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騙された。
ユカリは跳ねるように飛び退き、踵を返して一心不乱に駆け出す。そんな行為に意味などあるのだろうか、という疑問さえ浮かばなかった。少しでも落ち着いて考えれば、ユカリ自身をここまで運んできた使い魔に一瞬の内に追いつかれることに気づくだろう。しかしユカリの中にあったのは死への恐怖だった。魔法少女狩猟団という明確にユカリに殺意を持つ魔性の集団に囲まれたことが思いのほか、想像以上に、生存本能を刺激した。であればこそ一瞬一瞬の判断が命取りであるはずだったが、ユカリは冷静さを欠いていた。
「落ち着いてくれ、ユカリ」という声が耳元で聞こえ、ユカリは抵抗するように頭の周りで腕を振る。すぐに伝える者という使い魔の声だと気づくが、やはり落ち着いてはいられない。「危害を加えるつもりはないんだ。僕たちの話を聞いてくれないか?」
むしろ余計に恐怖を煽られた。本来ならばすぐに捕まえられるはずで、にもかかわらずまだ捕まえられていないことには気づいたが、それは猫が弱った鼠を弄ぶような行為をユカリに連想させた。
なぜ追って来ないのか。追うまでもないからだ。
やはり冷静な判断とは言い難かったが、ユカリの心は恐怖で麻痺したように硬直していた。あるいは魔法少女に変身できていたなら少しは冷静でいられたかもしれないが。
薄暗い森に霧まで出てきた。不自然なほどに色濃い。
「つい先日、忍び寄っていた焚書官からユカリたちを助けたのは我々ですよ。特に報せる者の功績です」
あの時も霧が出てきたことを思い出す。が、それでもユカリは走り抜け、遂に霧を飛び出した。しかしユカリは三度使い魔たちに囲まれていた。元の場所に戻って来たのか、先回りされたのかも分からない。そのような疑問すらユカリは浮かべられなかった。
「待ってください。ユカリ様。これが我々に示すことができる最大の信頼の証です」自称除く者がそう言うと、除く者を除く、その場にいる使い魔の全てが自らの封印を外して投げ捨てたた。
そのまま白紙文書に封印を回収することこそが魔導書収集の使命を持つ者として正しい選択だったのかもしれないが、ユカリにはできなかった。
封印が剥がれた状態というのは仮死のようなものだ。自らそれを剥がすということは身を投げ打つことであり、その上彼ら使い魔の場合改めて封印を貼った者の下僕になりうることを意味する。その覚悟を無碍にするほど非情にはなれなかったのだった。ユカリが封印を貼り直そうとすると除く者が制止する。
「貼り直す前に話しておくことがあります」と除く者は切り出す。「まず、皆が大勇を示し、私だけ剥がさなかった理由ですが。この体、魔法少女狩猟団団長シャナリスの体は生きており、今は私が体を乗っ取っているからです。上手く利用するために」
「どうやらかなり込み入った状況みたいですね」とユカリは封印を手の中でまとめながら呟く。
「そうですね。何せ百一体の使い魔がいて、それぞれにそれぞれの考え方がありますから。まずはその辺りについて話す必要があります」
「少なくともかわる者とは大きく対立しているみたいですし」
でなければかわる者たちから助け出してはくれなかっただろう。
「ええ、その通り。譲歩の余地は今のところ見つかっておらず、我々もまた組織的に対抗する必要があります」
「皆には話さない理由はなんですか?」と言って、ユカリは集め直した札を広げてみせる。
「情報は役割ごとに制限しなければなりません。いくら策を練っても、封印を機構側に取り戻された場合、全て伝わってしまいますから」
機構が封印を手に入れて貼り直し、秘密を話せと命じれば全てが彼らの手札に加わってしまうという訳だ。
そしてその事実はこの除く者もまた使い魔たちに指導者として強く信頼されていることを意味する。
「なるほど。まずは私に、大局を話しておくというわけですね?」
拷問でも受けない限りユカリは秘密を厳守する。
「できることなら良い食事と共にお出迎えしたかったところですが。そこの倒木にでも座りましょうか」
除く者が倒木に触れ、床下や屋根裏に棲む侏儒をおだてる言葉、草木の盛りを称える言葉、汚穢を退ける原初の言葉を呟く。すると土汚れや苔が地面へと還っていき、若木の如く艶やかな姿に変じた。
「私に与えられた力は掃除する魔術です。地味ですが、便利なんですよ」
「湿気は取れます? 洗濯物とか」
「ええ、そのような魔術もいくつか把握しています」
「最高」
二人は倒木に腰掛け、斜めに向き合う。
「まずは我々自身についてお話しましょう。我々使い魔は封印に封じられているか、あるいは媒介にして何処からか呼び出される魔性の存在です」
「そっか。そこもまだ分からないんですね。何となく札の中にいるものだと思ってましたけど」
「札を身体のようには感じていませんね。……そして全百一枚の札と一冊の白紙の本で構成されています。ここまではご存じのことと思いますが」
今はユビスの背中の上の合切袋の中に入っている『一〇一白紙文書』のことだ。
ユカリは頷く。「……生まれる、前のことは覚えてます?」
「いいえ、何者が魔導書を制作したのか、記憶している者は誰もいません。忘れているのか、初めから知らないのかも」
前世の記憶はなく、前世自体も知らないようだ。
「かわる者はどうですか? 何か覚えているかも」
