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寿の《島》から営業部フロア出入り口に向かい、右手が黒木のワークデスク、左手の一番窓際の島の一番窓側の席が瑠璃のスチールデスクだ。
開放的な窓際が良いなと瑠璃に話した事があるが、彼女は右半分だけが日焼けするから嫌だと言っていた。
今は空席のその向かい、瑠璃の顔は一日中、日焼けをしているかのように真っ赤だった。
(……ふふふ、あやつ緊張しておる)
視線をずらすと黒木の手持ち無沙汰な右手の人差し指がトントントンと机の上をタップしている。
瑠璃情報によれば「右の人差し指が動いている時は緊張しているんだって」とのこと。
黒木もソワソワと落ち着きがない。
(黒木、何処のホテル予約したんだろ……まさかラブホテルは無いよなぁ)
明日、奈良が出社しようがしまいが寿にとってはどうでも良かった。
この緊張しまくりの二人の初夜について事細かく聞き出す楽しみに、ウズウズが止まらなかった。
◇◇◇
瑠璃のスチールデスクの向かいが壁、左を見れば一番奥に黒木のワークデスクがある。
その一つ手前の《島》では寿が書類に向かい、ボールペンを忙しなく動かしていた。
瑠璃は先日の失敗を繰り返さないよう出来るだけ平静を装い、黙々と保険契約書類に不備がないか確認して訂正箇所にピンク色の付箋を貼り付けていた。
「あ、満島さん、ここ抜けてるよ。どうしたの? 何だか落ち着かないね」
「そ、そうですか?」
すると隣の女性社員がこっそりと耳打ちしてきた。
(やっぱり、あれ?)
(あれ?)
(奈良さんが帰って来るから落ち着かないの?)
(い、いえ。そういう訳じゃ……)
(何か困った事があったら言ってね)
(ありがとうございます)
営業部署内では黒木と瑠璃が交際を始めた事は公に認められ、明日、富山支店から異動して来る奈良は好ましい存在ではなかった。
瑠璃はこの雰囲気について奈良に少しばかり同情をしている。
けれどこの事態を招いたのは奈良自身の不誠実さなのだ、そう自分に言い聞かせた。
視線を感じ壁側に目を移すと、寿が肘を突いてニヤニヤとほくそ笑んでいた。
そして口をパクパクと動かして見せる。が・ん・ば・れ何を頑張れというのだ。
まぁ、確かに今日は気合を入れてベージュピンクに水色と白の糸で薔薇の刺繍が施されたセットアップの下着を着けて来た。
出勤直前まであれでもない、これでもないと悩んでいたので自室のベッドの上には何着かの下着が放置されている。
もし母親がドアを開けたとすればその異様な光景に驚く事だろう。
(あぁ、最初はどのようにベッドに入れば良いんだっけ!?)
建との初めてのセックスを思い出しても何の解決にも至らなかった。
建は初めてデートした軽自動車の中でいきなり助手席を倒したのだ。
瑠璃の生まれて初めてのセックスは狭苦しく居心地の悪い、そして痛いものでしか無かった。
(あいつ、単にしたかっただけじゃないの!?)
急に胸糞が悪くなり、目の前の空席を忌々しく見た。
(同情して損した!)
眉間に皺を寄せていると再び視線を感じた。
寿を振り返って見たが、真剣な顔で隣の男性社員のノートパソコンを覗き、あれこれと指を差して話をしている。
ぐぐぐぐと首を回転するとワークデスクで書類を手にした黒木と目が合った。
(み、見られてた!)
ときめいたかと思えば眉間に皺を寄せる変顔を黒木が見ていた。
絡まる視線に互いが凍りつく。
ニコリと微笑めば良いのか、無視を決め込んでノートパソコンに向かえば良いのか、結局、へらりと間抜けな顔で笑い、スチールデスクの引き出しを開ける振りをした。
(だ、駄目だ。良くも悪くも建と比較してしまう!
ふとその時、寿の言葉を思い出した。
「上書きよ、上書き!」
瑠璃はその言葉を呪文のように心の中で唱えた。
今夜の出来事は少なからずとも軽自動車の助手席よりは居心地は良い筈だ。
上書き保存、上書き保存……チラリと横目で見た黒木の右手の人差し指はトントントンと机の上をタップしていた。
◇◇◇
黒木の心の中はやはり微妙だった。
明日、奈良建が瑠璃の目の前の席に座る。
瑠璃の気持ちは自分に傾いているのだと分かっていても、心の中はザワザワと波打った。
瑠璃が不誠実な奈良を赦し、もう一度受け入れるのではないか。
二年間の重みと、付き合い始めて一ヶ月の吹けば飛ぶような時間では到底敵わないのではないかと不安に駆られた。
(大人げないな……)
そう思いつつ、昨夜はそのプレッシャーに耐えられずLINEメッセージを送信してしまった。
既読になった瞬間、そしてなかなか返信がない事に後悔した。
一人暮らしならば肉体関係となるには容易い。
実際、黒木が大学時代に部屋を借りていた時は酒を飲んでなし崩しに同じゼミの女性と朝を迎えた事もある。
けれど今は瑠璃も黒木も自宅住まいで、いざベッドを共にするとなるとタイミングが難しい。
ましてや奈良が異動して来る事を理由に、初めての行為を持つ事は大変不本意だった。
黒木は大きなため息を吐いた。
それでも我慢出来なかった。
瑠璃が自分の恋人なのだと刻み付けたかった。
拒否されることを覚悟して瑠璃を誘い、「よろしくお願いします」と返信があった。
安堵した。
(……良かった)
今夜、泊まるとなれば明日の朝は一緒に出勤する事になる。
奈良が出勤する初日に二人で会社のエントランスに足を踏み入れる。
象徴的ではないか。
35歳にもなって子どもじみていると自分自身が情けなくなるが、それでも良い。
瑠璃を奈良に渡したくない。
その一心だった。
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