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漠然とした感覚の中で眺めていたのは、生物と生物が殺し合う光景だった。
最初はこの光景にわたしも呑み込まれるのだろうかと恐怖した。どこまでも暴力的な世界、それでもわたしにとってその世界は確かな色を持つ世界だった。
だがわたしがこの世界に生まれ落ち、自由に動けるようになった時、目の前に広がっていた世界はただ風が吹き、木々が揺れるだけの寂れたもの。
そのときに、わたしの世界からは色がなくなったのだ。
朝が来て、夜が来て、そしてまた朝が来てもずっと変わることがない。
――わたしは何のために生きればいい? 何を目的にすればいい?
分からなかった。ただ何も求めず、生きる為に生きているだけだった。
でも、遂にわたしは見つけたんだ。一つの理由を。
この日、わたしはとある生物――人間と出会ったんだ。
その人間は1人だった。
何か変わったことをするわけでもなく、ただ歩いているだけ。それでもわたしにとって生まれて初めて見る、わたしを殺し得る力を持った生物との出会いは衝撃的だった。
わたしはその人間に強く興味を惹かれた。
あの人間がわたしを見つけたとき、どうするのだろうか。わたしを殺そうとするのだろうか。
……別にそれでもいいと思った。それをきっかけとすることでわたしがもう一度、この世界に色を見つけられるのなら。
好奇心から、森の木々から気まぐれに取っては体内に吸収している赤い果実をそっと人間の近くに置いてみることにした。
果たして人間はどんな反応をしてくれるのだろうか。
やはり警戒して辺りを捜索し始めるのか、そう予想した。
だが人間は最初、警戒する素振りは見せたものの予想に反して、果実を拾って食べ始めたのだ。
違う考え方をする生き物というのは予想ができなくて面白い、などと考えていると人間が3匹の獣に襲われそうになっていた。
なるほど、誰もいなくなったと思った世界にはまだ他の生物もいるようだ。
ここで思い出すのは、生まれ落ちる前に眺めていた暴力的な世界。
今ここで再びその光景が繰り返されるのかと思ったが、そうはならなかった。
理由としては単純で、人間がその場から逃げ出したためだ。
この人間は暴力的な世界に抗う力を持たないのだと理解した。だからこのままでは為すが儘にされるだけだろう。
それが何だか面白くなかったわたしは少し人間を手助けしてみようと思った。
どうやらわたしの力で獣が怯んでいるうちに人間は上手く逃げ出したようだ。
わたしは人間が逃げ出した先で何をするのか気になり、獣に気付かれないように人間の後を追った。
獣たちもわたしを軽く追い抜かして人間の後を追い、遅れてわたしが人間に追い付いたときには、人間は3匹の獣と棒切れ1本で戦っていた。
いや、それは戦いですらなく一方的な蹂躙でしかなかった。
弄ばれているのはもちろんあの人間だ。結局、この人間も力を持たぬが故、死んでしまうのだろうか。人間の抵抗はほとんど意味をなさない無駄なものでしかなかった。
でも、それでも――絶望的な状況の中で必死に生きようと足掻く姿がわたしの目には羨ましく映った。
――そんな時だ。
不意に強い衝撃を受け、わたしの意識は飛んでしまった。
やがて意識を回復したときには、先ほど戦っていた場所で2匹の獣が死に絶えていた。
これをあの人間がやったのだろうか。わたしは足跡がさらに続いていることに気付いて、その足跡を辿ってみることにした。
そしてあの人間を見つけることには成功した。
坂の下でボロボロになり、少しも動く気配はない。あれだけ必死に足掻いた先に待っていたのがこの結末だ。
わたしの内には何とも言えない感情が渦巻いた。
端的に言うと不愉快で、無性に悔しかった。
それを自覚した時、わたしの足は自然とこの森に成る赤い果実を取りに向かっていた。
その時のわたしの頭にはなぜか先ほど、果実を口にして笑顔になった人間の姿が浮かんでいたのだ。
再び人間の元に戻ってきても、人間が動く気配はない。
また、わたしの世界は静寂に包まれてしまった。
それでもただジッと待つ。何もない時を過ごすのには慣れている。
そうして待っていると、ついに人間が目を覚ました。
どれほどの時が流れたかはわからないが、確かに目を覚ましたのだ。
だが目を覚ました人間は木に背を預けると、そのまま膝を抱えて蹲ってしまった。
――何だそれは。せっかく生き残ったのに、どうしてそんなに悲しそうにしているんだ。
わたしの内側で湧き上がってくるものに突き動かされるように人間へと近付いた。
でも何も考えずに近付いたため、つい草花を揺らしてしまい、人間に気付かれてしまった。
