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測定、という言葉が出た瞬間、
会議室の空気は、ほんのわずかに軽くなった。
測れるなら、
対処できる。
対処できるなら、
管理できる。
そう信じたい人間が、
この部屋には多かった。
ちなみに現社名は「マルトクテックカンパニー」。
元々この会社は「丸徳技術研究所」だった。
その頃から“管理”にどうしてもこだわらざるを得なかった。
「影響の範囲を限定しましょう」
「まずは定量化です」
「感情的な反応は除外で」
言葉は整っている。
だが、誰も「何を」測るのか言っていない。
未選択が引き起こす影響。
それは、行動か。
心理か。
沈黙か。
議事録係は、
迷った末にこう書く。
――未選択後の行動変化(仮)
「仮」という二文字が、
いつのまにか、
本部で最も多用される語になっていた。
その頃、現場では、
小さな異変がいくつも起きている。
即答が、減った。
確認のための確認が、減った。
「一度持ち帰ります」が、
自然に受け取られるようになった。
誰かが失敗したわけではない。
誰かが成功したわけでもない。
ただ、
早さだけが、唯一の価値ではなくなった。
佐伯は、それを見ている。
数値にできない変化。
だが、確実に、
仕事の手触りが変わっている。
彼は、メモ帳に、
こう書いて、すぐに線を引く。
「改善」
→ 消去
代わりに、
何も書かない。
書かないことが、
今は、いちばん正確だと知っている。
花子は、別の場所で、
「再解釈された言葉」の気配を感じ取っていた。
それは、自分の言葉そのものではない。
輪郭だけが、
誰かの発言に混じっている。
――完成を目指さない選択肢もありますよね。
その言い方に、
花子は、わずかに眉を動かす。
彼女は、何も言わない。
訂正もしない。
その言葉は、
もう彼女のものではないからだ。
本部では、
測定チームが立ち上がった。
正式名称は長い。
誰も覚えていない。
彼らが最初にやったことは、
未選択ログの抽出だった。
だが、
ログは、きれいに揃わない。
時間が、まちまち。
文脈が、まちまち。
そして、
次の行動が、一様でない。
誰かが苛立つ。
「パターンが見えない」
別の誰かが言う。
「パターンがない、というパターンでは?」
その発言は、
冗談として処理される。
冗談にしておかないと、
誰かが責任を負うことになるからだ。
月影は、
自分が送った未選択が、
どこに届いたのかを知らない。
知ろうともしない。
知った瞬間、
それは「選択」になる。
彼は、ただ、
遅れて返事をする。
少しだけ、
間を置く。
その間に、
相手が考え始めるのを、
待つ。
それだけだ。
本部のモニターには、
新しい警告案が表示されている。
――未選択の増加は、
組織の意思決定速度を低下させる可能性あり。
可能性あり。
また、その言葉だ。
誰かが、
小さく言う。
「……でも、今のところ、
成果は落ちてないですよね?」
その瞬間、
部屋が静まる。
成果が落ちていない。
それは、
説明できない成功だ。
説明できないものは、
本部にとって、
最も危険だった。
花子は、帰宅途中、
ふと立ち止まる。
自分が、
行動を変えていないことに気づく。
言葉を持った。
だが、
何も修正していない。
それが、
今のところ、
いちばん強い抵抗だと知っている。
本部は、
ついに、
「意味」という語を、
正式な注意対象に入れる草案を作る。
禁止ではない。
だが、
使うと説明責任が発生する。
誰も使わなくなる、
ちょうどいい線だ。
その草案の末尾に、
誰かが付け足した一文がある。
――本施策は、
組織の安定性を確保することを目的とする。
安定。
それが、
彼らの最後の拠り所だった。
だが、
安定とは、
動かないことではない。
月影が、
もう一度、
選ばない選択を実行しようとしている。
今度は、
前よりも、
はっきりと。
そして、本部は、
まだ気づいていない。
不安の正体が、
「何かが起きること」ではなく、
「何も起きていないのに、
人が自分で考え始めていること」だという事実に。