テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
うめぼっち

706
#溺愛
うめぼっち

527
うめぼっち

609
#ざまぁ
うめぼっち

521
リアーヌは本を握りしめた。 渡したくない。渡せば終わる。あの新聞が、クロードに見つかる。父のことを書いた記事。リアーヌにとって『燭影』は、ただの紙切れではない。まして、異端文書などでは断じてない。父の無実を信じる者が存在する証なのだ。
しかしクロードは容赦しなかった。
「……抵抗するな」
クロードがリアーヌの抱える本に手を伸ばす。
「協力を拒む場合は、異端擁護の嫌疑で連行することもできる」
「やめ……!」
リアーヌの全身が強ばる。クロードは身を乗り出し、リアーヌを押し倒した。リアーヌの背中がカウチソファに沈む。クロードは本を奪うと、ただ事務的に、リアーヌから身を離した。そして本を開き、ページをめくる。紙と紙の間に挟まっていたものが、姿を現した。クロードの手が止まる。
「これは……」
クロードの視線が、紙片へ落ちる。次いで、リアーヌへと向けられた。
「異端文書を隠し持っていたか」
クロードが、冷ややかにリアーヌを見下ろす。
逃げ場がない。けれど──渡すわけにはいかない。
リアーヌは震える唇をゆっくりと開いた。
「それは……異端文書ではありません」
声が掠れる。
それでも、リアーヌは言葉を続けた。
「私の父の最期について、記されたもの……だから……」
クロードは何も言わなかった。ただ、リアーヌをじっと見ている。その沈黙が、かえって恐ろしかった。けれどリアーヌは、ここで引き下がるつもりはなかった。利用できるものは何でも利用する。目の前の男よりも、復讐を遂げることができずに終わることのほうが、よほど恐ろしい。
リアーヌはゆっくりと身体を起こした。そして、クロードから目を逸らしたまま立ち上がる。一歩。また一歩。彼に近づいていく。ミュールの底がかすかに床を鳴らした。リアーヌは彼の顔を見ないまま口を開いた。
「あなたは、この新聞の発行者を知っているの?」
返事はない。
リアーヌはそこで初めて、クロードを見上げた。
クロードがわずかに目を見開いた。
その反応を見て、リアーヌは薄く笑った。
「……知らないわよね」
さらに一歩、距離を詰める。
クロードが目を細めた。
「知っているなら、わざわざ娼婦を摘発する必要なんてないものね」
リアーヌは嫣然と微笑んだ。
「見逃してくれるなら、あなたに協力するわ。この新聞を客に見せて、私が情報を集める。そしてあなたに報告する。……どうかしら?」
クロードは答えなかった。ただ、リアーヌを見ていた。その視線には、先ほどまでとは違うものが混じっているように感じられた。警戒、そして、値踏みするような視線。リアーヌは、それを怖いと思った。けれど同時に、少しだけ安堵していた。話は通じる。少なくとも、完全に思考を捨てた男ではない。なら、まだ交渉できる。そう思った瞬間、クロードは片手で本を閉じた。そして、もう一方の手でリアーヌの肩を掴む。
リアーヌは驚きに目を見開いた。クロードは、左手に本を持ったままリアーヌを引き寄せた。その顔が近づく。しかしそこにあるのは客が娼婦に向ける欲望ではなかった。
「警告しておくが……」
低い声がリアーヌの耳元に落ちる。
「我々聖環騎士団が、外部の協力者を信用することはない。場合によっては君を異端者として処刑することになるだろう。そのような末路を容認できるのであれば、好きにするといい」
冷たい声でそれだけ言うと、クロードは身を離した。
そしてリアーヌに本を差し出す。
「本は返却しておくよ。押収の必要はないと判断した」
リアーヌは戸惑いつつも、両手で本を受け取った。本の間に挟まったままの『燭影』に、指先が触れるのが分かる。その存在を確かめるように、そっと本を抱え込む。
クロードは淡々と告げた。
「用件は以上だ。私はこれで失礼する」
そして踵を返そうとし、リアーヌを振り返る。
「……そろそろ開店の時間だろう。業務の邪魔をするつもりはないのでね」
それだけ言うと、クロードはホールに戻っていった。
リアーヌは、本を両手で抱えたまま彼の背中を見つめていた。
何か言わなければ、と思った。けれど、言葉が出てこない。感謝なのか、疑念なのか、あるいは別の何かなのか。彼に何を伝えたいのか、自分でも分からなかった。
やがてクロードの姿が見えなくなると、リアーヌはようやく息を吐いた。胸の奥に溜まっていたものが、一気に外へ流れ出ていくようだった。
──やっぱり。教会関係者は、信用ならないわ。
どこか自分に言い聞かせるように、リアーヌはそう思った。
そして、ゆっくりと椅子へ腰を下ろす。
ホールでは、まだ人の気配が騒がしく動いていた。
騎士たちが去っていく音。スタッフたちのひそひそ話。やがて、館は再びいつもの姿へと戻っていくのだろう。
リアーヌは本を開き、その間から『燭影』を取り出す。父の無罪を信じる者がこの世に存在することを、指先で確認するように。そして、目でも確認しようと紙面に視線を落としたとき、先ほどは見落としていた欄外の一文が目に留まった。
──これは……どういうことなの……。
リアーヌは眉を寄せる。
そこに書かれていた言葉は──
『王女セレスティーヌは生きている』
王女セレスティーヌ。その名前をリアーヌは知っている。
彼女は、ヴェルムート王国の歴史に名を残す、悲運の王女として知られている。セレスティーヌの母エマは、聖エリオス教から正式に聖女と認定された女性だった。ヴェルムート王国では、聖女と国王の間に生まれた子は、たとえ庶子であっても嫡出子と同等の王位継承権を認められることが法で定められている。ゆえにセレスティーヌは、異母兄ソル=アンリに次ぐ王位継承権第二位の王女となっていた。
しかし、王位をめぐる権力争いの中で、彼女はファミーユ家の圧力に屈し、継承権を放棄させられた。そして、わずか三歳で聖ミレジア修道院に入れられ、八年前、修道院を襲った火災によって、十歳で命を落とした。
葬儀は国葬として執り行われ、国中が喪に服した。
その葬儀を取り仕切ったのは、リアーヌの父、ジェラールだった。焼け落ちた修道院跡で、セレスティーヌの死を確認したのも父だったという。
──でも、この話が本当なら……。
リアーヌは長い間、欄外の一文から視線を外すことができずにいた。
窓の外では、夜が静かに深まっている。館の中では、いつものように娼婦たちが客を迎える準備に勤しんでいる。今日もまた、長い夜が始まろうとしていた。
コメント
1件
みぅです🤍 リアーヌ、本当にすごい…。クロードに押し倒されても、怖がりながらも冷静に交渉する強さがあって、でも心の中では「信用ならない」って言い聞かせてるのが切なかったです。『燭影』の中の「王女セレスティーヌは生きている」って伏線、心臓が止まるかと思いました…この一文がどう転ぶのか、続きが待ち遠しいです🥀