テラーノベル
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再建の進む王都に、柔らかな春の陽光が降り注いでいた。
かつての喧騒は嘘のように消え、街には復興を担う人々の活気ある声が響いている。滉斗は、朝から防壁の補強作業に追われていた。
「ただいま、元貴。……少し遅くなったな」
夕暮れ時、王邸の部屋に戻った滉斗は、異変に気づいた。
いつもなら「おかえり」と弾んだ声で迎えてくれるはずの元貴が、床に座り込んだまま、ぼんやりと自分の手を見つめていたからだ。
「……元貴? どうした、顔色が悪いぞ」
慌てて駆け寄り、その肩に手を触れる。すると元貴は、びくりと身体を震わせ、縋り付くような瞳で滉斗を見上げた。その瞳には、一国の王としての理知も、大人としての分別も消え失せ、ただ純粋な、無垢な光だけが宿っていた。
「……ひろ、ぱ……?」
舌足らずな、幼い響き。
滉斗の心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。過酷な逃避行、王としての重圧、そして禁忌に近い術式の連続行使。張り詰めていた元貴の精神が、安息を得た途端に、最も幸せだった「あの頃」まで退行してしまったのだ。
「ひろぱ、どこいってたの? ずっと、まってたんだよ」
元貴は滉斗の軍服の裾をぎゅっと握りしめ、膝の上に顔を埋めた。二十九歳の青年の身体でありながら、その仕草は十歳にも満たない子供のそれだった。
「……ああ、悪かった。もうどこへも行かない」
「ほんとう? おしごといかない? ずっと、ここにいる?」
「ああ、約束だ。お前のそばにいる」
滉斗は困惑に眉を寄せたが、すぐにその表情を和らげ、大きな手で元貴の背中を優しく撫でた。無理をして大人にならざるを得なかった元貴の、心の悲鳴。滉斗は彼を包み込むように抱き寄せた。
「ねえ、お花。……咲かないの。きれいに、できないの」
元貴が机の上の一輪挿しを指さす。
退行した精神では、高度な術式を制御することができないらしい。かつては鮮やかに花を操っていた王の指先が、今はただ虚しく空を切る。
「できないの。元貴、へたくそになっちゃった……。ひろぱ、おこる?」
「怒るわけないだろう。……元貴、一緒にやってみよう。俺の手を握ってろ」
滉斗は静かに腰を下ろすと、元貴の背後から包み込むようにその手を重ねた。氷が水になり、水が生命を育む雫となるように、滉斗は自身の魔力を元貴の術式にそっと同調させた。
「いいか、ゆっくりだ。お前の中に流れる温かいものを、この花に分けるんだ」
「……うん。あったかい……ひろぱの手、すごくあったかいよ」
二人の重なった手から、淡い琥珀色の光が溢れ出した。すると、枯れかけていた椿の蕾が、奇跡のようにゆっくりと、その花弁を広げていく。
「わあ……! さいた! ひろぱ、すごぉい! みてみて、とってもきれいだよ!」
元貴の顔に、弾けるような笑顔が戻る。無邪気に喜ぶその姿を見て、滉斗は胸が締め付けられるような愛おしさを覚えた。
「ああ、お前が咲かせたんだ。綺麗だな、元貴」
「えへへ……。ねえ、ひろぱ。だっこ。……だっこして?」
甘えるような上目遣いに、滉斗は苦笑しながらも、力強い腕でその身体を抱き上げた。
「お前、もう子供じゃないんだから……重いぞ」
「やだ、だっこ。ひろぱのにおい、安心するんだもん……。ねえ、きらいになった?」
「……嫌いになれるわけないだろう。お前は俺の、世界で一番大切な奴だ」
滉斗の胸に顔を埋め、元貴は満足げに瞳を閉じた。
「……いい子だ。今日はこのまま、一緒に寝るか」
「うん。あしたも、あさっても、ずっと……ひろぱといっしょ」
元貴の呼吸が次第に深く、穏やかなものへと変わっていく。
数時間後、眠りから覚めた彼は、元の「大人」の自分に戻っているだろう。退行していた間の記憶はないかもしれない。それでも、滉斗は満足だった。彼が抱えてきた十五年分の孤独を、少しずつ、こうして溶かしていけるのなら。
月の光が差し込む静かな部屋で、最強の守護者は、眠る最愛の「王」の額に、誓いのような口づけを落とした。
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