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結局、俺はストーカーになった。
いや、まだ予備軍の域だと、自分では思いたい。
とにかく、俺は、あきらの最寄り駅の改札前にいる。かれこれ、一時間。
一カ月も我慢できたなんて、頑張ったもんだ……。
この三週間、溝口さんへの返事を迷っていた俺は、何度もこの駅で降りては引き返していた。が、もういい加減返事をしなければと思っていたところに、大和さんから電話がきた。
『さなえには黙ってるように言われてたんだけど、俺なら知りたいし、つーか、お前ら見てるとマジでイライラするから、とっととまとまってもらうには――って、とにかくだ! あきら、男と別れてるぞ。ついでに、お前を失うのが怖いから友達でいたいって泣いてたらしい』
そう聞いて、俺の頭の中でプチッと何かがキレた。
きっと、理性の糸。
それが昨夜のこと。
そして、俺は今日、脇目も振らずに仕事を片付け、定時ちょうどにタイムカードを切った。それから、駅までの道のりで電話を一本、かけた。
溝口さんに。
『どうした? 決めたか?』
会社にいるらしく、彼の肩越しにキーボードを叩く音や話し声が聞こえる。
「返事をする前に、聞きたいことがあって」
『なんだ?』
「溝口さんは、彩さんの為にキャリアを捨てること、なんの躊躇いもないんですか?」
『……今は、ない』
「今は?」
『ああ。ま、俺も自覚したのは最近だけどな』
「というと?」
『年末、俺、まとめて有休取ったろ?』
「はい」
ちょうど彩さんが会社を辞めた後、溝口さんはまるっと一週間ほど有休を取った。彩さんと何かあったんだろうとは思っていた。
『あん時、さすがに急だし釧路の支社長に許可してもらえなくてさ。だったら辞める、って言ったんだよ。ホント、無意識に』
フッと、溝口さんが息を吐く。
『けど、それでもいいって思ったのは事実だった。仕事のために彩を諦めるなんて、少しも考えられなかった』
仕事の鬼だった溝口さんの言葉とは思えない。
百歩譲って仕事と同じくらい彩さんが大事だとしても、『仕事も女も手に入れる』くらいのことを言ってのけそうな人だ。
『けど、お前はまだ早いぞ?』
「え?」
『俺に聞くってことは、迷いがあるってことだろ?』
「……」
溝口さんの話を聞いた時、純粋に興味が湧いた。けれど、すぐにあきらの顔が浮かんだ。
溝口さんが彩さんと離れられないように、俺だってあきらと離れられない。
離れたくない。
『それに、俺が会社を辞めてもいいと思うほど札幌に帰りたいのは、彩を|釧路《こっち》に呼べないからだ。子供たちもいるしな。だから、お前とは状況が違う。俺だって、彩が来てくれるなら、このまま残ったっていいんだ』
確かに、俺と溝口さんじゃ状況が違う。
彩さんにはお子さんが二人いて、上のお子さんは春から中三の大事な時期だ。
俺とあきらとは、違う。
『谷。この前はああ言ったけど、俺と彩だって二年間遠距離してたんだ。思うほど大変なことじゃない。それにな、仕事か女かを選ぶ必要もない。どちらかを切り捨てる必要は、ないんだ』
そうは言っても、今の俺とあきらの絆は、溝口さんと彩さんのそれほど強くない。そもそも、まだあきらを本当の意味で手に入れられていない。
今、離れたら――。
『ま、もう少し考えて――』
「――いえ。決めました」
『は?』
「溝口さん、俺――――」
電話を切って、俺は晴々した気持ちで駅までの階段を駆け下りた。
そうして、あきらを待つこと二時間。
ようやく、待ち焦がれた姿を見つけた。
同時に、あきらも俺を見つけ、僅かに目を見開いた後、少し呆れた顔で近づいてくる。
「お疲れ」
「何、してるの?」
「待ってた」
「どうして」
「会いたかったから」
「だからって――っ!」
「――行くぞ」
俺は逃げられないように彼女の腰を抱くと、二時間ぶりに地上に戻った。
あきらは身を捩って振りほどこうとしたが、俺はきっと痛いほどの力で彼女を捕まえて離さなかった。
「龍也! 何なの!? ねぇっ!」
「家、どこ?」
「はっ!?」
聞いてはみたが、素直に教えてもらえないことは予想していた。だから、決めていた通り、駅前通りから路地に入る。
「どこに行くのよっ!」
「ホテル」
「えっ!? なに言って――」
「いい年してラブホテルの前で騒いでたら恥ずかしいぞ」
そう言ってわざと見下すような視線を送ると、あきらはあからさまにムッとした顔で俺を睨みつけた。そして、引っ張られるのではなく、自発的に歩く。
