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5年生に上がると高学年と呼ばれるようになる。
私の親は送り迎え以外剣道に関わらなくなった。
優勝ーーー。
たかが1回。調子に乗ってはいけないと言われたのは、たぶん私が試合ほど稽古に集中していないし、練習後遊んでる時の方が元気だったからだろう。
試合も練習通りやれば勝てる。
練習で100%出せなければ本番で100%なんて出ない。
普段真面目にやらないから試合の時にアガる。
私の横で大人たちはそう言って、私に練習の密度をあげるように言うようになった。
しかし私は結構頭がいっぱいいっぱいである。
未だに自分の考える呼吸はできていないし、左手の三本で竹刀を振る事も出来ない。
これを練習中意識し続けて、さらに試合の時のあの研ぎ澄まされた感覚を呼び起こしなさいと。
結構な無茶である。
頭をスッキリさせたい、私には遊びが1番だった。鬼ごっことか、缶けり、ドロケイなど走るのは苦手でもあのルールのわかりやすい単純明快な遊びが頭を空っぽに出来てすごくありがたかった。そして楽しいからこそ、リセットできる。
嫌な記憶で終わるとそれ以外思い出せなくなるから嫌なのだ。
どれだけ嫌なものなのか。
小学五年生の私の記憶力の問題が非常に影響していると思う。
私は、自分の意思を持って覚えようと思ったものに関しては人よりも物覚えがいい。
例えば、学校の授業では日本国憲法前文を暗唱できた。
百人一首は全首上の句でとれた。
学校の授業は聞いていれば大体その日の内容は覚えた。
小学五年生では当然だと思っていたのだ。
学校の課題として出されることができるのは普通。
そして戻ると、私はお説教はしっかり聞いてしまうのだ。
親の、先生の、大人の、一言一句、数日〜今まで覚えてしまっているものもある。その容量が人よりも多いらしい。
だからこそ、遊ぶ時は空っぽにしたい。そうじゃないと頭が持たない。
そこを理解しては貰えなかった。
親は私の稽古を見て、
集中していない。やる気がない。
先生は私の稽古を見て、
舐めてる。優勝したから調子に乗ってる。
周りの子達は
なんであの子だけ?どうせ贔屓されてる。
私はどこで間違えてしまったのか、どうしてもわからなかった。
私の道場の1つ上の女の子。
入った年は同じでも、卒業してしまう年は1年早いのを知った。
大人しいけど、一緒に馬鹿なこともして、すごく絵の上手い子だった。あとアイドルが好きだった。
強さは私の方が上だったけど、すごくすごく好きで一緒に今までやってきて。
私と同い歳のもう1人とその子の3人。
小学5.6年の三人団体で組めるようになってから、仲がいいし騒がしいけど勝てない時もあるのだけど、それはそれですごく楽しいと思った。
その子が小学生最後の年。
その年の個人戦で私はその子が負けたのを見ながら、しっかりと優勝した。
小学5年にして5.6年の部で優勝した事は、結構市では話題になって知らない道場の先生にも声を掛けられるようになった。
「よかったよ。」
「強いなぁ。」
「五年生なんだって?うちに来ない?」
でも私は
「警察がいいので!」
そう言って笑ってた。
だって、中学生でも道場には通い続けられるのだから。
小学生が終わっても、中学でもまたやれば一緒にやれる。
だから私は特に何も気にしてなかった。
6年生のあの子が負けたから、私の道場の人達はあまり声掛けてくれないだけ。
そりゃ負けた人の横で褒められてたら可哀想だもの。
年上のぷらいどってヤツ。
あの子はきっと強くないけどそういうのがあって、勝った人は喜んじゃいけない。
剣道は勝っても試合中ガッツポーズしたら負ける。
だからそういうのには過敏なんだから。
でも、一つだけ分からなかった。
私が2度目の優勝した時に一番喜んでくれたのは、その子と一緒に団体に出てた同期の子。
その2人だけ。
試合が終わって、紫の手拭いを外すと同時に抱きついてきて、おめでとう、おめでとうと何度も言ってくれた2人。
去年からはだいぶ静かなお祝いだったなと思う。
6年生が卒業した。
キャプテンだった男の子は中学の顧問の先生のいる道場に移籍した。
長年一緒にやってたけど、あっさり。
でも、そっちのチームの方が強かったから。
仕方ないと言いながら、ちょっとだけ裏切られた気分だった。
仲のいい同期の子も中学に上がったらテニス部に入って来なくなった。
寂しい、来てよーって、言ってみたりしたけど、その子は剣道が好きじゃなかったみたい。私たち3人で笑ってたけど、勝てないし、先生は怒鳴るし、稽古は辛いし。
そりゃあ面白くないか。
だから連絡先に連絡することもなかった。