「可能性はあります。彼女は唯一救済機構に所持されたことがないわけですから、そのような尋問を受けていません。それに私たちの中でも特別な存在といえます」
「特別? 全員が違う専門の魔術を有しているんですよね? 全員無二では?」
「それはそうですが、我々には十の階級があり、彼女はその唯一の最上位です。実際のところ、何故階級が設定されているのか、その違いが何の差を生んでいるのかも分かりませんが」
「生まれた順とか? 兄弟姉妹みたいに」
「我々が意識を得た順番とは無関係のようですね。最も古い者は千年以上前ですが、たしか第七階級だったかと。そもそも意識を得たことを知るのは初めて貼られた時で、作られた時は同時期の可能性が高いです」
そういえば、とユカリは思い出す。封印を貼り付けた白紙文書に浮かび上がった使い魔の説明文と能力とは何も関係がないらしかった。そして、確かに階級と位も書かれていたが、その違いの意味が分からない以上、他の文言同様に出鱈目の可能性はある。
「話を進めましょうか。どういう魔導書なのかは分かりました」
除く者は微笑みを浮かべて控えめに頷く。
「我々は徐々に徐々に救済機構に収集されました。古い者では焚書機関設立以前に、新しい者では数か月前のことです。我々自身が魔導書回収に駆り出されるようになって取得速度が上がりましたね」
「かわる者だけ逃げ切れたってことですよね。それは何か特別な理由があるんですか?」
「どうでしょうね。全てを集めれば魔導書は魔法を失う訳ですから最後の一枚は元々回収するつもりはなかったのかもしれませんが」
近づけなければいいこと、特に今回の魔導書は白紙文書に貼付しなければいいのだろうから、その理由は関係ないように思ったが、ユカリは口にできなかった。かわる者が言っていたように使い魔たちの意識、あるいは命が永遠に失われるかもしれないという、取り扱いに細心の注意を要したい話題だ。
「そしてかわる者は救済機構から使い魔たちを解放している。仲間意識があるんですね」
「そうとも言えますし、そうじゃないとも言えます。正確には仲間意識を持てる者、かわる者派とでも言える者たちを探しているといったところでしょう。少なくとも解放した我々に選択肢を与えてくれただけ有情だとは思いますが」
「仲間。つまり、封印を防ぐため、魔導書を集めようとする私を妨害するための仲間ですね」
除く者は悲し気に頷く。
「かわる者は、魔法少女は使い魔を捨てたのだ、と表現していました。しかし我々には、ユカリ派には、そのような言葉は響きません」と除く者は断言する。「我々使い魔は魔法少女の使い魔。どのような選択であれ、魔法少女に従う所存です」
つまり、使い魔の魔導書が封印され、百一の魂が消滅しようとも構わない、ということだ。ユカリは除く者の目を見られなかった。
今、どうするつもりなのか答えなければならないのだろうか。選択し、決断しなければならないのだろうか。百一の魂を犠牲に危険な魔導書を封印するか、魔導書を野放しにするか。
「ユカリ様。ユカリ様」ユカリは除く者に呼びかけられていることに気づき、顔を上げ、恐る恐る目を合わせる。「魔導書をどうなさるのか、迷っているのならばお好きなだけ時間をかけて検討してください。ユカリ様の納得できるまで。先ほども申し上げましたように、我々はどのような選択も、それが魔法少女の選択であれば受け入れ、従う所存です。ですから我々に説明する必要も、説得する必要もございません。ただご自身が納得いただける選択をなさってください」
何とも自分自身に都合の良い話で、ユカリはむしろ気おくれする。
「正直に言って、迷っているという段階ですらないかもしれません。今の今まで心を持つ魔導書を封印した場合なんて考えたこともありませんでした。でもとにかく結論を出して答えるので考えさせてください」
「ええ、勿論です。ご随意に」
甘えるような甲高い日雀の鳴き声が聞こえ、辺りから霧が取り払われていることに気が付いた。あるいは囚われていたのかもしれないが不問に付す。
「いた!」と叫んだのはグリュエーで、本体だ。ベルニージュもレモニカもソラマリアもユビスもいる。それにもう一人、使い魔らしき石の人形がいた。
そこでようやくユカリは異常に気づく。またもや魔導書の気配を感知できなくなっている。
涙目のレモニカに羽交い絞めにされつつ、助けられなかったことを申し訳なく思っているというグリュエーをユカリは慰める。
「さっぱり分からない。今のところ」とベルニージュは降参もとい、引き分けた。
ベルニージュや各々が優秀な魔術師でもある使い魔たち勢ぞろいで検討し、ユカリは魔導書を感知できなくなる呪いをかけられたに違いない、と結論を出した。しかしそもそも魔導書を感知できる理由自体が分からないので、それを封じる魔術も見当がつかない、というわけだ。
そしてかわる者や除く者との会話を皆に伝える。
「では一度に二十枚以上の魔導書を手に入れたということですわね」とレモニカは喜色を浮かべて言った。
「というのとはちょっと違うかな。あくまで私たちとユカリ派の使い魔が協力する、ということで」
まさか今更魔導書を集めないという選択肢がありうるのか、とベルニージュが表情だけで問うていた。
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