不安そうな顔で今にも折れそうになりながらも問いかけてくる人間。
そこでわたしはハッとした。わたしはその不安を煽る存在なのではないか。
最初に出会った時は、この姿を晒してもよいとさえ思っていたのに、もうそんな気持ちはわたしの内側にはなかった。
どうしようかと悩んで、赤い果実を取りに行ったことを思い出した。
これを渡してしまえばまた笑顔になってくれるのではないかと思い、果実を投げ渡す。
すると人間は果実を拾い上げて、再度わたしに問いかけてきたのだ。
――姿を見せてくれないか、と。
わたしは驚いていた。先ほどの不安そうで悲しそうな顔は鳴りを潜め、少し微笑んではこちらをジッと見つめているのだ。
わたしが動けないでいると、人間の顔はまたどんどんと不安そうな顔に戻っていく。もうそんな顔はさせたくなかった。
だからわたしは思い切って人間の前に飛び出す。
これで戦いとなって殺されても仕方ないだろう、何もない世界で生き続けるよりも良いのかもしれないとさえ思った。
でも、人間はわたしの姿を見ても戦おうとはしなかった。そしてあろうことか赤い果実を口にして笑ったのだ。
そんな人間の様子にわたしは安堵した。知らず知らずのうちにこの人間とは殺し合いたくないと思っていたのだ。
かと思えばその直後、人間は涙を流してしまった。
わたしは彼女の頬を伝って流れていった涙のシミが広がっていくのをジッと見ていた。
傷が治った人間はどうやらこの場所から離れることにしたらしい。また、わたしは何もない世界で生きることになるのだろうかと思った。
だが人間は言ったのだ、一緒に来て欲しい、と。そして、わたしを傷つけるものを許さないと。
自分が生きるのも必死で死にそうになっていたのに、わたしを守るというようなことまで言ってくれた。
理由なんてどうでもいい、この人間と一緒にいたいと思った。すると、人間はわたしに名前をくれたのだ。”コウカ”というわたしだけの名前を。
気付いた時にはわたしと人間の間に強い繋がりが結ばれていた。
きっと、わたしの内側に湧き上がる感情は喜びなのだろう。
だが次の瞬間にはまた人間の目から涙が溢れそうになってしまったため、わたしは衝動的に人間の体をよじ登り、その涙を体で受け止めた。
きっとわたしは、この人間に悲しんで欲しくないと思っていたのだ。いや、もうずっと前からそう思っていたのだろう。
この自分の中にある想いを失いたくはなかった。
『ずっとその子のそばにいてあげてね』
その時、不意にどこからか声が聞こえたような気がした。
声が聞こえたのは一度きりで、今となってもその声がいったい何だったのかは分からないが、正直余計なお世話だと思ったことだけはよく覚えている。
それからわたしは誓った。この人間の少女――ユウヒを守ると。
マスターがわたしを守ると言ってくれたように、マスターを傷付けるもの、マスターを否定するものからマスターを守ると。
その瞬間、わたしは世界に色を見つけたのだ。
――でも、いつしかこの誓いを理由にして、自分の生き方を縛り付けてしまっていたのかもしれない。
盲目的に信じることで誓いの本質を見失ってしまっていたのかもしれない。
ライゼに何を言われようとも、わたしが抱く生きる理由の本質が変わることはない。
マスターを悲しませたくないのも変わらない。そのために強くなりたいと願ったのも変わらない。
それ以上に守りたいものが、大切なものが増えていただけだ。
ヒバナ、シズク、ノドカ、ダンゴ、アンヤ。みんな大切なわたしの家族なんだ。
――答えはすぐそこにあった。ただ見えていなかっただけ。
言葉は表面上のものでしかない。
誓いの本質は……あの時抱いていた想いは大切なものを失いたくない、守りたいというものだった。
だから、言葉通りにマスターのことだけを考えようとしていたわたしの心が迷っていると言われるのは当然のことだったのだ。
生きる理由を見つけたくて、心に刻みつけた誓い。
本当はもうこんなものがなくても、きっと迷うことなどない。世界が色を失うことだってない。
わたしはただ、家族と一緒に未来へと歩んでいけたらそれでいい。
――みんなに立てた誓いは、誓いという名の祈りだ。
わたしはこの祈りを胸に戦う。
そうしなければならない、と何かに突き動かされるわけではない、自分自身の意思で。
これから訪れる未来が輝かしいものであるように。確かな輝きを持つものにさせるために。
生きる理由すらも見出せなかった灰色の世界だったのに。
マスターというわたしに世界の色をくれた存在、家族という共に生きたいと願う存在。
大切なものがどんどん増えていき、その度にわたしの世界は鮮やかになっていく。
――そして色付いた世界の中から見る外の世界もまた、輝いて見えた。