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貸与されているIDで仮眠室のロックを外そうと思い、思い出す。
この仮眠室の鍵は昨日、臨が壊したんだった。
案の定鍵はかかっておらず、僕はそのまま中に入りバッグを床に放り投げてベッドに倒れこんだ。
頭の中を先ほどの女性の記憶がぐるぐる回る。
殺人事件の関係者の記憶を消すのは初めてじゃない。
この町の中、外を問わず何人かの記憶を吸い上げてきた。
親を殺された子供の記憶、恋人を殺された女の記憶。
いくつかの記憶を消してきたが、どれも詳細は思い出せなくなっている。
ただそんな人がいた、という事実のみ記憶の断片に残っているだけだ。
僕はスマホを手にしていつものように画像を開こうとし、手を止める。
猫の生首の話を思い出し、吐き気に襲われ仕方なく僕は画像を見るのをやめた。
臨、真梨香さん、恨むぞまじで。
僕はメッセージアプリを開き、臨の名前をタッチしてメッセージを入力する。
『お前責任取れよな』
とだけ入力し、送信する。
どうせ返事は来ないだろうが、何か言わないと気が済まない。
やはり返事はすぐに来ず、僕はスマホを握りしめたままぐるり、と身体を反転させて天井を向いた。
真っ白な天井、空いたままのカーテンから差し込む光が少し眩しい。
僕はスマホを握りしめたまま、大きく息を吐く。
「気持ち悪……」
この仕事を始めてもう一年以上たつ。
時給もいいし、稼いだ金で予備校の講習も受けるようになった。
来年の受験に向けて少しでも金を稼がなくては。
どれくらい時間が経っただろうか。
うとうとしていると、握りしめているスマホがメッセージの着信を告げた。
眠い目をこすり、僕はスマホのロックを解除する。
相手は臨だった。
『てっきり俺、やらかしたのかと思ったじゃないか。まあ、そこまで馬鹿じゃないけれど』
やらかした、とはいったいどういう意味だ。
『うるせえ。お前のせいで僕は今、癒しを得られないんだぞ』
『いま病院?』
と、すぐ返信が来て、僕は短く返す。
『うん』
『迎えに行こうか?』
『女と一緒じゃねーの?』
『女じゃないよ』
その返信を見て、僕は思わず手を止めた。これって……そういうことか?
臨の貞操観念は壊れていると、僕は思っている。
男も女も関係ないし、誰とでも寝る、らしい。
知ってはいても、こう匂わされると戸惑いが大きい。
正直、臨に迎えに来てもらいたいと言う思いは全くないので、何も返事を返さず僕はベッド上でダラダラしていた。
それから一時間以上経ち、仮眠室の扉が開く音がした。
「紫音」
ほのかに香る香水に、思わず僕は口を押える。
そうだ、休みの日はこいつ、香水するんだった。
普段ならこいつが香水していようがなんだろうが気にならないが、今は駄目だ。
僕は身体を反転させ、枕に顔を突っ伏した。
「あれ、どうしたの?」
「香水がちょっと気持ちわりい」
「あぁ、ごめん。つい習慣で」
そんな言葉と共に聞こえてきたのは窓が開く音だった。
「これなら少しはましかな」
「たぶん……」
そう答え、僕はゆっくりと身体を起こした。
ジーパンに黒のだぼついたセーターを着た臨は、妙に色っぽく見える。
「二日連続で仕事なんて大変だね」
「そういえば、お前は仕事ねえの?」
そう尋ねると、臨は頷きながら言った。
「うん。明日は仕事あるから、呼ばれても来られないよ?」
「呼ばねーよ、いちいち」
その時、視界がぐらり、と揺らぎ、僕は思わず臨の肩を掴んだ。
すると臨が僕の両肩に手を置き、
「大丈夫?」
と、問いかけてくる。
大丈夫、ではない。
僕は首を横に振り、
「今日のはちょっと、きつかった」
「そう。そこまでして仕事する理由、俺には理解しにくいけど、それで救われる人が、いるんだもんね」
そうだ。
俺のこの苦しみと引き換えに俺が記憶を吸い上げた人たちは、トラウマに悩まされず生きていくことができる。
そもそも人は生きるのに必要のない記憶など忘れるものだ。
僕はその記憶を忘れる手伝いをしているだけだ。
「でも紫音、痩せないよね。いつ食べてるの?」
「夜、お菓子食いまくってる」
「不健康極まりなさすぎ」
夜になれば吸い上げた記憶なんて忘れるから、だから夜遅くなればがっつり食える。
よくないとは思っているが、こちとら成長期の高校生だ。
腹が減れば夜中でもカップラーメンでもおにぎりでも食べる。
それから二週間ほど過ぎた、十月二十三日土曜日。
僕は今日も開館時間から図書館で勉強をしていた。
十二時近くになり、いったん家に帰ろうと荷物を片付けているとスマホがメッセージの受信を知らせた。
確認すると、真梨香さんからのメッセージだった。
仕事か、と思いアプリを開くと、思っていたのと違う内容が書かれていた。
『また見つかったの、猫の死体! 今度はふたつも!』
猫の死体。
ふたつ。
想像してしまい、僕は思わず口を押える。
なんでこんなことをわざわざ知らせてくるんだ真梨香さんは。
『どこで見つかったんですか?』
『大学の庭で! 怖くない? 怖いよね」
それは確かに怖いが。
なんだか圧を感じる。
『警察も捜査するって言っていたけど、人の仕業とは思いにくいのよねー。だからねえ、紫音君、調査してくれない?』
調査、の文字の意味が分からず、僕はしばらくスマホの画面を見つめて考えた。
調査ってどういう意味だ?
調査、調べる、捜査?
いやいやいや、僕はただの高校生だぞ。
何言ってるんだこの人は。
『この間、臨君が鍵壊したでしょう? 弁償はいいから調べてほしいのよ。貴方たちなら相手が人じゃなくても何とかなるでしょう?』
それは偏見が過ぎないか?
『鍵壊したのは僕じゃないですよ』
無駄だと思いながら、それだけ言ってみる。
すぐ返信があり、
『貴方たち、ニコイチでしょう? 学生たちも気味悪がってるし。あ、あと目撃したっていう学生の記憶、消してほしいのよ。ショック大きかったみたいで震えてて。警察の事情聴取は終わったからお願いね』
そう言われたら行かないわけにはいかず、僕は心の中でため息をつき、臨にメッセージを送った。
『暇?』
さすがに臨のスケジュールなど僕は知らない。
すぐに既読がつかないので、仕事かデートだろう。
僕はスマホをトートバッグに放り込み、自習室を後にした。