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「どどどどうかしました?」とアンソルーペはドロラに声をかける。「なな何か不安な事でも?」
「え? いえ」ドロラは上品に首を傾げ、慎ましやかに笑みを浮かべる。「私が不安そうにしていたのは首席が不安そうにしていたからです。相も変わらず溜息が多かったので。総長殿のご命令のことですか?」
アンソルーペは自覚していなかったが、規則的に吹く谷風のように数歩ごとに大きな溜息をついていた。
雲一つない秋晴れだが相も変わらず薄暗い松の森は世界の端まで続いているのではないか、と思わせるほどに広く、終末を題材とした連作絵画を眺め続けているかのように代わり映えのない景色が続いていた。しかし足元を見れば、下草に隠れて息を潜めていた古い街道跡が再び存在感を示し始めている。
モディーハンナの待つ街には今日の内に着く予定だったが、まだ焚書官たちの無数の足音以外に人の気配はどこにもなく、峻岳に鎖された深い森に蟠る神秘の空気は変わらず色濃かった。見えないものの姿、聞こえないものの声、存在しないものの気配が辺りを漂っている。
「そそそう? そうですね。はい。なや悩んでます」アンソルーペはこっそり後方を盗み見る。祖父ケイヴェルノ率いる第一局の面々は一行の中央辺りにいるはずだが、集団は縦に伸びていて先頭からはその姿が見えなかった。「ほほ本来の任務である魔法少女狩猟団の支援に加えて、まま魔法少女ユカリのととと討伐だなんて」
「面倒ではありますが」ドロラは不思議そうに言う。「元々魔法少女が最たる教敵に認定された時点で、その討伐は救済機構全僧兵の義務のようなものではありませんか?」
「そそそれに関してはそうですけど、お祖父ちゃんがじ重視しているのは魔法少女狩猟団に先んじること、ですですから。ほほ本来の、つまり我々が聖女様にち直接下された任務を軽視するのはいかいかがなものかと。だい大体、やることが複数ある、やややこしいのは苦手です」
「しかし我々も魔導書を確保しましたからね。つまり魔法少女の方からやって来る可能性が高いということですよ」とドロラは力強く励ますように言う。「奴の魔導書の位置を感知するという忌々しい邪悪な力も、考えようによっては我々の仕事の手間を省かせてくれるということですから」
「まま前向きですね、ドロラちゃんは」アンソルーペは感心を隠さず言った。
「魔法少女を討伐するのに魔法少女自身の力を利用できるならそれに越したことはありませんよ。ただ私も悩んでいます。私がこれから上り詰めていく焚書機関が解体されるのは困りますが、かといって聖女様のご指示に反しては出世も何もありません」
「そそそれはそうですね。もちもちろん軽視するつもりはありません。た、たとえお祖父ちゃんの命令だったとしても」
「ところで先ほど魔法少女狩猟団の支援と仰いましたが。何らかの形で魔法少女狩猟団から離れた魔導書を回収し、復帰させる、という主任務はむしろ監視業務とも言えますよね。おかしいと思いませんか?」
アンソルーペは少しのあいだ首をひねるが降参する。何がおかしいのか分からない。春に花が咲き、秋に葉が色づくのと同じくらい当たり前のことのように思える。
「……えっと、なな何がですか? 魔導書そのそのもので構成されているままま魔法少女狩猟団の特殊性を考えるとだだ妥当な対応だと思いますけど」
「確かに、魔導書収集家とも名乗る魔法少女に魔導書を奪われることは想定しているのでしょうが、それはどちらにしても衝突する魔法少女狩猟団がことにあたればよく、かつ、せざるをえないはず、ということです。人手が足りないならば焚書機関の僧兵も一時的に組み込んだ組織を結成すればいい、なのに――」
「わざわざ焚書機関には魔導書の奪還、回収だけをよよ要請した。それは何故か、ということですね」とアンソルーペはドロラの考えに至る。そして続けて踏み込む。「救済機構内部に、ふふ焚書機関に魔法少女を討伐されては困る、というおおお思惑を持つ者がいる? 誰が? 何故?」
「分かりません。多くの人間が関わっていますし、最終決定は聖女様だとしても、その思惑に影響を与えた者がいるのかもしれません。魔法少女討伐を狙うケイヴェルノ総長に反する者、あるいは総長と同様の思惑を持ち、出し抜こうと――」
ドロラが突如押し黙り、兎が耳を立てる時のように少し首を伸ばすと、それは魔術によって何かを感知した合図だ。そういう時、アンソルーペはただ黙って報告を待つ。
「行軍停止をお願いします」
ドロラの言葉を受け、アンソルーペは決められた手振りで全体の静止を命じる。ドロラは臣従儀礼のように片膝をつき、目を瞑り、さらに強力な千里眼の魔術を行使する。星々の瞬きよりも僅かに大きな声で、よく透き通ったせせらぎの水音の抑揚によって、風と通ずる西国の鷹匠の言葉を使い、古き琥珀の内に見出された七行詩を吟じる。