それからすぐ、私は警察署で初めて女子でキャプテンになった。
4年生の頃褒めてくれた先生が、私の母親位の女性を道場へ入れてた。
その人は段審査云々の為に、先生の知り合いだそうで、私よりも弱かったけどでも先生だった。
その人が来てから変わった。
私の同期の女の子がその人と仲良くなって、道場の女の子たちはその人たちで固まることが多かった。
それ自体はそこまで私は興味はなかったのだけど、先生も変わった。
私が6年の頃の先生は時間になっても助教室から出てこなくなった。
30分、1時間と先生が出てこない日があって。
私はその頃他の道場へ出稽古に行く機会が増えた。
土曜日の夜は私の親戚が通う大人が多い道場に通っていて、そこでの練習はかなり応用なものが多い。
ましてや、高学年どころか私が一番下で大人、高校生、中学生と練習。
そして、さらに日曜日の稽古は市の稽古へ行く機会が増えたのだ。
今まで警察にその手の話は来ていても行く人は少なくて、市の剣道連盟の中で警察は浮いていた。
だけど私は行ってみたかったから、誘われたから、楽しそうだから。
せっかくだから、行ってみた。
そこはすごいなと思った。
大きい体育館で、子供たち色んな道場の子達が沢山いて、そこで私も1人混ざってやって。
知らない人ばっかりだったけど、でも同じ小学校の子がいてそこそこ学校でも話すヤツ。
そいつがそこにいたから、話してた。
そこからはトントン拍子に同学年の知り合いができた。
大会で名前を見たことある人ばっかりで、その中に入って話せることが結構自信にもなった。
私はみんなが来なかった分、その練習はしっかり道場へ持ち帰った。
先生がする練習は1番なのはわかる。
でも、時間になっても大人たちで部屋に篭って、出てこないのは違うと思って。最初は先生に終わったら報告したけど、徐々にやめた。時間が無駄だから。
先生が出てくるまで、せっかくなら他の道場や市でやってる練習を取り入れたらいいと思った。
だって、他の道場の子たちはやってるのだから。
勝つためには当たり前だと思った。
基本に忠実は確かに正しいし、綺麗でカッコイイ。
でも勝つには知らないといけないでしょう?
だから危なくないものを、本当に小さな応用で怪我にならないものを選んで、せっかくやるなら私は他のところの練習でやるのだからその子達になるべく打ち方を教えてあげないと。
そうやって私は一応チームを見てたつもり。
団体戦からそこそこの成績をおさめてたと思う。
出る大会で女子なら大体表彰台まで立てたし、極めつけは小学最後の個人戦。
夏、二度と負けないと誓った大会で、私は2連覇を達成した。
そして秋、こちらは3連覇目。
さらに翌週に地区で開かれる市より大きな個人戦でも優勝した。
ここまで来た時にはもう、私は怖くなかった。
周りからはおめでとうよりも
「なんであの子が勝てるんだろうね」
「あんなヘラヘラしててふざけてるくせに」
「練習全然してないくせに」
そんな声の方がよく聞こえてしまって。
先生たちのおめでとうは喜びはなかった。
ある日、稽古中に聞かれた。後輩に。
「試合緊張しちゃうのにどうして咲ちゃんは緊張しないの?」
私は答えた
「だって私強いもん。」
してるに決まってるでしよ。
でもね、私がしたら君らもしちゃうから、しないように見せるんだよ。
本当は死ぬほど怖い。
負けたらまた怒られる。しかも、負けたらざまあみろって笑われる。
負けたら、ガッカリされる。
だから私は言う
「私に勝てば、他の子達なんか余裕でしょ?だから私に勝てばいいんだよ?」
傲慢。
でも至ってシンプルでしょ。
もちろん同い歳の男子たちには無理って言った。市の練習で見てる分、知ってたから。あいつらは私に勝っても勝てるか分からないレベルだよ。
でも仕方ないよ、君ら市の練習来ないから。
だから勝つために市の稽古一緒に行こうよ。
誘った。
ちゃんと、誘って、それでその子達は来てくれたんだよ。
私が警察の子たちを他の市の子達とちゃんと練習出来るように引っ張り出した。
それでも先生たちは、助教室からなかなか出てきてくれなかった。
ある日。
何気ない会話だった。
「咲弥に勝つために女子で秘密の稽古してるんだから!」
いつもの稽古の帰りに突然、ハンマーで頭を殴られた気分だった。
その先生は、同じ道場の子の母親だった。
警察の本特とか言うところでやっていた経験があって、段位もあってガタイかなりでかい。
そんな“おばさん”が何かのついでか、ふと、本当にふっとそんな発言をしてきて。
咄嗟に私は他の女の子達をみた。
あの女の人と、女の子たち。そして同期の子もそこにいた。
「だって咲ちゃんが強いから」
「打倒咲ちゃんだよねー。」