完全に戦闘態勢だ。
駅から徒歩十分の場所にあるラブホテルは、金曜だがまだ二十時ということもあり、空室が多く、俺は一番高い部屋を選んだ。
部屋に入るなり、あきらが俺を突き飛ばした。
「何考えてんの!?」
「嫌なら全力で拒否れ」
「はっ!?」
俺は正面からあきらに抱きつくと、そのまま腰を掴んで引きずるようにベッドに連れて行く。
「龍也! やだっ!!」
少し乱暴にあきらをベッドに押し倒すと、俺はマフラーを外して、コートと一緒にソファに放った。
「俺が嫌いなら、やめるよ」
あきらの足を跨いで膝をつき、ネクタイの結び目に指をかけ、一気に引き抜く。それは、ジャケットと一緒にベッドの下に放る。
起き上がろうとするあきらの肩をベッドに押し付けると、自分の身体を重ねた。
「好きだよ、あきら」
あきらの耳元で囁く。
「愛してる」
「――っ、たつ、や」
あきらが、耳が弱いことは知っている。
俺はチュッと耳朶にキスをして、身体を起こした。じっと、あきらを見下ろす。
「だけど、あきらが俺を嫌いなら、やめる」
わけがわからないと、あきらの表情が語っている。
「あきらが俺を嫌いで、恋人がいない今でも触れて欲しくないって本気で思ってるなら、やめる」
賭け、だ。
「あきらが、本当に俺と友達に戻りたいなら、やめる」
俺は、あきらが好きだ。
あきらより大切なものなんて、ない。
けれど、あきらを想う気持ちだけで生きてはいけない。
どんなに想っていても、一方通行の恋は、苦しい。
「だから、本音を言えよ」
「……っ!」
あきらが唇を噛む。
「早く言わないと、今度は無理矢理にでも突っ込むぞ」
俺は見せつけるように腰を突き出して、ベルトを外す。わざと、カチャカチャと音をたてて。
それから、あきらの服をパンツから引き抜き、脇腹を撫でるようにめくり上げた。露わになった紺色のブラジャーを押し上げる。
「た……つや……」
視線を上げると、あきらが薄っすらと涙を浮かべて俺を見ていた。
涙が零れないように、目尻にキスを落とす。
「言って、あきら」
まつ毛同士が触れる距離で、言った。
「頼むから……」
あきらの不安を取り除きたい。
けれど、それは、あきらが何を不安に思っているのか言ってくれなければ、どうしてやることも出来ない。
何度好きだと伝えても、何度優しく抱き締めても、あきら自身が信じられなければ意味がない。
「あきら……」
きつく結んだ彼女の唇が僅かに震え、開いた。
「龍也は……子供……が欲しいんでしょう?」
「ああ」
「だけど、私は……産んであげられない……」
「うん」
「だから――」
「――もしも産めたら――」
あきらの瞳に映る俺が、揺れる。滲む。
「――産んでくれた?」
「……ふっ……、う……」
あきらが瞬きをした瞬間、大粒の涙が目尻から溢れ、こめかみを通って、落ちた。
「けど、もしもあきらが子供を産めたなら、四年前に元カレの子を産んでいたんだろう?」
「……っ」
「じゃあ、やっぱり俺の子は産めないじゃん」
「ふぅ……ぅ……」
「だから、いいんだよ」
俺はぎゅうっとあきらを抱き締め、首筋に顔を埋めた。
「俺が欲しいのは、あきらなんだから」
「うう……っ」
ワイシャツがあきらの涙を吸い込んでいく。
「子供のいる夫婦が羨ましく思う時があるかもしれない。喧嘩した時なんか、子供がいたら早く仲直りできるのにな、とか思うのかもしれない。だけど、だからって、あきら以外の女なんて考えられないし、欲しくない」
「たつ……や……」
「なぁ、あきら。不安な時はそう言えよ。その度に、俺はこうして抱き締めて、好きだって伝えるから。年取って、大和さんとさなえが孫の話とかしてさ、俺が後悔してないかって不安になったりしてもさ、言ってくれよ。腰が曲がっても、禿げても、生きてる限り、何度でも言うから。んで、死ぬ間際に笑って言ってやるよ。『な? 俺の気持ちは本物だったろう?』って」
先に唇を寄せたのは、あきらだった。
正直、夢中になり過ぎてよく覚えていない。
ただ、俺は初めて、自分の意思でゴムを着けなかった。
「こうやって何度も俺のDNAを注いだら……、いつかっ、お前の身体……俺のDNAに染まらないかな」
何気なくそう言った俺に、あきらが息を弾ませながら微笑んだ。
コメント
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あうー😢こんなの泣いちゃう。幸せになって欲しいな。