「南西の方向、魔法少女の一行です。街道から離れた位置で身を休めているようです」
「休んでいるんですか? こちらに気づいていないということ?」
少しの沈黙の後にドロラは答える。
「そのようです。……おかしいですね。推定されている奴の魔導書感知範囲内には既に入っているはずなのですが、こちらに気づいていないようです。あるいは罠でしょうか?」
「かかかもしれませんが、すす捨て置くわけにもいきません。正確な位置をきょ共有後、ほ包囲しましょう」
悪い予兆は何もなかった。焚書官たちは素早く、密かに展開し、魔法少女たちを包囲した。森は薄暗くも穏やかな深い眠りにつき、晴れ渡った空から分厚い毛布のように仄温かい陽光が降り注ぎ、葉の間から控えめに差し込んでいた、はずだった。
豪雨。瞬くような刹那の時を経て、景色は様変わりし、滝の直下に位置しているかのような轟音に耳を塞がれる。まるで空に蓋がされたかのような曇天から大粒の雨が降り注ぎ、打たれた葉叢が轟音で応える。
どれほど訓練を重ねていても、これほど手際よく魔術を行使されれば混乱は避けられない。実際に焚書官のほとんどが事態の急変に適応できず、頭も体も硬直していた。
しかし手際が良いが故に、アンソルーペに想定できる可能性のほとんどは枝打ちされた。
「こここれは報せる者! すす既に魔法少女に奪われていたんですね」
特定の魔術に秀でた魔導書の使い魔の他に、このような芸当をできる者は大陸の歴史書を全て漁っても見つからない。
「違います。背後です」
ドロラの報告を受け、アンソルーペは振り返り、目を凝らすが、豪雨の白い幕が全てを覆い隠している。水音に轟く地面は沼の水際のように泥濘み始めていた。更に追い打ちするように向かい風が吹き付ける。とにかくこの場に留めようとしているらしい
「おい! 何してる! さっさと体を明け渡せ!」
頭の中に響く声に従い、腰に提げていた首席焚書官の鉄仮面をかぶる。
すると、アンソルーペの周りだけ風雨は止み、足元の地面は長い日照りの続いた土地のように乾く。まるでアンソルーペだけが世界から切り離されたかのようだった。
ドロラの言う背後の方へ向かおうとしたその時、奇妙な生き物を視線の先に射止める。人間の大きさだが頭も体つきも鼬のようで、両腕は蛇の首、両足は蛇の尾だ。青白く光る両目でアンソルーペを見据えている。
「どういうわけだね? 何故私の魔術が効いていないのだ」と報せる者が問う。
「さあね。自分で考えな」アンソルーペは鎚矛を構えて走り出す。「だがこれだけは教えてやろう。使い魔の中でもお前は特に俺が天敵ってことだ!」
鎚矛を振りかぶり、飛び掛かるアンソルーペに三本の雷が降り注ぎ、しかしその全てが逸れて松の木に落ちた。ほぼ同時に鎚矛は報せる者の脳天を砕いた。
それでもなおじたばたと動いて逃げようとする報せる者を抑えつけ、封印を探して弄る。そして揺るがない勝利が、圧倒的な優位が、しかし油断をもたらしたのだった。
真正面から顔面を蹴り飛ばされてアンソルーペは地面を勢いよく転がる。鉄仮面は何処かへ蹴り飛ばされた。直ぐに立ち上がるが、その何者かは報せる者を剥がすと旋風のような脚で駆け去り、すぐに姿を見失う。再び豪雨に視界と音を遮られる。
「北東です」駆け寄ってきたドロラが耳元で怒鳴る。「北東に逃げました。追いますか?」
足止めの魔術に加え、魔法少女たちとは反対の方向へ逃げていったのだった。これは偶然だろうか。魔法少女に所有されていない――おそらくかわる者に解放された――使い魔が自由に興ずるのではなく、魔法少女に協力しているというのだろうか。
であれば、その回収が第四局に与えられた任務だ。と同時に、もう一つの考えがアンソルーペの足を止める。焚書機関総長ケイヴェルノにユカリ討伐を命じられている。何より既に焚書官による包囲は済んでいる。それに報せる者が魔法少女によるものでないならば、奴らもこの大規模な魔術の豪雨に混乱しているということだ。二つの目的がアンソルーペの意思を二方向に引っ張る。
故に第三の方向、頭上への意識など皆無だった。死角から肩を打ち据えられ、ようやく立ち上がったばかりのアンソルーペは再び無様に倒れ、泥水に塗れる。それはただの一撃ではなく、息つく間もなく次々に繰り出される。豪雨の次は雹だ。拳大の氷の塊が遥か上空からこの松の森にだけ降り注いでいた。悲鳴をあげるのは人間ばかりではない。木々は打ち倒され、地面が抉られる。疾うに人の歩みなど忘れてしまった古い石畳が激しく打ち鳴らされて猛る。
鉄仮面はどこにも見当たらず、頭をかばうので精一杯だった。
しかし「大丈夫か!? アンソルーペ!?」とケイヴェルノが呼ばわると同時に全てが止んだ。
