テラーノベル
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第10話 終わりの始まり
その夜、世界中で同時に通知が鳴った。
画面が暗く沈む。
数字が浮かぶ。
十。
九。
八。
久世ミナトは、自室の机の前で動けなかった。
綾瀬レイナは隣で端末を開き、佐倉ユウは通話画面の向こうで息を止めていた。
七。
六。
五。
四。
三。
二。
一。
ボスが現れた。
顔の見えない輪郭。
加工された声。
いつもの姿。
いつもの間。
「本日のK宣告を始めます」
だが、その後に表示された名前は、一人ではなかった。
画面いっぱいに、名前が流れた。
日本。
アメリカ。
イギリス。
韓国。
フランス。
ブラジル。
インド。
南アフリカ。
知らない街。
知らない職業。
知らない生活。
数えきれない名前。
レイナの指が止まった。
「同時宣告……」
ミナトは画面を見つめた。
ボスは静かに言った。
「本日は、世界中の皆さんに[K]を持たせます」
コメント欄が壊れたように流れる。
何が起きてる
全員?
冗談だろ
逃げ場ない
自分も?
ミナトのスマホが震えた。
警察からだった。
葛城怜司。
ミナトは通話を押した。
「久世さん」
葛城の声は低かった。
「ボスの拠点らしき場所を特定しました」
ミナトの喉が鳴った。
「どこですか」
短い沈黙。
「あなたの部屋です」
ミナトは言葉を失った。
レイナが顔を上げる。
通話画面のユウも、動かない。
葛城は続けた。
「今から向かいます。動かず、部屋にいてください」
「待ってください。どういうことですか」
「こちらも確認中です」
「僕は何も」
「分かっています」
葛城の声は変わらなかった。
「分かっていますが、確認します」
通話が切れた。
その直後、廊下の向こうで足音がした。
一つではない。
複数。
速い。
重い。
ミナトは立ち上がった。
レイナが前に出る。
「ミナト、何も触らないで」
ドアが強く叩かれた。
「警察です。開けてください」
ミナトは、震える手で鍵を開けた。
扉が開く。
灰色のスーツを着た葛城怜司が立っていた。
四十五歳。
短く整えた髪。
鋭い目。
腕時計へ一瞬だけ視線を落とす癖。
その後ろに、捜査員たちが並んでいた。
葛城はミナトを見た。
「中を確認します」
ミナトはうなずいた。
声は出なかった。
捜査員たちが部屋に入る。
机。
本棚。
床に積まれた資料。
壁のメモ。
外付けの記録装置。
配信保存用の端末。
被害者の名前。
時系列。
支援の履歴。
相談内容。
投稿の拡散経路。
偽物の業者。
各国語の翻訳ログ。
Kという文字。
部屋は、最初からこうだった。
ミナトが何かを隠したわけではない。
すべて、彼が助けるために集めたものだった。
だが、捜査員の目で見られると、それは別の顔を持った。
まるで、世界中のK宣告を管理していた部屋のように。
レイナが息を荒くした。
「違います。これは救済活動の記録です」
葛城は頷いた。
「分かっています」
「分かってない」
レイナの声が揺れる。
「分かってたら、こんなふうに見ない」
葛城は答えなかった。
その時、部屋の奥に置かれた古い端末が起動した。
誰も触れていない。
画面が光る。
数字が浮かぶ。
十。
九。
八。
ユウの通話画面から声が漏れた。
「ミナト……」
七。
六。
五。
ミナトは端末へ近づこうとした。
葛城が手で止める。
四。
三。
二。
一。
画面に、ボスの配信画面が開いた。
ただし、そこに映っていたのは、顔の見えない輪郭ではなかった。
ミナトの部屋だった。
今、この瞬間の部屋。
捜査員。
レイナ。
葛城。
そして、立ち尽くすミナト。
世界中に配信されている。
コメント欄が爆発した。
ボスの拠点ここ?
久世の部屋?
やっぱり?
ミナトがボス?
