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深い闇の底で見たそれは過去であり未来でもある。ユカリにはそれが分かっていた。
「あっち!」とみどりが指さしたのはコンクリートのブロック塀に挟まれた隘路で、真夏の真昼にも関わらず、青々と茂った葉叢の陰が濃い暗がりを落としている。
「こっちだよ」とゆかりが指した先は熱されたアスファルトが陽光に輝き、陽炎が立ち上っている。
「そっちは暑いし、遠回りでしょ!」
「その道は通ったことないんだから、近いかどうか分からないよ」
みどりはゆかりから顔を背けて、涼しい道を進む。しばらくして振り向くがゆかりの姿はなかった。
「何してるの? 先行くよ」いつの間にか陰った道の先を進んでいたゆかりが揶揄うような笑顔でみどりを呼んだ。
「待って!」
太陽が天頂に登った頃、淡い陽光の降り注ぐ山々の間に伸びる街道で、ユカリの前に魔法少女が立ち塞がる。それは陽の下では誰にでも付き従うように現れるありふれた黒い人影のように見える。しかし今、魔法少女に変身できないユカリことラミスカの目の前で、黒い輪郭は魔法少女に変身した姿と一致していた。
そしてベルニージュはベルニージュの影と、ソラマリアはソラマリアの影と、レモニカはレモニカの影と、グリュエーはグリュエーの影と、ユビスはユビスの影と対峙している。
「何で私だけ変身した姿を相手にしないといけないの!?」と悲鳴のような愚痴がユカリの口から突いて出た。
時に杖を振り回し、時に杖に跨って飛来する魔法少女の影からユカリは逃げ惑うことしかできない。
真珠像のアギノアや使い魔たちを邪魔する影は現れていなかった。故に彼らがこの現象の元凶を追っている。
「わたくしがお助けしますわ!」と掘る者の封印でソラマリアの姿に変身したレモニカが少しばかり嬉しそうに言う。
伯仲戦を強いられているベルニージュ、ソラマリア、グリュエーと違って、レモニカはソラマリアの膂力で自分の影を圧倒的に組み伏せていた。組み伏せて、その後どうすればいいのかは分かっていないが。ユカリとは逆の状況だ。ユビスは影と追いかけっこしている。楽しそうだ。
「とにかく除く者たちがあの使い魔を捕まえるまで逃げ回るしかない!」と疲れを見せつつも楽しそうなベルニージュに助言を貰う。
「逃げろったって!」
杖に乗って飛び回り、殺意に満ちた石礫を放つ魔法少女の影に追われるユカリの様は、猛禽の餌食から逃れようとする憐れな鼠のようだった。
街道脇の木立に逃げ込み、木を盾に立ち回るが、少しも気休めにはならない。一歩間違えれば命を奪われる死線にあって心臓が警告するように激しく打つ。
「これ、一体どういう魔法なの?」とユカリは手がかりを求めて叫ぶ。
「試す者の試す魔術の一つだと言っていたぞ!」
ソラマリアはこれまでユカリが聞いたこともない激しい剣の克ちあう音に負けない声で叫ぶように言った。まるで百人の鍛冶屋が剣を鍛える音か、あるいは百人の鉱夫が絶え間なく鶴嘴を降り下ろす音だ。
「自分を乗り越えろってことでしょ」とグリュエーは空中で影と取っ組み合いしながら言う。
「自分? ……自分!?」
ユカリは腑に落ちないでいる。魔法少女の魔導書こと、『わたしのまほうのほん』こと、『我が奥義書』とは長らく共にやって来たが借り物の力でしかないはずだ。しかも今は奪われてしまっている。
一体どうすれば良いのか、まるで分からない。やはり誰かに助けてもらわなければ、と皆に縋るような視線を向けるが、誰も視線を他所にやってはいない。皆が皆、自分と向き合っていた。
とにかく相手が魔法少女で、魔法少女を越えろというならば、最初にやるべきことは決まっている。
ユカリは大きく深呼吸し、秋の空から飛来する影と向き直り、不敵な笑顔を見せる。その時、紫と桃色の光がどこかから溢れてきたかと思えば、魔法少女の影が消えた。光も同時に消えた。皆を襲っていた他の影も全て、消え失せた。
使い魔追跡から戻って来た除く者の報告と照らし合わせると、まさに影の消えた時に、捕らえた試す者に魔法を解くよう命じたようだった。
ソラマリアさえ息せき切っており、全員が街道の脇で崩れるように座り込んでいた。
「ありがとうございます。助かりました」とユカリは肩で息をしながら除く者に礼を言った。
「いいえ、アギノア様のお陰ですよ。試す者の繰り出す魔術を出し抜いて彼を捕らえたのですから」
「出し抜くだなんて、単に障害物を回り込んだだけですよ」とアギノアは謙遜し、そして少年の姿の試す者に顔を向ける。「それはそうと、なぜ私の影は出さなかったのですか?」
「僕も試したんですけどね。死者に、乗り越える自分なんてないってことじゃないですか?」と試す者は悪びれることなく言った。
返す言葉もなく俯くアギノアを見て、ユカリは急いで話題を変える。
「それで、どこに向かっている途中だったの? 随分急いでいるみたいだったけど?」
【命令】していないが試す者はすらすらと答える。「かわる者の所だよ。根城みたいなものがあってね。別に急いでいたって訳ではないかな。のんびり歩く理由が無かったってだけさ」
「かわる者派って今、何人くらいいるの?」とベルニージュが尋ねた。
「十五、六枚かな。最近、伸び悩んでいてね。まあ、かわる者は手駒を増やしたい訳じゃないからさ」
「私だって手駒を増やしたいわけじゃない」とユカリは黙っていられずに言った。
「そう? まあ、そうか。最終目的は使い魔を消滅させることだもんね?」
「違う。これまでのやり方だったらそうなってしまうってだけ。私たちだって何か別の方法はないか、考えてる」
主にベルニージュが、だが。
「別の方法ね。やめるって選択肢はないわけだね、ラミスカさん」
そこは譲れない。魔導書は人の間に大きな争いを生む。今も、常に。
「魔導書を封印するのは私の使命だから」とユカリは断言する。
数少ない前世の記憶の一つだ。
「なら、さしずめかわる者の使命はラミスカから魔法少女を救い、全ての使い魔を救うこと、だね」
「魔法少女を救う?」ユカリは呟き、除く者に視線を向ける。除く者は以前、『かわる者は、魔法少女は使い魔を捨てたのだ、と表現していました』と言っていた。「話が違うようですね、除く者さん」とユカリは指摘する。
「その通りのようですが、誤解なさらないでください」と除く者は答えた。「かわる者が私を解放した時にそう言っていた、という話です。どちらにしても彼女が貴女を見誤っているという点においては同じことでしょう。おそらく、ですが、貴女から魔導書を奪えたことで考えが変わったのでは?」
つまりラミスカとユカリを同一視していたが、魔導書を奪えたことで、別物だと考えるようになった、ということだ。偽魔法少女から魔法少女を救う、とでも言いたいのだろう。
「それで、どうするの?」とベルニージュが問いかける。「引き続き救済機構の拠点があるロガットの街に向かうか、試す者にかわる者派の根城を案内させるか」
ユカリ派を取り戻すか、エニ派を奪い取るか。
試す者の態度を見て、思いのほかかわる者派の結束は固いようだと分かった。ならば……。
「変わらない。ロガットの街に行こう」
「手駒を増やしたいわけじゃない、だっけ?」と嘲るように試す者が呟いた。