コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
出立の用意ができ、守近は、入り口の框《かまち》で沓《くつ》を履くと、言った。
「守満《もりみつ》や、お前が、先導の馬に乗りなさい。牛車《くるま》には、私と常春が乗る」
「父上?しかし、常春《つねはる》は、従者、馬に乗るのは、常春では?」
「あー、あー、お前、やってしまったねぇ。紗奈を娶りたい、は、由として、その兄上は、誰だい?たとえ、従者であろうと、常春は、義兄にあたる者なのではないかい?」
守近の指摘に、あっと、守満は、息を飲み、実にばつが悪いと顔を歪めた。
「……で、ですが、いや、しかし、そう、そーでした!!常春は、兄!おお、兄上!!紗奈は、この守満が、幸せに致します!」
してやったりと、ニタリと笑う守満に、常春は、息をつく。
つまり、常春を、兄、と、押さえにかかっているのだろうが、そこまで、することなのだろうか。
一連の、紗奈の取り合いに、常春は、疲れ果てていた。
やはり、これは、国へ帰るべきだ。そして、家長である父の指示に従うべきか。ただ、それは、紗奈には、少々酷な話であり、その旨を、国から文を貰っている常春は、誰にも言い出せないでいた。
帰ってしまえば、紗奈は──。
しかし、都に留まっていれば、琵琶法師一団の仕業に見せかけた、または、他の何かに、紗奈は巻き込まれるはずだ。
厄介な話になってしまったと、常春は、妹の身の振り方に、思いを巡らす。
「常春、いくぞ」
守近に声をかけられ、常春は、はっとした。
「まあ、あれこれ、あいつも言っておるが、今しばらくの辛抱。何らか、乗せられているだけの話であろう?」
守近は、言いながら、牛車《くるま》に駆け寄り、皆、頼むぞと、同行する牛飼い達に声をかけている守満の姿を眺めている。
「道々、お前の話を聞こう。だがな、常春や、なぜ、こうも、屋敷の廊下が、汚れておるのだい?」
確かに。
髭モジャ、新《あらた》、紗奈にタマ、崇高《むねたか》らが、騒ぎに乗じて、土足で立ち入っていた、その、足跡が、くっきり残されている。
「まあ、その、色々と、今回はありましたので」
「はあー、タマらしき、この、ちょこまかした足跡まで、私のせいと、いうことか」
守近は、まあいいさ、と、呟き、常春に責められるのを覚悟済みかのように、しおらしく、牛車《くるま》へ、向かった。
常春も後を追う。
守近は、おそらく、内大臣家のことの口裏合わせの為に、常春から、あちらの屋敷で起こった事を聞きたいのだろう。
だが、橘が、概略は話している。さて、自分はどこからどこまで話せばよいのか。常春は、正直、迷った。
これ以上、首を突っ込みたくなかった。橘が、危惧していたように、常春の一言で、守近が、何か閃いてしまえば、そう、内大臣と、更に昵懇《じっこん》になってしまったら……。
あちらのお屋敷の者達を、預かってしまった以上、話は、終わってはおらず、根っこの部分が、しっかりと残っているどころか、更に根を張ってしまう可能性があった。
とにかく、まだ、守孝という難関も残っているわけで、ひとまずは、守近の考えを探るしかないのだろうと、常春は、覚悟を決めて、牛車《くるま》に、乗り込んだ。
上座には、鬱々とした表情の守近が、座っている。
「遅れまして、申し訳ありません」
詫びる常春に、ん?と、守近は、気のない返事をした。
そして、車の御簾が下ろされ、一行は、守孝の屋敷へ向かった。
「なあ、常春よ、紗奈は、空を飛んだのかい?」
ぎしりと、車輪が動くと同時に、守近は、口を開いた。
「はっ?!」
しかし、言った言葉は、またまた、紗奈。いや、いや、空を飛んだとは、一体?
聞かれたことの意図が分からず、常春は、ぽかんと呆けてしまう。
「あー、橘がな、内大臣家で、お前と紗奈が、大暴れ、ついで、髭モジャと、その友の検非違使が、諸々の手を使って、賊を炙り出し、野次馬に、あやかしが、とりついた琵琶法師一団に、屋敷が襲われたと、見せかける為、紗奈が、あやかし、の振りをして空を飛んだとのこと。しかし、どうやって。そこ、なのだよ、そこを、どう誤魔化すかなぁ」
いや、そのまま、あやかし、で、いいでしょうに。誤魔化し所が、完全に間違っておりますが。
と、常春は思いつつ、困窮極まる守近を見た。
「あ、あの、守近様。結局、そのような、具合だったのですが、紗奈は、皆の為に、タマの力によって大きくなった、一の姫猫に股がり空を飛んだのです。琵琶にとりついている、あやかし、の、振りをして、琵琶法師一団を使い、内大臣家を襲った、と、いうことにして……」
常春は、恐る恐る、子細を述べた。また、タマだ、一の姫猫だ、と、話がこじれる予感を抱きつつ。
「そうか、どこも、一緒ということは、そういうことにしておけばよいのだな。後は、守孝の、口封じ。と、言っても、あやつも、自分可愛さに、こちらの言うことは聞くだろう」
「え?守近様?」
なんだい?と、守近は首をかしげる。
「つまり、突拍子もない話ゆえに、そんな、ばかなと、私達を、お試しになられたと!それは、あんまりです!そもそも、あなたが、唐下がりの香などを、運びやの如く、内大臣家へ都合しなければ、我らは、危険に晒されることもなかった。お屋敷の廊下が、汚れていたのは、それだけの事があったからで、紗奈は、悪党に、襲われたのですよ!!」
常春は、守近へ、まくし立てていた。