いいな?違う。
なんで?違う
私も混ぜて
ーーー違う。
私はそんなこと言わない。
「へー、せいぜいどうぞがんばって」
口から出た言葉は大人を刺激するのには充分だった。
「生意気」「舐めてる」「偉そう」
そう言われた私の心はもうとっくに壊れてたのかもしれない。
私には周りには言わない秘密があった。
母親のことである。
良くない日は父親にも内緒と言われたその日たちは、母親にとっての癒しの時間。
それが“パチンコ”だった。
幼少期からちょこちょこ行っていて、最初は私も膝の上に座れて楽しかった。
小学に上がってもついて行ったりしたのは、純粋に映像が楽しかったのとお母さんといたいっていう子供心。
それは剣道で私が詰まっていっても続いた。
周りの親には決して言ってはいけないと釘を刺されたから、言わなかった。
練習終わりには連れていかれて、眠くて寝てるとこんなところで寝るなと怒られて。
学校から帰ってきても親はほとんど居ない。仕事の日は行ってないことが多かったけど、週3日はいない。
寂しいはおかしいと言われた。
私は送り迎えしてる。
アンタの足では無い。
私だって自由がほしい。
じゃあせめて、私の勝利を心から喜んでよ。
勝ったから焼肉だね。
じゃなくて。
お願いだから、沢山褒めて。
私はこの時には生きてる意味がよく分からなかった。
2次元がすごい好き。
初めて好きになったのはエヴァンゲリオンのカヲルくん。
お母さんが連れてってくれたパチンコで初めてみて、好きになった。
あまりに綺麗で、あまりにかっこよくて。
そしてあまりにつらくて。
最期、笑った顔の彼の表情は私の心を一瞬で掴んだ。
2人目に好きになったのは、ONEPIECEのロロノア・ゾロだった。
とにかく声が好きだった。
でも直ぐに次の恋が出てきた。
3人目は同じ作品でポートガス・D・エース。
彼にも一目惚れだった。
見た目も、声も、喋り方も。
ルフィに対しての接し方と、その仲間に対しての声のかけ方がすごく大人に見えた。
こんなお兄ちゃん、いいな。
他にも沢山好きになった。
でも、私のこの感情の向け方は“気持ち悪いオタク”だから。
剣道の世界には要らないもの。
剣道の世界では気持ち悪がられるから。
だから外では言わなかった。
ちょっとアニメ好き?くらい。
でも辛い時はアニメとか、漫画とかを沢山読む。
だってみんな辛い思いしてる事が多いから。
この人たちに比べたら私はまだマシ。
親はいるし、お金もたぶんある、得意なスポーツで優秀な成績を納めて、馬鹿でもない。
だからまた明日も頑張ろう。
そうやって毎日を消化する間も、
私はキャプテンをやってた。
新年。
警察の新年には鏡開きの親善試合がある。私はこの試合が本当に苦手。
身内同士の紅白戦で、道場の子たちで紅白に分かれて試合するだけなのに、私はこの試合必ず負ける。
4.5と勝った試しがなくて、6年は同期の女の子とだった。
個人戦ほぼ負け無しの私が負ける姿はさぞ楽しいんだろう。
その試合も案の定負けた。
たかが紅白戦の1試合なのに、その子はとても嬉しそうに、魔王でも倒したかのように、チームが負けたくせに喜んでて。
紅白戦は特に怒られもしないけど、私は終わっても面が外せなくて。
隣では同級生の男子が背中をさすってくれた。
早く泣き止まないと。いつもみたいな私に戻らないと。ごめんごめん。
私はその日、女の子が嫌いになった。
卒業を迎えて、やっと地獄のようなキャプテンから降りた。
「私、中学ではバレー部に入るんだー。」
そういった同級生の女の子に
「えー、寂しい。たまには来てよー、一緒に剣道しようよー。」
そんな嘘をついた。
二度と本気で剣道なんてしないでね。
もうこれ以上君を嫌いにさせないで欲しい。
そう思ったのはバレてたのか分からないけど、彼女は来なくなった。
代わりに背中をさすってくれた男子は続けるらしくて、「意外だ」と笑ってた。
小学6年生、最後の方に私は市の代表として第1回目の大会に出場することになった。
そこで監督を務めた先生はどうやら私が行く中学の顧問を務めているらしい。
特殊ルールで試合と剣道形(基本稽古法)とかいう、私が苦手な形がある試合。
小さい子から上は中3までで7人団体戦。
とにかく楽しかった。
お祭りみたいで、みんなで出ていった選手に声掛けて。
いい打突には合わせたかのように拍手する。
これだった。
私、こうやって、楽しくやりたいの。
ねぇ、私強い?
私、かっこいい?
記念すべき第1回のその大会で私たちは見事、優勝を飾った。
私は、形は全敗したけど、試合は全勝だった。
他の子達は形も上手くて。
前のキャプテンが中学に上がって、警察を辞めた理由がなんとなくわかった。