嘘だろ
信じてたのに
ミナトは声を失った。
画面の端で、自動配信の管理画面が開いていた。
予約投稿。
宣告文。
過去の記録。
拡散先。
翻訳用データ。
どれも、ミナトが作ったものに似ていた。
似すぎていた。
でも、完全には違う。
救うための記録が、宣告の形に作り替えられている。
ミナトは震える指で、画面を見た。
そこにあった文章。
危険で、怖くて、正体が分からないもの。
それを、Kと呼ぶ。
古い自分の言葉だった。
胸の奥で、何かが崩れた。
レイナが叫ぶ。
「ミナトがやったんじゃない!」
葛城は端末を調べる捜査員へ合図した。
だが、配信は止まらない。
止めようとしても、別の回線へ移る。
切ろうとしても、別の画面で始まる。
誰かが作ったのか。
誰かが模倣したのか。
誰かがつないだのか。
何も分からない。
ただ、一つだけ分かる。
もう、ミナト一人の手では止まらない。
ボスの声が流れた。
加工された声。
けれど、今までより少し近い。
まるで、ミナト自身の喉の奥から響いているようだった。
「久世ミナトさん」
ミナトは画面を見た。
「あなたは、人々を救おうとしました」
画面には、これまでの記録が並ぶ。
社長。
教師。
院長。
配達員。
俳優。
友人。
偽物。
その横に、ミナトの姿。
走る姿。
話す姿。
記録する姿。
説得する姿。
疲れて座り込む姿。
「あなたは、疑われた人を一人にしないと言いました」
ボスの声は続く。
「あなたは、Kという言葉を広げました」
ミナトの呼吸が浅くなる。
「あなたは、Kを止めようとしながら、Kを記録し、Kを語り、Kを世界へ見せ続けました」
レイナが端末へ向かって叫んだ。
「違う!」
「違わない」
画面の声が返す。
レイナの顔から血の気が引いた。
通話画面のユウが、かすれた声で言う。
「今、返事した……?」
部屋の空気が冷える。
ボスは、配信の中で話しているのではない。
この場を見ている。
この場に反応している。
だが、誰もいない。
犯罪組織も。
巨大な司令室も。
命令する人物も。
そこにあるのは、ミナトの部屋。
ミナトの資料。
ミナトの記録。
ミナトが救おうとした人々の苦悩。
そして、世界へ向けて自動配信されているK宣告の画面。
葛城が低く言った。
「久世さん」
ミナトは動けない。
「あなたが、最初にKという言葉を使ったのですね」
ミナトはゆっくり頷いた。
「はい」
「それは、いつ」
「何年も前です」
声がかすれた。
「疑われて壊れそうになっていた人を助けた時です。危険で、怖くて、正体が分からないものを、Kと呼びました」
「その言葉が広がった」
「はい」
「今の配信に、あなたは関与していますか」
ミナトは顔を上げた。
「していません」
葛城は目をそらさなかった。
「信じたいです」
その言葉は、静かだった。
「ですが、確認します」
ミナトは笑いそうになった。
信じたい。
でも確認する。
彼がずっと言い続けてきた言葉だった。
今度は、自分に向けられている。
ミナトは、画面へ向き直った。
ボスはまだそこにいた。
「僕は、ボスなのか」
誰に聞いたのか、自分でも分からなかった。
画面の中の声が答える。
「あなたは始まりです」
ミナトの胸が痛む。
「首謀者ではなく」
一拍。
「発火点です」
世界中のコメントが流れる。
発火点
久世が始まり
やっぱり
でも違うだろ
もう分からない
ボスの声は、淡々としていた。
「あなたが恐れたものを、人々は欲しがりました」
ミナトは拳を握る。
「僕は、守りたかった」
「はい」
「誰かを一人にしたくなかった」
「はい」
「壊したかったわけじゃない」
「はい」
声は、否定しない。
それが余計に苦しい。
「ですが、言葉は手を離れました」
画面に、Kという文字が無数に流れる。
K宣告。
Kランク。
K回復。
K代行。
K配信。
K観察。
K狩り。
K予想。
K支援。
K疲れ。
Kは、もう一つの言葉ではなかった。
社会の中に生まれた、無数の入り口だった。
ミナトは、膝から力が抜けた。
レイナが支える。
「ミナト」
「僕だった」
「違う」
「でも、僕だった」
「首謀者じゃない」
「でも、始まりだった」
レイナは唇を結んだ。
何も言えなかった。
ユウの声が通話から届く。
「ミナト、こっち見て」
ミナトは画面の端に映るユウを見た。
ユウは泣いていなかった。
でも、怒っていた。
「君は始まりかもしれない」
ミナトは黙る。
「でも、終わりまで一人で背負うな」
その言葉に、ミナトの目が揺れた。
ボスの声が割り込む。
「終わり?」
画面が少し乱れる。
「これは終わりではありません」
その瞬間、別の配信通知が世界中で鳴った。
新しいK宣告。
また別の国。
また別の名前。
ミナトの部屋の配信とは別に、もう一つ、また一つ、宣告が始まる。
葛城が捜査員へ叫ぶ。
「回線を追え!」
だが、端末の画面には、複数の配信が同時に表示された。
知らない言語。
知らない顔。
知らない街。
誰かがボスの形式を使っている。
誰かが模倣している。
誰かが悪ふざけで。
誰かが復讐で。
誰かが金もうけで。
誰かが正義のつもりで。
もう、ひとつではなかった。
ボスですら、中心ではなかった。
Kだけが増えていく。
ミナトは、画面の前に立った。
世界中に、自分の顔が映っている。
疲れた目。
乱れた茶色の髪。
グレーのパーカー。
細い肩。
自分が、ボスの拠点にいる。
いや。
ここが拠点だった。
自分が集めた記録が、誰かの燃料になった。
自分が作った言葉が、誰かの武器になった。
自分が守ろうとした行為が、誰かの娯楽になった。
ミナトは、ゆっくり口を開いた。
「……止められない」
その声は、配信に乗った。
世界中へ流れた。
コメント欄が止まらない。
認めた?
