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●犯人
●第6話
ある朝、職員が寝泊まりしている部屋で死体が発見されたのだ。
死因は絞殺。
犯人はすぐに捕らえられた。
しかしその人物は、自分がやったのは絞め殺したのではなく、首吊り自殺に見せかけただけだと主張したという。
この事件をきっかけに、児童養護施設の環境が見直される契機になった。
この一件は新聞や週刊誌などで大きく取り上げられた。
その結果、古屋健也と古屋暁人の兄弟は、それぞれの両親の元に引き取られることになる。
古屋暁人は両親と共に暮らすようになったが、古屋健也は違った。
彼は両親から捨てられたわけではなく、自ら両親を捨てた。
○ 古屋健也は、古屋暁人に育てられたわけではない。
古屋暁人は古屋健也を育てたわけでもない。
古屋健也は古屋暁人が保護するまで、たった一人で生きていた。
そのことを知った時、俺は絶句した。
俺は古屋暁人から、古屋健也は両親に捨てられて乳児院に拾われたという風に聞かされていた。
だが実際には、そうではなかった。
「兄さんは両親から捨てられたわけではありません。
乳児院の園長が、二人の結婚を認めなかったのです」
「二人とも未婚だったんですか?」
「いえ、違います。
兄さんと両親は夫婦で、妹さんがいらっしゃいます」
「ではなぜ?」「理由は簡単です。
兄さんが養子だからです」
「養子?」俺は耳を疑った。
「はい」女性は静かに答える。
「兄さんは養子だったんです」
古屋健也は、両親が結婚した直後に、乳児院の前に置き去りにされたのだという。
「生まれてすぐの赤ん坊だったんです。
だから誰も、その子がどこから来たのか知りませんでした」
古屋健也の母親と父親は夫婦仲が良く、息子を溺愛していたという。
「兄さんは、とても可愛らしい赤ちゃんだったようです。
きっとご両親も愛情を込めて育てたんだと思います。
しかし、兄さんが3歳の時に悲劇が起こりました」「交通事故ですか?」
「いいえ」女性は首を振った。
「両親が離婚したのです」「離婚?」
「原因は父にあったようです」「それが原因で古屋さんは母親と一緒になったんですね」
「はい。
もともと、二人は駆け落ち同然の結婚だったらしく、父親も家を出たきり、一度も帰ってきていないそうです」
「それで古屋さんは、古屋さんの妹さんに引き取られたんですね」
「はい」
「じゃあ、美知佳さんは……」
「美知佳は、兄さんと母の間に生まれた娘です」
「では、古屋健也と美知佳さんとは実の姉妹ということですか? 血は繋がっていないのに」
「そういうことになります」
「でも、美知佳さんは古屋健也をお父さんと呼んでいるんですよ」
「美知佳は、兄さんを本当の父親と混同して呼んでいるだけです」「混乱するのも無理はないかもしれませんが」
「でも、それだけじゃないんです」
「他にも何か?」
「はい。
美知佳は、私の娘でもあるんです」
古屋暁人と古屋健也の兄妹には、血の繋がりは無かった。
しかし美知佳とは血縁があったという。
では古屋健也と美知佳はどうなる?「美知佳は、古屋健也の姪に当たります」
○
「俺の叔母に当たる人物、古屋美知佳には戸籍がありました。
古屋美知佳は、古屋暁人と古屋健也の実の娘であることが証明されています。
美知佳の父親欄に書かれている名前は、古屋健也のものなんです。
そして、美知佳の母である古屋暁子の名前の下には、古屋暁人の名前が書かれていました」
「どういうことです」
「古屋暁子は、美知佳を出産する際に、養子縁組を解消したんです。
だから美知佳は、古屋暁人と古屋健也の実の子供であるのと同時に、古屋暁人と古屋健也の実子でもあったんです」
「つまり古屋健也と美知佳さんは、古屋暁人の子供であり、古屋暁人と古屋健也の娘であると」
「そうなります」
「それは、美知佳さんが古屋健也を父と慕うのも納得できます」
「はい」
