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龍也はいつも、私の気持ちを一番に考えてくれた。
強引に押しかけて来て世話を焼いても、私の仕事をじゃなすることはしなかったし、気分じゃないと言えば触れなかった。
私にとって龍也は、セフレである前に友達で、セフレであるからこそ他人。
いつか、龍也に結婚したい相手が現れた時、友達に戻れるように、恋人ではなくセフレにこだわった。
けれど、最近ではその境界が曖昧になってきて、それでもいいやと思ってしまう自分がいた。だから、今度のことは私にも責任がある。
龍也が勇太に過剰反応するのを知っていて、再会したことを話してしまった。いつもは行かないのに、わざわざ彼の家に行ってまで。
間違いだった。
龍也だけじゃない。
私自身、彼とセフレでいるのは限界だった。
じっとしていると龍也のことを考えてしまうから、私は朝から少し早い大掃除をしていた。とは言っても、たいして広い部屋でもないし、ごちゃごちゃと物を置くのも好きじゃないから、ちょっと念入りな掃除をしたのと、引っ越しに備えて夏物の服を旅行バッグに詰めたりしただけ。
翌日、千尋から電話がきた。
『龍也と一緒?』
「ううん?」
『行ってもいい?』
ランチの誘いなんかはあるけれど、家に来るのは珍しい。
私は食材の買い出しもしたいからと、駅前のスーパーで待ち合わせすることにした。
昨日は部屋にこもっていたから、風が強いな、くらいにしか思わなかったけれど、かなりの強風だったらしく、道路は湿った落ち葉で埋め尽くされ、滑らないように気を付けなければならなかった。
もうすぐ、冬だ。
トレンチコートやフリースなんかじゃ寒くなってきた。
今年は新しいコート、買おうかな。
ぼんやりとそんなことを考えていたら、スーパーの前の坂で、危うく転びそうになった。
どこから電話してきたのか、千尋はすでに店内にいた。押しているカートの上のかごには、お菓子やジュース、酒、つまみが山積みになっていた。
「どうしたの?」
「別に? 選べなくって」
私はもう一つカゴをカートの下の段に載せて、出来立てのピザや冷凍パスタ、カップ麺なんかを放り込んだ。
エコバッグを二枚は持って来ていたけれど、足りるはずもなく、一枚五円の袋を二枚買った。
千尋と二人で両手に袋を持ち、落ち葉の上を歩いて帰った。
「引っ越すの?」
部屋に入るなり、千尋が情報誌を見つけて言った。龍也が見たのとは別の、新しいもの。
「うん」
「龍也と暮らすとか?」
「――まさか」
「何かあった?」
「……何かあったのは千尋でしょ?」
短い沈黙。
「飲むか」
「……だね」
テーブルにピザやつまみを広げ、私たちは缶ビールと缶チューハイを開けた。
「で? 日曜なのに龍也がいないのはなんで?」
「……先週の日曜にさ――」
誰かに聞いて欲しかった。けれど、話せる相手は千尋しかいなくて、その千尋が目の前にいたら、そりゃ洗いざらい話してしまうに決まっている。
勇太と再会したこと、メッセがきていること、龍也との関係が変わりつつあったこと。
「大体、二人ともそんなに器用じゃないでしょ?」
千尋がため息交じりに、言った。スルメを噛みながら。
「龍也は大学時代からあきらが好きで、あきらは高校時代からの恋人と十年付き合ってた。二人とも一途な性格なのに、恋人がいない時だけセフレ、なんて器用に気持ちを切り替えられると思う方がおかしいでしょ」
ごもっとも。
「つーか、子供ってそんなに重要? 産めない、のと、産まない、のとでどれほど違う?」
「どういう意味?」
「世の中にはたくさんいるじゃない。子供が嫌いだから、とか、自由でいたいから、とか、経済的に余裕がないから、とかいう理由で産めるのに産まない人。それと、産めない、ことの違い」
千尋も、産まない、人のひとり。
結婚も出産もしない、と断言している。
まぁ、既婚者ばかりを相手にしているからには、そのくらいの覚悟があるのは頷けるが。
「産みたいか、じゃない? 産みたくないのと、産みたいけど産めないのとでは、気持ちが全然違うよ」
「酷なことだってわかって言うけど、あきらが子供を産めないのは揺るがない現実なんだから、それを受け入れてくれる龍也を拒むのは、幸せになりたくなって言ってるように聞こえるけど?」
「私が幸せになりたいか、じゃなくて、龍也には幸せになってもらいたいってこと」
幸せになりたいか、なりたくないかって聞かれたら、そりゃなりたいに決まっている。
「あきらと一緒にいることが龍也の幸せなら?」
「今はそうでも、十年後には子供が欲しくなるかもしれないじゃない」
「ならないかもしれないじゃない」
私と千尋は顔を見合わせた。
私はピザを咥え、千尋はスルメを噛みながら。
「結局、未来のことなんてわからない、ってことよね」
「……だね」
「龍也のことは置いておいて、元カレはどうするの? しつこくメッセしてきてるんでしょ?」
そう。再会してから毎日メッセージが届く。内容はいつも、『会いたい』『話がしたい』。
「うん。一度、会おうかと思ってる。話を聞けば満足するかもしれないし」
「大丈夫?」
「うん。いい機会だから、引っ越すつもりだし、しつこいようならブロックしちゃえばいいだけだから」
「引っ越し先、決めたの?」
「仮押さえはした」と言って、私は情報誌を開いた。
角を折ってあるページを千尋に見せる。仮押さえしてある物件には赤で丸をつけてある。
「ここじゃ、龍也の家から離れるね」
「けど、職場は近くなるし」
「龍也は知ってるの?」
「……言ってない」
仮押さえをしたのは一昨日。
龍也の家は同じ路線の三駅隣りだけれど、私が仮押さえしたしたマンションは、路線が違う。一度、大通まで行って乗り換えなければならない。職場まで二駅から一駅になるから、歩いても通えるようになるけれど。
ただ、職場から近くて、オートロックの築五年の賃貸マンションにしては家賃が安く、迷いはなかった。
「龍也とも、ちゃんと向き合いなよ? 喧嘩別れなんてしていい相手じゃないでしょ」
「……わかってる」
わかっている。
ただ、今は距離置くべきだと思う。
龍也もそう思うから、この一週間連絡がないんだと思うし。
互いの立場や描く将来を、冷静に考える必要がある。それには、離れているべきだ。
会えば、離れがたくなってしまう。
触れたくなってしまう。
触れて欲しくなってしまう。