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夜の間も馬車で移動していた私たちは2日間掛けて、早朝に王都の一歩手前の街マルセンヌへ到着した。
そして少しだけ休憩するとすぐに別の馬車で街を発ち、王都に続く道を進んでいる。
そうなると、ショコラとの別れがすぐそこに迫っていることを嫌でも実感してしまう。
正直な話、そこまで嫌なわけではない。私にはやらなければならないことがあって、ショコラにも帰らなければならない場所がある。
別れを惜しむ気持ちが完全にないわけではない。だが、もっと大切なことがお互いにある。
優先順位の問題なのだ。
「もうちょっとで着くね、王都の……何ていう名前だっけ?」
「……アンジュショコラですわ」
ショコラが消え入るようなか細い声で呟くと、両手で顔を押さえて俯いてしまった。
心の中でだけでも弁明させてほしいのだが、決してショコラを辱めるために王都の名前を忘れたふりをしていたわけではない。
“なんとかショコラ”という名前までは出ていたのだが、前の部分に付く言葉をド忘れしていた。ただそれだけのことなのだ。
「あの、少し気になっているのですが……」
「どうしたのコウカ?」
食い入るようにガイドブックのような本を読んでいたコウカが、いつの間にか顔を上げて挙手していた。
俯いていたショコラも復活したのか顔を上げ、コウカの話を聞く態勢を作っている。
次にコウカはさっきまで読んでいた本を開いた状態で私とショコラに見えるように翻した。そのページに書かれているのはパティスヴィルという街のようだ。
それがどうかしたのかと首を傾げていると、コウカが彼女の疑問について本の中身を指し示しながら説明する。
「本ではパティスヴィルが王都ということになっています。それにアンジュショコラという名前の街は載っていません」
たしかにコウカの言う通りだった。パティスヴィルの街が紹介されているページには、本国の王都と書かれている。
これはどういうことなのか、とショコラに向かって私とコウカの視線が集中する。
「パティスヴィルはかつての王都の名前ですわ。それが5年前におと……国王陛下が改名して、アンジュショコラとなりましたの」
ショコラは「その本は5年以上前に発行されたものなのでしょう」と言い、コウカから本を受け取るとその裏表紙を見る。
どうやらその通りだったようで、確認が済むとショコラはコウカに本を返す。
疑問が解決してすっきりしたのか、コウカは晴れやかな表情でまた本を読み始めた。
――その時だった。
突然、馬車が揺れると少しずつ減速して完全に止まってしまったのだ。
御者台ではこの馬車の御者と誰かが話しているようだ。他の乗客も何が起こっているのか気になるようで頻りに周りを見て、状況を確認しようとしている。
私も身を乗り出して確認しようとしたが、突然動いても危ないのでやめた。
少し不安な気持ちで待っていると御者の男が馬車の乗客に向けて告げる。
「王都でスタンピードが観測されたそうです。申し訳ありませんが、この馬車はマルセンヌへと引き返します」
男の言葉に馬車の中が騒然となる。
馬に影響があるといけないのでそれを落ち着かせようと男も頑張っているようだが、中々鎮まらない。
――スタンピードか、何らかの要因で魔物が溢れかえる事だったはずだ。
ファーガルド大森林で起こった異変も下手をすれば、スタンピードになっていたとかつて冒険者のミーシャさんが言っていた。
この国に来てから魔物は一度も見ていない。魔物の大量発生というのは実感が湧かないが、事実として起こってしまっているのだろう。
「行きますわ。……私は行かなくてはなりません」
自分に言い聞かせるように呟くショコラ。その手は固く握られ、震えていた。
行くというのは、王都アンジュショコラへ行くということだろう。
スタンピードは危険なものだ。王都へ向かうというのは、自分の身を危険に晒しに行くということに他ならない。
様々な考えが頭の中をぐるぐると回る。
決して死ぬと決まっているわけじゃない。パパとママならもし困っている誰かがいれば助けてあげるはずだ、と。
「ユウヒ様、コウカ様、今までありがとうございました。ここまで親切にしてくださったお2人に何のお礼もできないまま、お別れしてしまう非礼を許してください」
もし私がここで逃げたら私は何かを失う。
たとえ、逃げなかったとしても欲しかったものは手に入らないかもしれない。
