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「谷、課長に昇進して、釧路に行く気はないか?」

「はいっ!?」

唐突な話に、俺はせっかく口に含んだビールを吹き出しそうになった。

「千堂が持ってる、我が社の最年少課長昇進記録保持者になれるぞ」

記録に興味はないが、どこからそんな話が降って湧いたのかも分からないままでは、答えようがない。

「溝口さん、ようやく彩さんと籍を入れたんだよ」と、千堂課長が言った。

補足説明のつもりだろうが、全く脈絡がない。

そもそも、一月四日の十九時を過ぎてから、『上司命令だ!』とほろ酔い口調で呼び出されたら、二人はすでにいい感じに出来上がってるって、どうなんだ。

「それは、おめでとうございます。けど、それと俺の課長昇進と、釧路行きがどう――」

最後まで聞かなくても、わかってしまった。

「溝口さん、札幌こっちに戻るんですか?」

本当に珍しく上機嫌な溝口さんは、ニッコリ笑ってピース。

「え? じゃあ、冨田部長は?」

「冨田じゃなくて、千堂部長な」と、つい最近冨田営業部長の旦那様となった千堂課長が指摘する。

ハッキリ言って、どうでもいい上に、紛らわしい。それは、以前から言ってある。

「千堂部長は産休と育休に入るタイミングで、部長職を降りる予定。あ、まだ、ここだけの話だぞ?」

「そうなんですか!?」

「そうなんです」

「で! 俺が部長として戻る! んで! 釧路の支店長を営業部長と兼任にして、課長を部長補佐にして、育ったら部長にして、空いた課長のポストをお前に――って、なんだ、メンドくせぇな。谷、お前、部長として釧路行け! 俺が許す!!」

溝口さんが珍しく酔っているのは、紆余曲折を経てやっと堀藤さんと結婚できたからなのか、札幌に戻れることになったからなのか、単なる飲み過ぎなのか。

いずれにしても、こんな風に上機嫌で酔っている彼を見るのは初めてだ。

「これからは、俺も『彩さん』って呼んでいいですか?」

世話になった上司の幸せを素直に喜ぶ気持ちと、羨ましく妬む気持ちを込めて、言ってみた。いや、実際に呼ぶのに紛らわしい。

「ダメに決まってんだろ!」

割り箸の先を俺に向け、溝口さんが言った。

「千堂も! 人の嫁を名前で呼ぶな」

「紛らわしいんですよ。それに、俺は彩さん本人からOK貰ってますし」と、千堂課長は素知らぬ顔で焼き鳥を口に入れる。

「はぁ? お前ら、なにこそこそ連絡とってんだよ! 嫁に言いつけるぞ!!」

「もう、いいじゃないですか。彩さん、凪子さん、で!」

「いやいやいや! ないだろ!」

「だから、紛らわしいんですよ! つーか、名前くらい――」と、俺もしゃあしゃあとジョッキに口をつける。

「――じゃあ、なんだ、ほら、お前の好きな女。なんつった?」

『なんつった』もなにも、二人にあきらの名前を教えたつもりはないが、まあいいかと思った。

「あきら、です」

「俺らが、『あきら』って呼んでもいいんだな?」

「会ったこともないのに呼び捨てですか」

「年下だろ? じゃ、あきらちゃん?」

違和感しかない。

『ちゃん』ってイメージじゃないのもそうだが、周囲にそう呼ぶ人間がいないからか別人を呼んでいるようにしか思えない。

「柄じゃない……」

「で? あきらはオトせそうか?」

「いつか、必ずオトします」

「年度中に?」

「はっ!?」

「釧路、一人で行くのか?」

酔ってニヤニヤしていた溝口さんが、急に真顔になる。

「正直なとこ、小さな支社では支社長と部長の兼任とか、課長なしなんて珍しくない。そもそも、俺の異動に伴って温情で部長枠を用意してもらったようなもんだし。だから、上は俺が抜けたら支社長が部長を兼任して、決裁だけすればいいって考えだ」

妥当な線だろう。

廃社確定だった釧路支社を存続させたのは溝口さんで、上層部は廃社の時期がズレただけだと、新体制に力を入れたりはしないはずだ。

「けどな! 俺としては折角立て直した釧路を潰したくないし、札幌や東京なんかとは違って、地域密着型の細々とした経営でも十分やって行けると思ってる。それに、長年俺の下でやって来たお前なら、すんなり引き継げるだろ。なにより! 絶対、お前のためになる!」

