「月子さん、一人で抱え込む必要はないんだよ?」
沈黙を破りつつ、岩崎男爵が粘って来る。
ただ、月子にとって、それは決して嫌なものではなく、頼りになる言葉に感じられた。
そして……。
月子は、ポツリポツリと、この見合いの、そもそもの始まり、佐紀子の縁談をまとめる為に月子が動かされた事、母は胸の病だからと、蔵へ追いやられ、挙げ句、西条家の籍から抜かれてしまった事などを、男爵家の面々に語った。
「……なんだね!その、佐紀子という義姉は!」
たちまち、岩崎が、吠える。
「ああ、京介さん、だから、やめて!その大声!耳が痛いじゃない!あらまあ、お咲ちゃんも、びっくりしてる!」
芳子の向かいに座るお咲は、手に持っていた焼き菓子を、慌てて皿へ戻し、ごめんなさい、ごめんなさいと、言いながら、こちらも、泣きだしてしまった。
「いや、ちょっと待ってください!」
岩崎は、何が起こったのかと、おろおろした。
「ああ、そうか!佐紀子と、お咲、同じ、さき、だねぇ。勘違いしたか!」
おお、と、男爵はお咲が泣き出した理由に気がつき、芳子も、なるほどと、頷きながら、
「やだわ!もう!どうして、こうも訳ありが、集まっちゃったのかしら?!」
などと、笑っているが、その表情は、どこか、辛そうだった。
「……お咲ちゃん、あなたの事じゃないのよ?お菓子は、たんと食べていいのよ?」
泣きじゃくるお咲に声をかける芳子の姿に男爵は、目を細める。
「月子さんも、もう、泣かなくていいんだよ?月子さんの辛さは、残念ながら、私には全て理解出来ないけれど、芳子は、おおかたわかるはずだ。そして、お咲にもね。皆、各々、辛い目にあっているのだから……」
まあね、と、言いながら、芳子が懐からハンカチを取り出し、涙を拭くように月子へ手渡した。
真っ白な布は細やかなレースで縁取りされており、小さな花の刺繍が上品だった。
高級そうなものを手渡された月子は戸惑う。
「……どうして……私に……私なんかに……」
ここまで、良くしてもらう理由はないと、月子は、つい、言っていた。
「ノブレス・オブリージュだよ」
男爵が、すかさず返事をする。
「つまりだね、私達は、特権階級にいる。だからと言ってそれに、あまんじてはならない。上位の立場にいるからこそ、社会の模範となるように振る舞うべき、という、まあ、西洋の考え方なんだが、岩崎家の家訓でもあるんだ」
それに、従っているだけだと、男爵は、微笑んだ。
「ちょっと、待ってください。それは、男爵たるもの、慈善事業にも力を入れろという話であって、兄上の言い方では、彼女へ施しているだけだと……そう、捉えられても致し方ない口振りではないですか?!」
何故か、岩崎が、むきになっている。
言われた、男爵は、ニマニマし、芳子は、
「ああ!また、大きな声をだすんだから!それに、なんなの!さっきから、なんだかんだと、堂々巡り!私、イライラしちゃうわ!」
と、京介へ不満を漏らす。
「芳子、分からないかい?京介は、照れてるんだよ。はっきり言わないといういうことはだね、それだけ、月子さんの事を気に入って、しかしだ、はっきり、言えないという、どうしたら良いのだと、戸惑っている状態なのだろう」
「あっ!そうか!そうね!京介さんって、遠回しに言うところがあるものね!」
「とにかく、もう、話は、まとまった、ということで、私は通すぞ!京介!」
だから、抜き打ちで、見合いしたのがよかったんだ、とかなんとか、男爵は、喜びつつ、芳子も、同意している。
「ねえ、京一さん、なんだか、本当に、良い感じね。だって、京介さん、音楽学校での教鞭も落ち着いて来ているし、なんと言っても!念願の交響楽団に入団できたんですもの!これは、単なる偶然じゃないわよ!月子さんと、ご縁があるってことだわ!」
今にも飛び上がりそうな勢いで、芳子は弾けているが、岩崎は、ああ、と、口ごもりつつ、男爵を見た。
「兄上、入団については、本日、辞退して参りました」
「そうか……って、ちょっと、待て!辞退とは、なんだっ!京介!」
「ええ?!辞退って?!どうゆうこと!京介さん!」
岩崎の一言に、男爵夫婦は目を見開き、声をはりあげる。
それは、岩崎の声より、ひときわ大きなもので、月子もお咲も、驚きから、びくりと肩を揺らした。
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