それでも失うことが確定しているのであれば、私はやらなければならないのだ。
――私は困っている誰かを助けてあげられる太陽であるべきなのだから。
ショコラの固く握られた手を上からそっと包み込む。
「……行こう」
「え、ユウヒ様?」
ショコラが困惑したような声を上げた。
だが、それには構わずにもう片方の手も同じように重ねる。
「私たちもショコラと一緒に行く。王都にはたくさんの人が居るでしょ? 私たちも行って、その人たちを助けたいんだ」
「なっ、危険ですわ! それに大変失礼ですが、お2人が来てくださったとしてもスタンピードは……」
ショコラの言い分はもっともだ。
たしかに私とコウカ、それにノドカ、ヒバナ、シズクが行ったとしても戦力としてはそれほど大きいものとはならないのかもしれない。
何せ私は無力だし、ノドカの力だって未知数だ。今のコウカもどこまで戦えるかよく分かっていない。
ヒバナとシズクだって、2匹よりも強い人間は王国の軍隊にはそれなりにいるだろう。
だがたとえそうだとしても、私は行かなければならないんだ。
「危険なのはよく分かってる。でもショコラは行くんでしょ? だから私も行くよ」
「それはショコラの義務であり、使命だからですわ! ショコラは王国の皆のためにあの場所へ向かうのです!」
「たしかに私にはショコラのような義務はないし、使命と呼べるほどのものもないのかもしれないよ。それでも私はショコラを助けたい。そして、そんなショコラが助けたいと思っている人たちも助けたいんだ」
そこでチラッと視線をコウカへと向ける。座席から立ち上がっていたコウカは何も言わずにただ頷いた。
続いてヒバナとシズク、腕の中で眠るノドカにも視線を送っていく。これから起こる戦いではみんなの力を借りないと何もできない。
――無力感はある、だが覚悟だって決めたのだ。
私は立ち上がるとショコラの手を引き、立ち上がらせた。同時にこの騒然とした車内から御者台まで届くように声を張り上げる。
「すみません、私たちはここで降ります! みんな、行こう!」
馬車から制止の声が聞こえてくるが私はそれを無視して駆け出す。
そして馬車が見えなくなるところまで来ると、一度立ち止まってから息を整える。
私の息が整ってくる頃に、未だ苦しそうなショコラが口を開いた。
「はぁ……はぁ……どうして、そこまで……?」
「……それはね、私にとってショコラが大切な友達だからだよ。友達が必死に頑張っているのに、何もしない自分にはなりたくないんだ」
困っている誰かを助けられる人になるのに目の前で困っている人に何もしないというのでは道理が通らないだろう。それがある程度、関係を持った相手なら尚更だ。
沈黙してしまったショコラがどのような表情を浮かべているのかは、彼女のフードに隠されていて見ることができない。
ただ、もう拒絶されることはないと思う。
「……ここから王都までは徒歩でもそれほど掛からないはずですわ。どうかよろしくお願いいたします。ユウヒ様、コウカ様、スライム様方」
ショコラが深く頭を下げて一礼する。
そうして時間を無駄にしないためにも私たちは王都アンジュショコラへの道を歩き始めた。
王都アンジュショコラの巨大な外壁が見え始めたのは、歩き始めて1時間程度たった頃だった。
外敵が攻め込んできても、ちょっとやそっとではビクともしないであろう壁は圧倒的な威圧感を王国に仇成すものへと与えることだろう。
しばらく歩いて歩き疲れた様子を見せていたショコラも、街の外壁が見えた途端に歩調に元気が戻ったようだった。
歩みを進めるごとに城壁が視界を占領していく。
そして近づいていくごとに馬車が何台も通れるような門を閉ざしている兵士の前に、外から来た人が集まっている様子が見えた。
声が聞こえるくらいまで近づくと、彼らの話している内容が自然と耳に入る。
「街の中の方が安全なんだろう? だったら街の中に入れてくれないか」
「これは規模の予想ができないスタンピードです。街の中が絶対に安全とはいえません。もちろん国王陛下、王太子殿下と我々も全力で防衛線を展開しますが、最も安全なのは遠くへ逃げることです」
兵士の前に集まっていた彼らは渋々納得したのか、側に止められていた馬車に乗り込むと去っていった。
どうやら街への立ち入りは制限されているようだ。
ショコラには何か策があるのだろうかと、視線だけで探りを入れてみたがショコラは迷わずに兵士の元へと向かっていくようだった。
もちろん兵士から制止の声が届く。