終わり?
助けて
怖い
もう誰も止められない
レイナがミナトの腕を握る。
「言い切らないで」
ミナトは首を振った。
「違う」
彼は画面を見た。
「僕一人では、止められない」
その言葉で、部屋の空気が変わった。
葛城も、レイナも、ユウも、画面の向こうの誰かも。
ほんの一瞬、黙った。
ミナトは続けた。
「僕が始まりなら、僕は逃げない」
声は震えていた。
でも、止まらなかった。
「でも、僕を捕まえても終わらない。僕を消しても終わらない。Kはもう、誰か一人のものじゃない」
ボスの声は聞こえない。
「疑いたい人がいる限り、Kは生まれる」
ミナトは息を吸う。
「怖さを誰かに持たせたい人がいる限り、Kは続く」
コメントが流れる。
きれいごと
でもそうかも
久世が言うな
じゃあどうする
どうすればいい
ミナトは答えられなかった。
どうすればいい。
その答えを、まだ持っていない。
持っていないまま、ここまで来てしまった。
葛城がミナトへ近づいた。
「久世さん、署で話を聞きます」
ミナトはうなずいた。
レイナが抗議しようとする。
ミナトは手で止めた。
「行く」
「ミナト」
「逃げたら、全部終わる」
レイナは悔しそうに唇をかんだ。
ユウの通話画面が揺れた。
「戻ってきて」
ミナトは、少しだけ笑った。
「戻る」
その約束が守れるかは分からなかった。
でも、言わなければならなかった。
葛城が捜査員に合図する。
ミナトは部屋を振り返った。
資料。
記録。
ノート。
壁のメモ。
Kという文字。
助けたかった人たちの名前。
それらが、静かにこちらを見ているようだった。
部屋を出る直前、古い端末がまた鳴った。
画面に、短い文章が表示される。
本日のK宣告を始めます。
次の対象者はこちらです。
名前が出る。
知らない誰かの名前。
ミナトは目を閉じた。
その瞬間も、世界のどこかで新しい宣告が行われていた。
廊下へ出る。
外には、報道陣とスマホを構えた人々が集まっていた。
フラッシュ。
声。
質問。
怒り。
興奮。
悲鳴。
誰かが叫ぶ。
「ボスだったんですか!」
別の誰かが叫ぶ。
「Kを止めてください!」
ミナトは立ち止まらなかった。
レイナが横にいる。
葛城が前にいる。
世界は騒いでいる。
けれど、ミナトの耳には、古い自分の声だけが残っていた。
危険で。
怖くて。
正体が分からないもの。
それを、Kと呼ぼう。
あの日の言葉は、小さかった。
誰か一人を守るための言葉だった。
それが今、世界中の画面で鳴っている。
K宣告十日目。
ボスの拠点は見つかった。
そこには、首謀者はいなかった。
ただ、始まりに立ってしまった一人の人間と、もう誰にも持ちきれないほど大きくなった言葉だけが残っていた。
コメント
1件
# 感想 うわあ……この展開、心臓に悪いわ。ミナトの部屋がボスの拠点ってだけでも衝撃なのに、さらに「発火点」って概念が出てくるの、めちゃくちゃ熱いし怖い。「救おうとした記録」が「宣告の形に作り替えられてる」ところ、読んでて背筋が寒くなった。一人では止められないって認めた瞬間、この物語のフェーズが変わった気がする。Kがもう一人のものじゃなくなった絶望と、それでも「逃げない」って立つミナト、痺れたわ🔥 #K宣告 #発火点 #心理戦 #カタストロフィ