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「そろそろ行く?」
食事を終えて声をかけたが、乾さんは「ちょっと待ってください」と言って、しばらくフロアの様子を見ている。
なにが気になるのか聞きたいが、バタバタとスタッフが行き交う店内では、誰に聞かれるかわからない。
「行きましょう」
言うより先に、彼女がバッグを持って立ち上がる。
チラリと見ると、店長はオーダーを受けていた。
レジ近くに立っていた女性スタッフが急ぎ足でレジに入る。
俺は会計をして、領収書が欲しい旨を伝えた。誉には不要だと言われたが、念のためだ。
女性はレジのモニターをじっと見て何かを探していたが、店長がやって来て即座にモニターをタッチすると、レシートが排出された。
店長はそれを確認し、「宛名はどうしましょうか」と聞き、俺の言う通り誉の名前を書いた。
『奥山』の名を出して失敗したと思ったのは一瞬で、奥山なんてどこにある名字だし、専務の名前など知ってるわけがないかと思い直した。
更に、秘密裏の視察なのだから、最初から会社の名前で領収書をもらうなど無理なことだったと気づいた。
「ご馳走様でした」
乾さんはレジに立つ二人にそう言って、店を出た。
俺も「ご馳走様でした」と言って、後に続く。
前回の食事でもそうだったが、乾さんのこうした礼儀正しさは、とても好感が持てる。
俺の周囲には、食事の後で店に礼を言うような女性はいないから。
「お客様をお待たせしないように――」
ドアが閉まる前、店長がそう言っているのが聞こえた。
駐車場に戻って車に乗り込むなり、乾さんは言った。
「従業員が辞めるのは、店長のせいかもしれません」
「それは、店長ばかりが忙しそうにしていることが関係してる?」
「はい」
「あ、とりあえず、車出すね」
俺は車を発進させ、来た道を戻る。
「例えばですが――」と、すぐに乾さんが話し出す。
「――鴻上さんは専務の補佐なのに、なんでもかんでも専務がやってしまってやることがなかったら、どう思います?」
「どう……って、補佐なんていらないんじゃないかなぁ、とか?」
「それと同じだと思います。たった小一時間しか見ていませんが、入店されたお客様を席に案内するのも、オーダーを取るのも、会計するのも、ほぼ店長一人でやっていました。他のスタッフは、料理を運んで、テーブルを片付けるだけ。見計らって店長が接客中に会計に立ったけど、結局店長が来ちゃいましたし」
「うん。しかも、客を待たせるなって注意してたな、あの女の人に」
「それ自体は正しい指導ですけど、そもそも、慣れるほど接客も会計もさせてもらっていないのなら、出来るはずがないと思います」
「確かに」
「そういうのが重なって、辞めて行くのかなと思ったん――」
俺は信号で停止し、左にウインカーを出した。
「――ここ、直進できませんか?」
「え?」
乾さんが窓の外を見て言った。
「なんか――」と言いかけて、俺を見て、また窓の外を見る。
「――すみません、変なことを言って」
「真っ直ぐでも帰れるけど?」
俺はウインカーを消した。
信号が青になり、俺は直進する。
「ありがとう……ございます」
「なんか、嫌な感じがしたの?」
「……はい」
「そっか。あ、そこのHARUに寄ろうか」
二百メートルほど先に看板を見つけた。
本当は、左折してしばらく走った場所にあるHARUに寄るつもりだった。
ま、どちらもいずれは視察に行くのだから、順番は問題じゃない。
「鴻上さんは、私の勘が気持ち悪いと思いませんか?」
「え? いや?」
「そうですか……」
駐車場の一番端に駐車し、俺は乾さんに身体を向けた。
「俺、きみの勘に命を救われたんだよ? 感謝しても、気持ち悪いなんて思わない。さっきの道だって、何もなかったかもしれないけど、曲がり損ねたと思えばそれだけのことだし。だから、これからも思うことがあったら言って? 俺たち、相棒だろ?」
泣きだすんじゃないかと思った。が、そうじゃなかった。
乾さんは微笑んだ。
「相棒って言葉、たくさん言いますね」
「え? あ、うん。なんか、格好良くない?」
言われて、気づいた。
乾さんに、『格好いい響き』と言われて、調子に乗って使っていた。
むしろ、格好わる……。
「はい、格好いいです。なんか、すごく嬉しいです」
ドクンッと鼓動が大きくなり、ハッとした。
同時に、乾さんの胸がシートベルトで強調されているのを見て、無意識に昨日の、Tシャツの襟から見えてしまった彼女の胸を思い出してしまう。
「あ、行こうか」
「はい」と、彼女はシートベルトを外した。
店に入り、トイレに行くと言って駆け込む。
心臓が、バクバク言っている。
中学生でも、童貞でもないのに、女性の胸でこんなに動揺するとは。
昨日、乾さんの家でついうとうとしてしまったのは、座椅子の座り心地が良かったから。
全身を包み込まれるようなデザインが、眠気を誘った。
目を覚まし、ドアップの乾さんと、大きく開いた襟から見えた白くて柔らかそうな胸に、思わずひっくり返ってしまった。
見えたのは一瞬なのに、完全に脳に記憶されてしまった。
ついでに、白いTシャツに透けたピンクのショーツと、そこから伸びる生足も。
誉なら、眉一つ動かさないのかもしれない。
だが、俺は眉どころか全身が反応した。
そして、意識した。
そりゃ、するだろ……。