「でも、なぜ古屋暁人はそのことを隠していたんですか」「古屋健也は、自分が養父であることを隠すように頼んでいたんです」
「どうして」
「理由はわかりません。
兄は、自分の出生の秘密を知る人間が一人もいない場所に行きたいと言っていたことがあります」
「その気持ちはわからないでもないですが」
「私は、古屋健也が望んでいることを叶えてあげたかった。
それに、今更こんなことを言うのもどうかと思うんですが、私自身も、自分の出生については何も知らないままでした。
自分の本当の父親が誰なのか、気にならないと言えば嘘になります。
美知佳の出生に関しても同じです。
美知佳の母親は古屋暁子のはずなのに、彼女は自分の母親のことは何も語ろうとしませんでした」
「そういえば、古屋暁人は古屋健也のことを『アキラ』と呼んでいたんですよね。
あれは本名ではなく、仮名ですか?」
「そうです。
おそらく兄もそう呼んで欲しいと望んでいたのでしょう」
「でも、あなたはそう呼ばなかった」
「はい。
私も自分の名前を知りたかったんです。
自分が生まれた時のことを覚えていなくても、誰かに呼ばれていたなら、それが私の本当の名前かもしれない。
だけど、誰にも呼ばれたことがなかったんです」「それは辛いですね」
「そうですね。
自分の本当の名前を知らずに育った人間は、自分の本当の出自を探そうとします。
でも、それがわかるのは自分しかいない。
だから、他の人間に知られないように、必死に隠してしまうんです」
俺は彼女の言葉を聞いて、まるで自分のことだと思った。
俺が今まで生きてきた中で、俺自身を知っているのは、俺だけだった。
俺自身が、俺の過去を覆い隠してきたのだ。
「そのことについて、警察が調べたりしなかったんですか?」
「もちろんしました。
しかし、いくら調べても、何も出てきませんでした」俺はその時、初めて会った時に彼女が言っていた言葉を思い出した。
『もし、警察に捕まってしまったら?』
彼女はあの時、こう答えたのだ。
『私が何をしたっていうのよ!』
「結局、その件は迷宮入りになってしまったんです。
兄が姿を消した後で、警察の方に事情を話したんですが、取り合ってもらえませんでした」
彼女は肩を落とした。
「もう諦めてしまってるんです。
真相を突き止めようともしていない」
「そんな馬鹿な」
「本当なんです。
警察は、失踪した人間のことは忘れろと言うばかりでした。
事件性がないと判断されれば、それ以上追及することはありません」
「確かに、警察は事件が起きてからでないと動きませんからね」
「はい。
兄がいなくなってからも、ずっと一人で探し続けています。
でも、手がかりすら掴めずにいるんです」
「古屋暁人は、本当に古屋健也の行方を知らないんですか?」
「はい」
「古屋暁人が最後に会って話したのはいつのことですか?」
「去年です。
兄の誕生日でした」
「誕生日?」
「兄の生まれた日が7月1日で、古屋暁人は6月30日に亡くなりましたから」
○ 古屋暁人の死亡推定時刻は午後10時から11時頃までの間だ。
死因は絞殺による窒息死。
現場には凶器と思われる紐状の物が残されていて、死体の首には絞殺痕が残っていた。
だが、古屋暁人は、自分の首を絞めたわけではない。
古屋暁人の首に残された絞殺痕は左右非対称だった。
古屋暁人は、両手を使って首を絞められたわけではない。
古屋暁人が首を吊った場所は公園にある鉄棒だった。
彼は、そこから垂れ下がっていたロープを首にかけて死んだ。
古屋暁人の両足は地面についていなかった。
古屋暁人は、自分の意思で首を吊るような真似はしない。
「つまり、古屋暁人は自殺ではないということですか?」
「はい」
「しかし、古屋暁人が自分で自分を縛ったとは考えにくい」
「ええ。
普通、縄で他人が人を縛り上げるのは容易ではありませんからね。
特に男性の力は強いですから」
「では、誰が?」