「俺を買ってくれてるのは嬉しいですけど、そもそも溝口さんに俺の釧路行きの決定権、あるんですか? ――というか、溝口さんの異動は確定してるんですか? いくら内示でも、まだ早くないですか?」

「さすが谷。いいとこに気が付いた!」と、今度は千堂課長が俺に箸を向ける。

「バッカだなぁ。そんなもん、俺にかかったら――」

「――自分の後釜までお膳立てして、勢いで上層部に認めさせる気なんだよ」と、千堂課長が溝口さんの言葉を遮る。

「まぁ、内示の内示は貰ってるみたいだけど、決定的なところまでいってないから焦ってるってのが本音だろうけど」

「うっせぇよ、千堂」

「――っていうか、春に札幌戻れなかったら、辞める気ですよね?」

「えっっ!? マジですか?」

「……」

溝口さんは答えない。


いやいや、嘘だろ……。


「折角、やっと彩さんと結婚できたのに、また一年も別居なんて耐えられないんでしょ」

千堂課長がパッドを操作する。俺と溝口さんもビールを頼んだ。

「異動を認めさせる脅しには使うかもな」と、溝口さんがポツリと言った。

「いや、そんなん口に出したら、異動出来なかった時に引っ込みつかないじゃないですか」

「引っ込める気なんかねーよ」

入社時、俺は開発部に配属された。開発の仕事は楽しかったし、不満はなかった。が、研修で営業に同行したのがきっかけで、自分は営業向きだと感じた。

同行した営業が溝口さん。

当時はまだ主任だった溝口さんに同行し、取引先の声が直接聞き、開発や製造との橋渡しをして、商品を取引先に納めるまでに携わり、断然営業が面白そうだと思えた。

溝口さんも俺には営業が向いていると言ってくれて、入社三年目に営業に引っ張ってくれた。

俺は溝口さんに育てられたも同然だ。

その溝口さんが、会社を辞めるかもしれない。

驚きしかなかった。

「そんなに……彩さんが大切ですか?」

築いた地位を捨てさせるほどの女性。

堀藤さんがとてもいい人なのは知っている。が、この二年は遠距離だったし、あと一年延びたところで文句を言うような人ではないと思う。

「――っていうか、結婚したばっかで転職とか、彩さんがいいって――」

「――俺が、耐えらんねーんだよ」

以下の一夜干しを突きながら、溝口さんが笑う。

「放っておくと、すぐに独りで頑張るし」

「ああ、うん。そんな感じですよね」と、千堂課長。

「甘えるの下手そう」

「お前が俺の女を語るな」と、すかさず突っ込む。

「事実だからムカつくわ」

「だから、そばにいるためなら会社を辞めてもいい……んですか?」

「んー……」と目を閉じ、また笑う。

「かな?」

「かな? じゃないですよ! 家族が増えたんなら、稼がなきゃじゃないですか」

彩さんには、前のご主人との子供が二人いる。中学生と小学生の男の子。

「別に、今の会社だけが働き口じゃないだろ? それに、辞めずに戻ってくるの為にこうしてお前に打診してんじゃないか」

「けど――」

いくら溝口さんの功績が大きくても、一度は部下の不始末で退職が決定していた彼が本社に戻るのは容易ではないはずだ。

「心配すんな。ちゃんと根回しはしてある。余程のことがなければ、上手くいく。だから! 俺が異動した後の釧路をお前に任せたいって言ってんだ」

「あ! けど、これはあくまでも酒の席でのおしゃべりだから、断っても谷の出世には響かないから心配ないよ」と、千堂課長がフォローを入れてくれる。

「いくら溝口さんが鬼でも、嫁可愛さに自分が育てた部下の恋路を邪魔したりはしないだろうし」

「誰が鬼だよ!」

「そこは、嫁可愛さに、に突っ込むとこでしょ」

千堂課長がケラケラと笑う。

「ひと月後には内示を貰う予定だ。出来ればその時に後任にお前を推薦したい。考えておいてくれ」

「……はい」

「あきらとも相談しろ」

「人の女を呼び捨てにしないでくださいよ」

「まだお前のじゃないんだろ?」

言い返せないから、悔しい。

純粋に仕事のことだけを考えたら、行きたい。

俺は本社しか経験がないから、他の支社にも行ってみたい。溝口さんが基盤を作ったのなら、俺には勝手がいいはずだし。

だが、溝口さんに彩さんがいるように、俺にはあきらがいる。

溝口さんが彩さんのそばにいたいように、俺もあきらのそばにいたい。


離れるなんて考えられない――!


あきらがくれたマフラーが、いつもより少しだけくすんで見えた。

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