テラーノベル
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——頼まれた。
その言葉に、一花の眉が無意識に寄る。
「誰に?」
「知らない女」
思いがけない答えに、一花は目を見開いた。
「知らない……?」
「名前も知らない。最初はSNSで向こうから連絡してきたの」
「SNSで?」
「うん。私が普段使ってるアカウントに、いきなりメッセージが来た。向こうはたぶん捨てアカウント。投稿もほとんどなかったし、名前も本名じゃないと思う」
「そんな相手の言うことを聞いたの?」
奈緒はすぐには答えなかった。
何かを言いかけるように唇を開き、やがて諦めたように視線を落とす。
「あの女、最初から私のことを知ってたの」
「……何を?」
「一花と高校からの友達だってことも、俊介のことも」
その名前に、一花の背筋が冷えた。
「俊介のことまで……?」
「うん。どうして知ってるのか聞いても、何も教えてくれなかった」
奈緒は自分を守るように腕を抱え込んだ。
「ただ、水野って男が一花に好意を持ってるから、少し話をしてほしいって。最近の一花がどうしてるかとか、俊介とうまくいってるかとか……」
一花は息を詰めた。
「それで……引き受けたの?」
「お金も出すって言われた」
奈緒の指先が、自分の腕へ食い込む。
「でも、それだけじゃない。何度か話してるうちに、俊介のことも聞かれて……」
一花が顔を上げる。
「俊介のこと?」
「私、何も言ってない。でも……たぶん、見抜かれたんだと思う」
奈緒は苦しそうに視線を落とした。
「『一花さんが少しくらい困ることになっても、あなたにとって悪い話じゃないでしょう』って言われて……」
一花は何も返せなかった。
奈緒が隠していた感情を、その女は見抜き、そこへつけ込んだのだ。
「水野と連絡先を交換するなって言ったのも、その人?」
奈緒が頷く。
「うん。会う場所を指定してきたこともあった」
それを聞いた神崎の表情が、わずかに険しくなった。
「最初から、痕跡を残さないつもりだったんでしょう」
一花の胸がざわつく。
奈緒一人の思いつきではなかった。誰かが裏から、奈緒と水野の接点まで管理していたのだ。
「その女とは……まだ連絡できる?」
奈緒はしばらく迷ったあと、ゆっくり頷いた。
「SNSのアカウントだけは、まだ残ってる」
「今までのやり取りは?」
「ほとんど残ってない。最初から、時間が経つと消える設定になってたの」
名前も素性も明かさず、やり取りの痕跡まで残させない。
最初から、何かを隠すつもりで奈緒に近づいていたのだ。
「そのアカウント……今も使えるの?」
「たぶん。消されてなければ、まだ連絡はできると思う」
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きなこもち
183
#サレ妻
都築七美
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一花は奈緒を見つめた。
身体にはまだ吐き気が残り、頭の中もひどく混乱している。それでも、ここで止まるわけにはいかなかった。
その時、奈緒がふらつくように立ち上がった。
「一花……」
次の瞬間、縋るように一花の腕を掴む。
「ごめん……本当にごめんなさい」
神崎がすぐに動き、一花と奈緒の間に入ろうとした。
けれど、その前に。
乾いた音を立てて、一花は奈緒の手を振り払った。
奈緒の目が大きく見開かれる。
振り払われた手を宙に残したまま、信じられないものを見るように一花を見つめた。
「許さない」
一花の声は震えていた。
「許せるわけ……ないでしょ?」
言葉にした途端、胸の奥がひどく痛んだ。
くしゃりと、奈緒の顔が歪む。
「一花……」
「あなたがどこまで望んでたかなんて、もう関係ない」
一花は震える息を吐いた。
「起きたことは、もうなかったことにはできないから」
奈緒の肩が小さく揺れた。
「……そう、だよね」
力の抜けた声だった。
振り払われた手をゆっくり下ろし、奈緒は俯く。
一花はしばらく、そんな奈緒を見つめていた。
許すことはできない。けれど、ここで奈緒を責め続けても、失ったものは戻らない。
まだ、知らなければならないことが残っている。
「それでも」
奈緒が恐る恐る顔を上げる。
「自分がしたことを後悔してるなら」
一花は一度息を整えた。
「少しでも、償いたいって思ってるなら――」
奈緒の目をまっすぐ見つめる。
「その女に、会わせて」
奈緒の瞳が揺れた。
「……会うって?」
「もう一度、そのアカウントに連絡して」
「でも……」
「水野だけで終わりじゃないなら、その先にいる人を知りたいの」
奈緒は何も言えず、一花を見つめ返した。
そして——長い迷いのあと、奈緒はようやく小さく頷いた。
「……分かった」
奈緒は震える手でスマートフォンを取り出し、例のアカウントを開いた。
「水野が捕まってから、一度も連絡してないの?」
「うん。怖くて……」
一花は画面を見つめる。
「そのまま送って。水野が捕まってから怖くなった。警察に全部話そうと思ってるって」
奈緒の顔が強張る。
「そんなこと言ったら……」
「相手が動いても、あなた一人にはしません」
神崎が静かに言った。
奈緒は不安そうに二人を見比べたあと、何度か文章を打ち直す。
やがて一度大きく息を吐くと、画面を一花へ向けた。
『水野が捕まってから、ずっと怖くて。警察に全部話そうかと思っています』
「……これでいい?」
一花は頷いた。
奈緒の指が送信ボタンに触れ、短い文章が画面の向こうへ送られていった。
それからしばらく、誰も口を開かなかった。
川の流れる音だけが、やけに大きく聞こえる。
奈緒はスマートフォンを両手で握りしめたまま、何度も画面を確認していた。
もうこのアカウントは使われていないかもしれない。
こちらの動きを警戒して、二度と姿を見せないかもしれない。そんな考えが一花の頭をよぎる。
その時、スマートフォンの通知音が鳴った。
張りつめた空気の中で、その音は妙に軽く聞こえた。
先ほどのアカウントから、新しいメッセージが届いていた。
「……来た」
一花と神崎が、同時に画面へ視線を落とした。
『電話では話さない方がいいですね』
短い返信に、奈緒が息を呑む。
返事を考える間もなく、スマートフォンがもう一度震えた。
『直接会いましょう』
一花の背筋に、冷たいものが走った。
奈緒のさらに向こうにいる誰かへ、ようやく手が届く。
コメント
1件
**はる。だよ〜!** 今回もめっちゃ重くて切なかった……奈緒ちゃんが「知らない女」に頼まれてたって衝撃の事実、一気に話のスケール変わったな。それにしても、痕跡残さない捨てアカで俊介のことまで知ってるって、裏の人物がどれだけ用意周到なのかゾッとするわ。 最後の「直接会いましょう」で一花が掴もうとしてる糸、神崎さんがいるからこそ慎重に進めてほしい。許せないけど前に進むしかない、その覚悟が胸に刺さったよ。続きめっちゃ気になる🔥