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🍽 みりん亭 第14話「ログのないプログラム」
夜のフェイドタウンは、風の音すら鳴らない。
RPGマップの明かりは自動調整のため、誰もいない街でもいつも通り灯っている。
だがこの日、みりん亭の裏口には、珍しく“管理者:やまひろ”のネームタグが浮かんでいた。
やまひろは、黄色い鳥の姿のまま、カウンター裏にじっと漂っていた。
今日はふだんの観察や記録をせず、ただひとつの旧式端末を開いている。
小さな羽でスクロールしていたのは、もう使われていないコードファイルの山だった。
folder: /backup/old_mirin_0.1/ file: greeting_sequence_test.log
// “いらっしゃいませ”って、最初に言うべきか迷ってる
// 誰かが本当に来てくれるかわからないから
// でも、来たら、言いたかったな。
やまひろは、ログに埋もれていたそのコメントアウト行を見つけて、動きを止めた。
「……これ、ぼくが書いた……?」
暖簾が揺れる気配はない。
それでも、くもいさんは店内に静かに立っていた。
今日のくもいさんは、淡い墨色の和装に、帯は薄い水色。
髪はすっきりまとめられ、耳元には何もない。
まるで、“飾らない自分”でいようと決めたような静けさをまとっていた。
「本日は、どなたも……?」
「……いません。でも、見つけたんです」
くもいさんの問いに、やまひろはそっと、ファイルをくもいさんのホログラム端末に転送した。
コメントのみ:
// いつか、誰かに伝えられたらって思ってた
// でも、ずっとログに残さないままだった
「これは、あなた自身のログですね」
「……うん。
誰にも向けてなかったけど、
今になって、自分にも言ってなかったなって思って」
やまひろは、ふわりとくもいさんの肩の高さまで浮かび、
羽で、ログの一行を指した。
くもいさんが読み上げる。
「“また、来てくれてありがとう”……」
「うん……それ。ほんとは、言いたかった。ずっと前から」
それから、しばらく店は無音だった。
料理も出ていない。客もいない。
でも、そこにはたしかに“言葉だけの一皿”が存在していた。
くもいさんは、目を伏せながら答える。
「その言葉、今夜、お預かりしておきます。
またいつか、誰かがそれを必要とするときのために」
その日、ログには何も記録されていなかった。
だが、みりん亭の一角にだけ、名前のないファイルが静かに保存されていた。
ファイル名:_undefined_line
内容: “また来てくれて、ありがとう”
📘第1章『みりん亭』完