の方と婚姻を結んでいたのだけれど、亡くなってから長男とっていう流れ。
砂糖とミルクを入れた珈琲が揺れる姿を見ながら、ふと考える。サラッと流れを説明したけれど、よく考えれば相当訳の分からない状況だ。父親にどうしても……って頼まれたから、仕事を辞めて嫁いだだけであって……私の意思があった結婚ではない。それもどちらも。
「アンタ、相当な災難ばっかりね。逆にそこまで冷静に居れるの、尊敬できるわ。私なら絶対無理。いくらお金持っててもすぐ蹴り飛ばして別れるわ。」
亜衣ならやりかねない……と引き攣り笑いをしながら考える。引っ越し作業も落ち着いてお義母さんのお葬式も無事終わって、こうやって友達とお茶をするのは、とても懐かしく感じる。だって私は、結婚してから今まであの家族の“お人形” だったのだから。
この度敦様と婚姻を結ばせて頂きます、詩花と申します。よろしくお願い致します。
振袖をきつく縛った姿でその家族に深く頭を下げた。
「お顔を上げてください詩花さん、とてもお美しい方が敦の妻となってくれてとても喜ばしいわ。今日は夕飯を一緒に食べましょう。碧が帰ってくる日なのよ〜。」
最初は、愛想のいい人たち人いう印象しかなかった。旦那となる敦さんも、一番に私や女性のことを優先してくれる、男性として、旦那として本当に出来た人だと思っていた。
「詩花さん、僕が絶対幸せにするからね。」
ええ、よろしくね敦さん。
確か、幸せなはずだった。
「ところで詩花さん、キクガミ様って知っているかしら?」
この言葉を、聞くまでは。
それは、家事を全てお義母さんに叩き込まれて、覚えようとしている頃のことだった。キクガミ様……聞いたこともないが、何かの都市伝説だろうか、そんな甘い考えは、すぐに打ち砕かれてしまったけれど……。
キクガミ様……ですか?すみません、聞いた事がなくて……。
「あらそう、じゃあ今まで沢山の不幸を見たり聞いたり、感じたりしてきたわね。」
絶対にそうだわ!と確信したように叫んでいる彼女の姿に、正直私は寒心に堪えなかった。沢山のチラシと、濃い紫色の数珠を持って私の目の前に置いた彼女の瞳は狂いに満ちていて、正直すぐにそこから逃げ出したかった。
「貴方にあげるわ。キクガミ様を信心すれば、いずれ貴方にも幸せが訪れる。周りの人まで幸せになれる、キクガミ様はね、どんなお願いでも聞いて全力を尽くしてくださるのよ。貴方も、信じるわよね?」
強く肩を掴まれて逃げ場もなくなり、彼女の狂った瞳が私をその場に捕らえた。私はその瞳が恐くなり、体が小刻みに震えるのを感じた。その時の私に、拒否権なんてなく。
ええ、とてもいいお方ですのね……勿論、信心します。
優しく笑う義母の姿は、最初会った時の何も変わらないはずなのに……
──なぜか、悪魔が微笑んでいるようだった。
ねえ敦さん、貴方も、キクガミ様を信心しているの……?