「兄が自殺する理由が見当たりません」「古屋暁人は、何かに追い詰められていたとか、悩んでいたということはありませんでしたか?」
「いえ、特に思い当たる節はないようです」
「では、古屋暁人は誰かに殺されたのでしょうか?」
「いいえ」女性は首を振った。
「それもあり得ません」
「なぜ?」
「古屋暁人は、何者かに殺害された痕跡が見られなかったからです」
「古屋暁人に外傷はなかったんですか?」
「はい。
身体中を触診してみましたが、傷や打撲の跡は見つかりませんでした」「じゃあ、古屋暁人はどうやって亡くなったんですか?」
「わかりません」女性は力なく答える。
「私も何度か現場に行ってみたのですが、よくわからなかったんです。
そもそも、この辺りは土地勘がなくて、どの辺が犯行現場なのかも特定できませんでした」「古屋暁人と最後に会ったのは、古屋健也だったんですよね」
「ええ。
兄は、自分がいなくなった後のことを心配して、私に連絡してくれたんです。
古屋暁子さんも一緒にいました」
「古屋暁子は、古屋健也と美知佳さんの保護者なんですよね。
古屋暁子が美知佳さんを連れて来たんですか? 美知佳さんはまだ3歳ですよね」
「兄は、美知佳を引き取ることに決めていました」
「古屋暁子は、美知佳さんを連れて行くつもりだったんでしょうか?」
「さぁ……そこまでは……」
「美知佳さんは、まだ小さかったんですよね? 美知佳さんをどうするつもりだったのでしょう? まさか、誘拐する気ではなかったと思いますが」
「私にも、なんとも」
○
「では、美知佳さんは古屋暁子に引き取られたということですね?」
「はい。
美知佳は古屋暁子と暮らしています。
古屋暁子は、美知佳が生まれてすぐに夫に先立たれているので、子供を育てた経験がありませんでした。
しかし、私の娘でもあるので、子育てには慣れていました。
美知佳はすくすくと育っているようです」
「そうですか。
それはよかった」
「はい。
私も美知佳に会いたいと思っているんですが、なかなか会うことができません」「なぜです?」
「古屋暁子に止められています。
美知佳は私の娘だとわかったら、また家族がバラバラになってしまうと恐れています。
私は美知佳に、自分が母親であることは知らせないでくれと頼まれました」
「でも、古屋暁子は美知佳のことを娘として育てているんですよね?」
「はい。
美知佳は私の実の娘であることに変わりはありません。
だから、美知佳は私の娘なんです。
古屋暁子の言う通りかもしれません。
でも、私はそれでも構わないと思っています」「古屋暁子の気持ちもわかる気がします。
美知佳さんが古屋暁子の実の娘であるのと同時に、古屋暁人と古屋健也の実の娘であるというのなら、美知佳さんは二人にとって大事な存在でしょう。
でも、古屋暁子の側にも、美知佳さんを手放したくないと思うだけの理由があったのでしょうね」
「そうですね」
「でも、古屋暁人は、なぜ美知佳の存在を隠そうとしたんでしょう。
やはり、自分が養父であることを隠すためでしょうか」「それもありますが、一番の理由は別にあったんだと思います」
「どんな理由ですか?」
「古屋暁人が美知佳を産んだ時に、既に夫の古屋健也がいたということです」
「それは、どういう意味ですか?」「古屋暁人は、古屋健也との間にできた子供を妊娠していたんです。
古屋暁人は、夫との子供がお腹にいる状態で、別の男性の子供を出産しました。
そして、古屋暁人は出産直後に、自分の本当の父親が誰なのか知りたいと言って、自分の出生の秘密を知る人間を全て遠ざけようとしたんです。
もちろん、古屋健也は例外です。
古屋健也は、自分の父親が誰であるのか知っていました」
「でも、それならどうして、古屋暁人は自分の出生のことを秘密にしていたんですか?」「おそらく、自分の本当の父親に知られたくなかったのでしょう」「その古屋暁人の本当の父親は誰なんですか?」
「それは……」
彼女はそこで口をつぐんでしまった。
「それは?」