学生時代は友人と群れるより、一匹狼を貫いて行動していた。
そんな俺を『気取ってる』と言う奴もいたし、『ガキっぽい奴らより付き合いやすい』と言う奴もいた。
新しい環境のすべてが悪かった訳ではなく、少ないながらも気の合う友達ができて、それは財産だと思っている。
俺は金に不自由しない生活を送っていたが、それで幸せを得られる訳ではないと、早い内から理解していった。
どれだけ金を使えても、所詮は父の金だ。
母が〝おじさん〟の金を使う事を嫌っていたのに、俺がそれをする訳にいかない。
だから『癪だが学生のうちは庇護された環境でしっかり学び、大人になってガンガン金を稼いでいけるようになってから、反抗する事を考えろ』と自分に言い聞かせて過ごした。
必要なのはスマホやノートパソコンなど最低限の物と、本や音楽を購入するための金。
味覚は篠宮家の一員として過ごす中で研ぎ澄まされ、高校を卒業したら一人暮らしすると決めていたので、家政婦に料理を教えてもらった。
色恋のほうは、告白されて興味本位に付き合い、隣に誰かがいる感覚を初めて味わったが、すぐにフラれた。
別れる理由もハッキリ教えられなかったので、『愛想がないからか』と一人で納得していた。
それなりに性的な経験も積んだが、心はまったく満たされなかった。
女性のほうから『好き』と告白してくるから、俺を求め、大切にしてくれるのかと思ったが、期待してもすぐに捨てられる。
そうやって同じ事を繰り返すうちに、新しい彼女ができても『こいつもどうせすぐ離れるんだろ』と思い、来る者拒まず去る者追わずの付き合い方をするようになった。
それに伴って〝女泣かせ〟的なあだ名も付けられたが、『勝手に言ってろ』という態度を貫いた。
いっぽうで、家では怜香に陰湿な事をされ続けた。
あの女は俺を家族の一員と見なした事は一回もなく、徹底的に無視を貫いた。
話しかけてくるとすれば、すれ違いざまに憎しみを向けてくる時だけだ。
『どうして篠宮家にあなたがいるの? 母親と同じようにあの人に取り入ったの?』
『ああ、その目、その顔。本当にあの女そっくりね。こっちを見ないでちょうだい』
『あなたがいるだけで気持ちが暗くなるわ。あっちへ行って』
『本当に、死ねばいいのにって何度思ったか分からないわ』
この家に引き取られた当時から、毎日顔を合わせるたびにそんな台詞を言われた。
当時は十歳だったし、勿論傷付いた。
だが母と妹を喪い、妹に関しては遺体の凄惨さから〝忘れる〟事で己を守った俺は、傷付く事に鈍感になっていた。
陰険な事を言うのをやめてほしいと思ったし、あの女に強い恐怖と嫌悪を抱いた。
しかし同じ事を毎日繰り返されるうちに、『どうする事もできない出来事』と思ってやり過ごすようになった。
毎日心をえぐる言葉を吐かれるうちに慣れていき、高校生になる頃には『この家を出れば関わりがなくなるから、もう少し聞こえないふりを続ければいい』と自分に言い聞かせていた。
おめでたい事に当時の俺は『大学を卒業すれば、海外に行ってこの家とはおさらばできる』と希望を抱いていたのだ。
そのために語学力を上げ、どこに行っても必要とされるようプログラミングの技術も高めた。
だが二十歳になった時、あの女に思いも寄らない事を言われた。
『尊は篠宮ホールディングスに入るのよね?』
食事会を開くと言われてレストランに行けば、悪態以外は話しかけてこない怜香が俺を見て微笑んだ。
『……そんな事、一言も言っていませんが』
押し殺した声で返事をしたが、怜香は分かったような表情で笑う。
『風磨は立派な社長になるのだから、それを支えるのが弟の義務でしょう?』
兄貴は俺と視線を合わせず、黙って食事をしている。
気がつけばこいつはこうなっていた。
俺が篠宮家で過ごすようになった当時は、父親の不倫を知って嫌悪を抱いていただろうに『生まれた子供に罪はない』と思ってか、優しく接してくれていた。
だが当時の俺は、周りすべてが敵だと思い込み、風磨にもツンケンとした態度をとってしまった。
だから、次第に風磨も気を遣う事に疲れてしまったんだろう。
風磨は良くも悪くも〝いい子ちゃん〟だ。
俺に悪意は持っておらず、不満があるとすれば不倫をした親父への怒りだ。
しかし〝いい子〟であるよう強いられた兄貴が、怒りを爆発させる事はなかった。
怜香が人一倍感情的で、思った事を何でも言い、態度に出すからこそ、風磨は息子として母親を反面教師にしていたのだろう。
いつしか風磨は、怜香が俺に心ない言葉を掛ける姿を見ても、見なかった事を貫く〝空気兄〟になっていた。
コメント
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この時にはすでに怜香のやつは金をぶら下げて、尊さんの周りから女性を離れかせてっていったんだね💢