彼ならもしかしたら私の恐怖を分かってくれるかもしれない。その考え自体が間違っていた。彼の瞳の中に灯っていた光が突然消え、感情のない顔で私に近寄り肩を強く掴んだ。……まるであの時の義母のように。
「まさかお前は、キクガミ様を信じていないのか……?そんなの、不幸になりたいって言ってるのと同じだぞ!」
聞いたことのない怒号だった。涙を流しながら彼は私の肩を掴んで揺らし続けた。脳が揺れるのを感じるほど、強く。私の知っている、優しくて理想の旦那様の敦さんはそこに居らず、ただ神様を信じて狂ってしまった敦という男そのものが、感情のない顔で涙を流していた。
信じているわ!だから落ち着いて……。
言った途端彼の顔は安堵に満ち、義母と同じような笑い方をした。
「そうだろう?あのお方を信じていれば俺たちには幸せが訪れ続けるんだ。だからお前は何も疑わずに信じたらいんだよ……そうだその通りだ!」
大きく高笑いする彼は、いつもと全く違う様子だった。怖い、それに彼……一人称、“俺”なんて使ってたかしら……?そうだ、この違和感はきっと全部、神様に狂った彼の、本性なんだ……。
……ええ、そうですね。変なことを聞いてしまいました。夕食にしましょう。
その日から私は感情を捨て、“キクガミ様を信じている詩花さん”として、作り笑いと無表情だけで生きることを誓った。この家庭に嫌われて仕舞えば、どうなるか分からない。キクガミ様を本当に信じているわけではないとあの家族に気づかれて仕舞えば、「キクガミ様のお告げを信じなかった罰だ」と言って、最悪殺されてしまうだろう。一刻も早く逃げ出せば良かった。あの地獄から、あの不幸から。でも私はそうしない。だって私には父親がいる。それにこの家庭は大きな会社を持っているから、人を動かすことなんて容易いだろう。どうせ逃げてもまた連れ戻される。そうなれば、どんな手を使っても洗脳されて、それこそ本物の人形状態になってしまう。そうなるくらいなら、自分から感情の糸を断ち切ってしまう方がよっぽどマシだ。義父の死因は元々の持病のせいで病死したと聞いていたが、あの狂った家族は「キクガミ様への信心が足りなかったのだろう。」と言っていた。神様を狂う程信じている人が大抵使う台詞だ。
神が居ないと、思っているわけではない。けれど、神を信じて運命が変わるとも思っていない。人生なんて自分の選択次第、その選択肢を決める意思も自分にしかない。神が自分を信じているからと人を幸せにして、信じていないからと不幸にするなんて考えられない。まぁそんなこと、あの人たちには言えないけど。
「ただいま、詩花さん。」
碧さん、お帰りなさい。お仕事お疲れ様。
いつも通りの作り笑いで彼を出迎える。偽っているとも気づかずに、優しく笑いながら私の腰に手を回した。
「あぁ、いつも君に触れると落ち着くよ。母さんや敦と一緒にいた頃を思い出す……。」
優しい声で語りかけても分かっているんです、貴方が今もキクガミ様を信心して、狂っていること。でも大丈夫、
──私にはまだ、やることがあるから。
……夕食にしましょう。冷めてしまいます。
「そうだね、今日もいい香りがしてる。カレーかな?」
よく分かりましたね!と笑うと、彼も楽しそうにしていた。挽歌を二回も歌ったあの時からは、絶対に見られない表情だった。あぁ、神様にさえ狂っていなければ、貴方も敦さんも、とってもいい人なのに……。
そうですか……千代さんも他殺の可能性があると……。
「はい、ただ、どちらも証拠品が一切見つからず、犯人を突き止めるにはもう少々時間がかかるかと……東雲千代さんが亡くなる数日前、何か可笑しな事はありませんでしたか?」
警察にそう言われて、私の事を疑っていることはすぐに分かった。
……いいえ、私は特になんとも思いませんでした。“いつも通り”、でしたよ。
そう、神様に狂った彼女は、本当にいつも通りだった。
「そうですか……ご協力感謝します。また進展がありましたら連絡しますので──」
話が終わり建物から出て、爽やかな空気を思いっきり吸った。まだ何も片付いていないのに、心から鬱陶しいものが流れていった気がする。今回もまた、他殺の可能性があると言われた。敦さんの時もそうだった。病死だったのに他殺の可能性があるなんて、可笑しな話だが。あれほど狂った者達なら、誰に恨まれていようが可笑しく無いとは思う。
ふと、スマホのバイブが息を吹き返し、画面を確認すると、いつもお世話になっている病院からの電話だった。
もしもし、詩花です。何かありましたか?
「あ、詩花さん!お父様が──」
……え?
