生き霊のふっかとの奇妙な生活はそれからも続いて、早いもので、もう二ヶ月が経った。
「なぁ、ひかるー。まだ筋トレ終わらないのー?」
「あとワンセット。」
「もー、俺暇なんだけどー?」
この通り、俺の家に棲む、透けたふっかは、だいぶやかましくなった。
初めて喋った日の控え目な感じがどれだけ可愛げのあったことかと思うほどに、うるさい。初めは「ひかる…おかえ、り…」なんて小さくて拙い声しか出せなかったのにな。
今、俺が筋トレをしている目の前で、生き霊のふっかは、ソファーにだらぁっと寝転がって、構え構えと強請ってくる。全く、誰の家なんだかわかったもんじゃない。
決めたセット数をこなして、ダンベルをそーっと床に置くと、ふっかは嬉しそうに、ばっと起き上がって俺のそばに近寄ってくる。
「終わった?もう暇になった?」
「うん、終わったよ。」
「じゃあテレビ見よう!」
こいつの娯楽はテレビを見ること。ふっかといえばゲームだけど、この家にゲームはないから、それで我慢してもらっている。当の本人は、暇が潰せればなんでも良いそうで、俺が帰宅するや否や、毎回テレビを点けろとせっついてくる。
ただ、これにもなかなかに問題があって、俺は毎日辟易しているところなのだ。
こいつが、毎回おんなじ番組のワンシーンしか見ないからである。
「おー!すごい!飛び移った!えっ、あの鉄棒からなんであそこに飛べんの!?」
毎日同じものを見ているのに、何故こうも毎回新鮮なリアクションができるのか。
ふっかが嬉しそうに見ているのは、俺がサスケに出た時の番組。次回の対策に活かそうと思って録画しておいたのを、ふっかはいつかに俺の背後から眺めていたようで、ある日、まともに喋れるようになると、それを見せろと要求して来た。
その日から一日一回その番組を見ては、さっきみたいな反応をしながらテレビ夢中になっているのだ。
俺の出番が終わると、ふっかはもう気が済んだのか、俺の方を向いて「次は何する?」と聞いてくる。自分が見たいものなんだから、リモコン操作くらいはして欲しいものだが、生憎、こいつは姿は見えるけれど実体がない。だから、物を掴むことができない。
リモコンは触れないのに、何故ソファーには座れるのかということについては、面倒なので深く考えないことにしている。
小さくため息をつきながら、俺は録画の停止ボタンを押した。
「ねぇ、ふっか。前から気になってたんだけどさ」
「んー?」
「ふっかはなんでここに来たの?」
久々のオフで、今日は特にすることもなかったから、自分の家かのように、くつろぐふっかに一日付き合おうと思って、テレビを消してからそう尋ねてみた。
ここまで話せるようになったのなら、気になったことは聞けるうちに聞いておこうと、ふっかの方を見た。
ふっかは自分の影を少し揺らして、輪郭をぼやけさせていた。
何の意思表示なのか、ふっかはぼやぼやと、蝋燭の炎みたいに、自分の周りに灯る青白い光をずっと揺らめかせている。
「どうした?」
「…言っても、追い出さない?お祓いしない?」
ふっかは、怯えるように弱々しく、先ほどまでの図々しさはどこに行ったのかというほど遠慮がちに、俺に聞き返した。
「うん、しないよ。お祓いできるお寺知らないし」
「なら、話すけどびっくりしないでね?」
「うん」
「俺ね、照が好きなんだ」
「…はぁ?」
「驚かないって言ったじゃん!!!」
「いや、流石に無理があるでしょ!どういうこと!?」
「だから!俺は、お前が好きなの!現実の俺の気持ちから生まれたのが俺!」
「う、うん…?」
「で、好きって気持ちがどんどん大きくなるたびに、俺の存在も濃くなっていったし、こうやって喋れるくらいにまで成長しちゃったの!」
「…わかったようなわからないような……。ってことは、現実のふっかは、俺のことが好きで、その好きって気持ちから生まれて俺の家に住むようになったのが、今俺の目の前にいるふっかってことなのね?」
「そーそー。」
「その割には、現実のふっかにそういうの感じないけどな…」
「そりゃそうでしょ。子供が片想いしてる訳じゃないんだから。俺のことだからよくわかるけど、あいつならひた隠しにするだろうね」
「なんで?」
「叶わないってわかってるから。でも諦めることもできないからこうやって俺が生まれたわけ。」
「そうなんだ」
