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大通りで度々すれ違っていたシマの見回り役の男と、仕事の途中で顔を合わせるたびにしばらく立ち話などをする仲になっていたのだが、男からの誘いで、シマ内にある高級なバーへと足を踏み入れたのは、今日が始めてだった。
二人で落ち着いて話がしたいと言う男に、マスターは、私達を客の少ない、奥の方の静かな席へ通した。
はじめのうちは世間話など、当たり障りのない会話を続けていたが、やがて男は、ぽつりぽつりと、自分の身の上を語りだした。
若い頃は、剣の腕前を活かし、多くの組織を壊滅させていたようだが、その後十年間、組のために刑務所で過ごしたようだ。
出所後は組以外の何もかもを失ってしまったと、少し寂しそうに打ち明けた。聞けば、なんでもひと月ほど前に、内縁関係にあった女性から、別れを切り出されたばかりだそうだ。
「そうでしたか。その方のこと、とても大切にしていらしたんですね。」
「ああ。俺が、守ってやれなかったばかりに…。」
「堅気の女性にとっては、確かにとんだ災難ですからね。でも…。」
私は一瞬、口をつぐんでから、
「勿体ないなぁ…。ふふっ。」
と意味ありげに付け加えた。
「何がだ?」
驚いたように私を見る男の目はほんの一瞬、私の口元で止まる。私はこれを見逃さなかった。そのまま舌先をほんの少しだけ見せて自分の唇を舐め、
「別れた内縁の奥様が、あなたのような方を信じないなんて、勿体ないって言ったんですよ。」
と言ってもう一度艶やかに微笑みかけると、私を見る男の目はすでに、完全に雄のそれになっていた。
それを見届けた私は、
「もう少しご一緒していたいのですが、明日は早くから依頼が入っておりますので、私はこの辺りで失礼します。こんなに素敵な所でご馳走してくださり、本当にありがとうございます。」
と言い、椅子から腰を浮かせながら先程の意味ありげな表情を、いつもの屈託のない笑顔に戻す。
そのまま丁寧に会釈をして立ち去ろうとすると、思っていた通り、
「よければまた明日の夜、ここへ来てくれないか。」
やや改まった口調で、男は私を引き留めた。
私は男の方に向き直ると、
「ええ、喜んでお伺いします。ではまた明日。」
と笑顔で告げ、そして手をひらひらと振りながら店を後にした。