一つの明かりもないまま、真っ暗な心と真っ暗な部屋の中で、彼を出迎える。
「ただいま……どうしたの明かり一つもなく……。」
……今日、お父さんが事故に遭ったの。歩道橋の上から落とされて、全治3ヶ月だって。
「そうだったのか?それはすぐにお見舞いに行ってあげたほうが、看病だって……。」
どの口が……と出そうになったのを堪えて拳を握りしめる。今すぐこいつを殴ってやりたい、今すぐにこいつを、地獄に叩き落としてやりたい。
……貴方が、仕組んだんでしょう?
その言葉で、彼はもう気づいたの?とでも言うかのように笑った。
「お義父さんが悪いんだ。キクガミ様を信心しないから、一度不幸に遭わないと分からないんだろう?」
あぁ本当に、この家族は頭のネジが何本か飛んでいるじゃないか?神様を信用させるために婚約者の父親を、自分の義父を死の淵まで追いやったの?いつもそうだ、そうやっていつもいつもいつもいつも私の幸せを奪ってキクガミ様だの信心が足りていないだのなんだの無茶苦茶なこと言って何度も何度も壊し続ける。
神を信じるか信じないかなんてその人の意思でしょう?そんなことでお父さんを縛り付けないで!
「縛り付ける?……あぁ、やっぱり君も、人を信じていないタチのやつか。怪しまれないように必死に演技をしていたのかあぁそれとも……殺されないように必死になったとか?」
彼の冷たい瞳に突然、恐怖と混乱が心の中に押し寄せてきた。その冷たい瞳は、敦さんに似ていて、お義母さんに似ていて、皆本当に家族なんだと、変なところで納得できた気がした。
……いいえ、そんな訳じゃないの。ただほら……うちのお父さん頑固なところあるから、そうゆうの信心しないでしょう?
「そうだね……まぁ、詩花の方からも言ってみてよ。」
……ええ、分かりました。ご飯にしましょう、今日は辛い鍋にしてみたんです。
貴方は何も知らないんでしょう。私の苦しみを、私の悲しみを。私の趣味趣向も快楽も、信じていないキクガミ様を嫌っている事も……知らないくせに。全てが絶たれた気がした。もう何もかもどうでも良くなった気がした。この人とこの先、同じ生涯を辿るのも、全て、嫌になってしまった。
病室の扉を一回ノックして、スライド式の静かなドアを開ける。久しぶりに顔を見たからか、ベッドで動かない体を必死に動かして本を読んでいるお父さんが、朗らかに笑った。
「おぉ、久しぶりだな詩花、元気そうで何よりだよ。」
体を起こそうとするお父さんに寝ててと言いながらその場にあったどこにでもある折りたたみ椅子に座る。
お父さん、怪我は?会社は大丈夫?一人でちゃんと食べてる?
「おいおい、そんなに沢山質問されても、お父さん答えきれないぞ〜。」
優しい父親の声に懐かしさを感じ、少し目頭が熱くなったが、父親の手前、我慢をしてまたそっちを見た。痛々しい手や足の包帯を見ていると、沸々と怒りが湧き上がってくるのを感じる。
……そういえばお父さん、碧さんに変なもの勧められたんだって?