「あいつの好きって気持ちで俺は出来てるから、現実の俺が隠してる分、生き霊の俺はだいぶ素直に照への気持ちが表に出るようになってんだよね」
「なるほど、通りでお前は現実のふっかの三割り増しくらいに鬱陶しいわけだ。」
「酷くない?でも、まぁ、そういうこと。かわいそうにね。こうやって生き霊の俺が、照と一緒に過ごせてるっていうのに。当の本人的には、照と一緒にいること、自分の記憶にすら残んないんだから。」
「ふっかはやっぱりこのこと知らないの?」
「うん。知らない。俺とあいつの意識と記憶は、あくまでも切り離されてるみたいよ。何事も、そう都合よくはいかないっぽいね」
「ふーん…」
ふっかが俺のことを好き、それはなんだか現実味がなくて、俺はふっかの話をただ、呆然と聞いていた。でも、目の前のふっかの言う通り、確かに切ないことだとも思う。
きっと、現実のふっかの膨れ上がった気持ちの上に、こいつは存在しているのだろう。
昼間になれば気配が無くなるくらい儚かった存在が、今やこうしてペラペラと喋り倒すまでになった。それほど、きっとふっかの気持ちは日に日に成長し続けているんだろうに、現実のふっかは、自分が作り出した化身のようなものと俺が毎日過ごしていることを、何も知らないのだ。
でも、どうしてあげることもできない。成仏という言葉が正しいかはわからないけど、こいつが満足するように一緒に過ごしたって、現実のふっかは何も知らないんだから、もちろん満足しない。反対に、現実のふっかを満足させる術も俺には分からない。
ふと、ふっかは俺のどこが好きなんだろうと思った。お互い友達だと思っていたのはどうやら俺の勘違いだったようだ。そこに対して、特段裏切られただとか、がっかりしただとか、そんなことは思わないけど、純粋に気になった。
「ねぇ、ふっかは俺のどこが好きなの?」
「それは本人に聞けよ」
そう言って、生き霊のふっかはカラカラと笑った。
「お前だって本人じゃん」
「俺は妖精みたいなもんなんで。そういうのはちゃんと現実の俺に聞かないと意味ないでしょ」
「…む」
「はぁ…。一個言えるとすれば、全部好きで、好きすぎて、何がとか、どこがとか、そんな次元で恋してないって感じかな」
俺が不貞腐れた顔をすると、決まってフォローするように、俺が納得するように、やれやれといった感じで何か言葉を掛けてくれるのは、現実のふっかと同じなようだ。
そうだ。こいつはこういう優しいやつだよな。
聞いてみたは良いものの、返ってきた答えはあまりにも苛烈で、重症で、そこまで俺の事を想ってくれていたことに、ただただ驚くばかりだった。
俺は、目の前のこいつに、なんと声を掛けたらいいのか分からなくて、黙りこくってしまうと、右手がひんやり冷たい感覚に覆われた。
ふっかの方を見ると、透けたふっかが、俺の手に自分の手を重ねていた。重ねていると言っても、ふっかの手は俺の手にほぼ貫通しているし、触れられた感触は無いから、ただ手元がひんやりしているだけではあるのだが。
ふっかは、力無く寂しそうに笑って言った。
「まぁ、これでも一応、毎日消える努力はしてるんだよ?なるべく早く消えられるようにするから。お前、こういうの苦手でしょ?」
俺は目の前のこいつに、なんて言ってあげたらいいんだろう。
確かにお化けは怖くて苦手。でも、ふっかだから怖くないし、もうこの生活が当たり前になって来ているから、今更迷惑だとも思わない。
そんなことより、俺としては、こいつがここに来た理由を知った上で、こいつが消えるってことの本質に目を向けることの方が怖かった。
生き霊のふっかが消えると言うことは、現実のふっかが俺への何かを諦めるということ、俺との何かを忘れるということと同じなんだって、そんな気がしたから。
俺を好きな気持ちだけで生まれたこいつの拠り所は、現実のふっかが抱く俺への恋心。
それがなくなったら、こいつは一体どこに行ってしまうんだろう。
こいつがいなくなったら、現実のふっかの気持ちは、どこに行ってしまうんだろう。
そんな未来がいつか来てしまうのかもしれないと思うと、それは、なんだかとても嫌だった。
どうして消えようとするんだろう。別に俺は今のままで、何も問題ないのに。
「ふっかだから大丈夫。ずっとここにいたらいいじゃん」
そう答えた俺の言葉に、生き霊のふっかは、泣きそうな、苦しそうな、でも、どこか嬉しそうな、そんな複雑な顔で俺を見つめながら、何も言わずにただ笑っていた。