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さて、そろそろレイブが感じた違和感について、そこに戻ろう。
前述の『始まりの物語』以降、ニンゲンの魔術師、竜種の闘竜(とうりゅう)、魔獣の獣奴(じゅうど)、このスリーマンセルの絆は、その道を歩む者達にとって種族の違いを超えて何よりも大切にされてきたものであった事に起因している。
自分の師匠であるバストロは、先代の死、老衰によってジグエラとヴノを引き継いでいたが、これは甚(はなは)だ珍しい事であり、謂(い)わば例外、そう言って良いことであろう。
通常のスリーマンセルは死がそれぞれを別つまで決して離れはしないのだ。
バストロたちの場合は、老いて死の床にあったグフトマ自身が、半ば命令として言い残した遺言による所が大きかったのである。
無論、レイブ、ギレスラ、ペトラのスリーマンセルも誰かが身罷(みまか)ってしまったとしても、他人とスリーマンセルを組んでやり直す、そんな思いは欠片(かけら)も無いのだ。
共に死ぬ、それが適わないならば隠者の様に隠れ潜んで菩提(ぼだい)を弔(とむら)い続ける、わざわざ言葉にする事こそ無いものの、胸の奥ではそんな気持ちを持って日々を過ごしているのである。
だと言うのにシパイは弟子のラマスだけでなく、自分と一心同体、運命共同体としか言えない大切な唯一無二のスリーマンセルであるエバンガとカタボラまであっさりと自らから遠ざけたのだ。
魔術師として働けなくなったから仕方なく、だろうか?
確かに彼の心の中までは共に幼い日々を過ごしたレイブだとしても知りうる事等出来はしない。
だが類推する事は出来た。
ゴライアスの子供、そう呼ばれて親元から離されて中洲で育てられた四人の性格は、ハッキリと別物だった。
一番年上のイシビベノブは若さに似合わぬ冷静さでハタンガ中の大人たちに相談を持ち掛けられたりする事が日常であったし、時には村人同士の諍いを治める仲介役を任されていた位である。
シパイは割りと物静かであったが、時にイシビベノブの迂闊さを指摘したり、村の防御のアラや備蓄の甘さを突いてみたりして、その鋭い視点を一部の人々から感服されて居たりしたものだ。
年少のガトは何をするでもなく只そこらを歩き回っている、それだけで周囲の人々、それこそ村中の全てのニンゲンから愛され可愛がられていた。
と言うよりも、ガトが赴いた場所に居た全ての人々が幼い彼女の姿から元気を与えられて笑顔を浮かべ、その笑みを彼女に返していたようだ、その頃のレイブの目には確かにそう映ったものだ。
――――だけど……
それぞれ性格は全く違っていてバラバラと言えただろうが、共通していたのは善良さと親切さ、他の村人と比べた時に桁違いの優しさを有していた事だと思い出せた。
それはもうウザく感じてしまう程に…… である。
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