「あぁ、キクガミ様?とかいう神様を信心するべきだって、前から言われてたんだけど……うーん、やっぱりお父さん、そうゆうのいまいちピンとこなくてなぁ……。」
……信心しなくていいし、今まで渡された冊子とかも全部捨てていよ。捨てにくかったら私が処分する。
今まで誰の趣味でも肯定してきた私がそう言ったからか、父親は驚いた顔をした。
「どうしたんだい?もしかして、何かあったのか……?」
そう心配そうな声で言ってくる父親に、私は生まれて初めて作り笑いをした。
お父さんは何も心配しなくて大丈夫。私がちゃんと、 “全て終わらせる”から。
スマホのバイブ音が息を吹き返す。どうやら東雲家がお世話になっている病院からのようで、父親に挨拶をしてからタクシーに乗り、青空を眺めながらその病院に向かう。どうやら、碧さんがお母さんと同じ病気にかかったらしい。もう彼に身寄りはなく、私を呼んで欲しいと碧さんが言ったから電話をくれたんだとか。
タクシーに料金を払い病院入ると、お医者さんが急いで出てきて状況を説明してくれた。母親と同じ不治の病で、手の打ちようがなく困っていること、彼自身も、苦しんで治療をするよりかは、諦めて残りの人生を病室で過ごしたい、とのことだ。
私は彼の意思にお任せします。
そう冷たく言っておき、彼のVIPルームのような病室の扉を閉めて、ソファに座った。
「ごめんね詩花、私はもう、ダメみたいなんだ……。」
そう苦しそうに言う姿に、私は病室に監視カメラがないことを確認して嘲笑した。
本当にざまあみろね、碧さん。
「……へ?」
東雲家の中では使ったことすらない言葉遣いに、碧さんも驚いていた。
敦さんの葬式の時、貴方言いましたよね?私が“仕組んだんじゃないか”と。何故その時、私と婚姻を結んで油断したんですか?貴方がこの先どんなふうに考察を重ねて正解を導き出すか楽しみにしていたのに……。まぁこの際だから全て教えてあげます。私が嫁いできてから死んだ敦さんと千代さんは……全て私が仕組んで死に追いやりました。
「そ、そんなことどうやって……!それに母さんは病死だったんだ!そうだろう⁉︎」
こんなにこの人が慌てる姿なんて初めて見た。けれどまさか、いまの今まで誰も気づかずにことを進められると思っておらず、まさか私が嵌められていると思っていたのだけれど……と肘をついて考えている間も、碧さんは嘆いている。
トリックは、貴方達の嫌いな“薬”にあります。
薬……?と疑問を抱いている碧さんを見てニヤリと笑う。彼らは病院に入院することや薬を使うことを、全て今まで「キクガミ様を信心していないから」と言う理由で突き通してきた。だから一切気づかなかったのだろうけど、私はずっと、視力も悪くないのに“目薬”を持っていたのだ。
実は二〇一八年に、目薬で殺された旦那さんが米国にいました。どうやら数日間飲んでいる水に少量目薬を混入され続けたとか。それほど目薬の毒性って実は強いんです。いやぁ、気づかないものなんですね、敦さんと碧さんに提供する食事や、お義母さんがいつも飲んでいたお茶には、少量の目薬を私が混入していたんです。
まぁそれが、病気に繋がったのかはわからないんですけどね、と続けると、碧さんは鬼の形相でこちらを見てくる。
「お前が……東雲家を、うちの家庭を壊したのか?」
絶望と怒りに満ちたその顔は、ここにきた頃の私は怖かっただろうが今は違う。もう東雲家なんて、キクガミ様に狂った家族なんて怖くない。
……キクガミ様のせいで私の幸せを先に壊したのは貴方達でしょう?私はあの日、敦さんに肩を強く掴まれた日から誓ったんです。
──この家庭を、絶対壊してやるんだってね。
精々苦しんでください。私はもう、貴方とは関係ないので。
「待て、待ってくれ!行かないでくれ!」
そんな声は入った耳から出る耳まで、まるで先生の説教を流すかのように流れていった。
それは例えば、挽歌を聞いた時のような気分だった。
頭を強く殴られた気分、食べ物を詰めすぎたかのように胃の中の何かが混ざり込んで、吐き出しそうな気分。
そして、全てを終わらせられた最高の気分。
「詩花さんも可哀想にねえ……婚約者も家族も皆失ってしまって……。」
泣いているふりをしながら、心の中は今までにないくらい自由を楽しんでいた。
これでキクガミ様の呪縛から解放される。私にはもう、苦しめる人はいない。
コメント
2件
主人公激強…好き……あと碧さんかなり好きです。もっと病気で苦しんでるところ見たかった…碧スピンオフとかないかな🫶 長いって言われたけどあっという間に終わっちゃった…面白かったです😎