「現在、王都への立ち入りを禁止しています。相応の理由がなければ、立ち入ることはできません」
どうするつもりなのだろうかと様子を窺っていると、ショコラは狼狽える様子も見せずに手を動かした。
……まさか力業ではないだろうなと少し不安になる。
「これではその理由となりませんか?」
ショコラは両手で自身のフードに手を掛け――ゆっくりと外した。
フードの下からはしばらくちゃんとした手入れがされていないはずなのに艶のある美しいブルネットの長髪が現れ、風に吹かれてなびいている。
私からは彼女の顔を見ることはできないが、その顔を見た兵士たちの顔が驚愕に染まっていた。
目を見開き、口をポカンと開けたまま固まってしまった兵士が正気を取り戻すように首を振る仕草をすると、次の瞬間には一斉にショコラへと跪いていた。
「し、ショコラッタ王女殿下!? 先ほどまでのご無礼を――」
「構いません、お勤めご苦労様ですわ。それより、状況を教えてください。父や兄も戦場に出ておられるのでしょう?」
兵士の顔には王女様がどうしてここにいるのかといった疑問が浮かんでいたが、口には出さなかったようだ。
ショコラの正体が最悪の予想という形で的中してしまった。
私としてもどうして王女様が家出なんてしていたんだと叫びたいくらいだが、今はそれどころではなく状況も逼迫しているような状態だ。
「は、はっ! スタンピードは未発見であったダンジョンで起こったものです。軍は王都の東、約2キロメートルの地点で防衛線を築いておりますが、魔物との接触は未だありません。防衛線では陛下が直接指揮を執られており、王太子殿下も同様に……」
「戦力は足りておりますの?」
「スタンピードの規模が予測できないので、何とも言えないのが現状です」
ショコラが兵士からどんどんと情報を集めていく。
王様や王子様が戦場で指揮を執るというのは疑問が残るが、それほどの事態だということだろうか。
私はさらに1つ、気を引き締める。
その時――視界の右端に光が見えた。
反射的に振り向くと空に向かって赤い光が尾に煙を巻き付けながら昇っていっているようだ。
それにショコラと兵士も気付いたようで、その場にいる全員で遠くの空を見上げている。
「始まった……!?」
それは誰の声だったか。
ショコラだったかもしれないし、兵士の誰かかもしれない。もしかすると私だったのかもしれない。
だがそれが意味することは分かる、あれは戦いの火蓋が切られた合図なのだろう。
「ユウヒ様、コウカ様!」
突然大きな声が響いてきた方を見ると、ショコラが光の見えた方向へと駆け出したところだった。
それを見た兵士たちが慌てて彼女を追いかける。
「姫様、危険です! 王宮へお戻りください!」
「いいえ、私は行かなければなりません! 私には背負う術と義務があります!」
「なっ!? でしたら、せめて護衛を――」
「結構です! あなた方は自らの役目を全うしてください。それに私は1人で行くわけではありませんわ!」
そう言うとショコラは振り返り、状況に付いていけずに突っ立ったままの私とコウカを見る。
そして振り返ったことでショコラの顔を初めてみることができた。
未だ幼さが勝るが将来は美人になることが約束されたような整った顔立ちだ。そんな彼女の強い意志を感じるアイスブルーの双眼が私たちをジッと見つめている。
私はそれに突き動かされるようにして、ショコラへと向かって駆け出す。
コウカを始め、ヒバナとシズクもそれに続く。
私たちをジッと見つめていたのはショコラだけではない。その周りの兵士たちの視線も私たちに集中している。
「殿下、彼女たちは……」
「あの方々は私の友人です。信じるに値する方々ですわ」
兵士はショコラに言われた通りに自分の役目を全うするか、王女であるショコラに付くかで思考を巡らせているのだろう。
その中には私に任せても大丈夫かといったことを考えている人もいるのかもしれない。
だが、やがて兵士たちは顔を見合わせ頷き合うと最初にショコラと話していた1人が代表として口を開いた。
「承知いたしました。我々は我々の役目を果たします。殿下もどうかご無事で」
それが果たして正解なのか、彼らにも分からないだろう。だがこの時の彼らの目は何かを決心したような覚悟を決めた目だった。
ショコラは彼らの目を見て1つ頷くと、もう一度私とコウカの目を見て言った。
「行きましょう」
私とコウカはショコラに向かって頷き、戦場へ向かって駆け出した。