駆けつけた焚書機関総長は一振りの剣と一枚の盾を掲げている。大聖君に賜った聖典の一つだ。剣と盾は赤熱して輝き、降り注ぐ雹を霧散させている。一帯の松の木は火を噴くことなく黒炭へと変じている。それは内から焼き焦がす恐ろしい力であり、全ての魔導書を焼き尽くすべく祝福されている。
アンソルーペはケイヴェルノもまた額から血を流していることに気づく。別の場所で包囲の一角を担っていたはずだが、孫娘を案じて駆けつけてきたのだ。あるいは一組織の長としては適切な判断だとは言えないかもしれない。しかしアンソルーペの脳裏には父母と故郷を失った幼気な少女を此処まで育て上げてくれた祖父母との日々が渦巻いていた。新たな生はケイヴェルノを無くしてはあり得なかった。迷うことなど何もなかったはずだ。
「ドロラちゃん! 合図を!」
アンソルーペが南西へ、魔法少女たちのいる方向へ駆け出すと同時に、背後で赤と黄の閃光が放たれる。全軍突撃だ。
結局、魔法少女たちは混乱の内に逃げ果せ、いくつかの荷物を残して姿を消していた。その荷物は何故か救済機構の物資だった。
そのような顛末をモディーハンナに報告するのは焚書機関の一員として屈辱的だった。が、モディーハンナの態度は冷静で、ある意味同情的だった。そして眠そうだった。いつだったかに見かけた時も痩せているように見えたが、さらに悪化している。青白い肌に目の下の隈、青い瞳は褪せて見え、豊かな栗色の髪は艶を失っている。アンソルーペが報告している間中、欠伸を噛み殺しているのも気づかない訳にはいかなかった。
鋼の街でモディーハンナの率いる僧侶たちと合流すると久々に夜具に包まれて眠ることができた。大人数の全てという訳にはいかなかったが、大金をはたいて少なくとも全員が雨露をしのげる屋根の下は確保されていた。
「それは恐ろしい目に遭いましたね。ともかく貴女が無事で何よりです」モディーハンナは声までもが潤いを失っている。
「え、ええ、いえ、はい。とこところで、魔法少女たちが救済機構のものらしき物資を所持していたのですが、心当たりはありますか?」
二人はモディーハンナの借りた宿屋の一室で顔を合わせている。モディーハンナは椅子に深く腰掛け、縋るように背凭れに身を預けていた。真昼だが日当たりの悪い部屋なせいで、その顔色はより酷く見える。
「ああ、我々の物資でしょうね。実は我々はおめおめと逃げ果せたのですよ」とモディーハンナは眠そうに自嘲する。「魔法少女はもはや個人としては救済機構最大の脅威ですから。聖女の身を危険に晒す訳にもいきませんし」
アンソルーペは耳を疑う。
「せせ聖女、様? 猊下がここちこちらにいらしているのですか?」
「あ、これは秘密でした。まあ、首席焚書官なら構わないでしょう」
これほど不注意な女だったろうか、とアンソルーペは訝しむ。そういえば、と思い出す。敵を追尾しない不良魔法の矢を押し付けられたことはあった。
「さて、作戦の準備は着々と進んでいますが、本格的に始動する前に紹介しておかなければいけませんね。入って来てください」
扉を押して入って来たのはこれといって特徴のない男だ。中肉中背の中年男性。黒髪に口髭。自信に満ちた眼差しを二人の女に向けるが、アンソルーペに比べれば誰の眼差しでも自信に満ちている。
「こちら焚書機関第四局の首席焚書官、アンソルーペさんです。焚書機関でも一二を争う腕っぷしなんですよ」とモディーハンナに紹介される。
「どどどうぞ、よろしく」と言って立ち上がる。
「こちら魔法少女狩猟団団長シャナリスさんです。狩猟団の中では唯一の人間です」
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」とシャナリスが手を差し出し、アンソルーペは握手に応じる。
「え? にに人間なのですか? てっきり全員が魔導書なのかと」
「もちろんですとも」とシャナリスが寛大な笑みを浮かべて補足する。「封印を貼り付ければ命令に絶対忠実な使い魔ですが、的確に命令できなければ組織として機能させられませんからな」
「ああ、ななななるほど。まさにしき指揮官というわけですね」
シャナリスは満足そうに頷く。「魔法少女狩猟団の構成についての詳細はのちほど、それよりもモディーハンナ殿には既に報告したのですが、つい先日使い魔かわる者によって大量の団員、つまり封印」が強奪されましてね」
突然の報告にアンソルーペは飛び上がる勢いで退く。
「ええ! たたた大量ってどどどどれくらいですか!?」
「二十くらいですな。いや、ひどい目に遭いました」
「災難でしたね」と弱々しく呟くモディーハンナは微笑みを浮かべている。
二人のその落ち着きぶりのせいで余計にアンソルーペは焦慮する。
「いいい良いんですか!? どどどどうするんですか!?」
「良いか悪いかで言えば良くはないですね」とモディーハンナが答える。「しかし作戦上は問題ありません」
いよいよアンソルーペも疑念を抱き始める。魔法少女に一〇一白紙文書を奪われ、封印も着実に奪われつつある中で、その使い魔の一柱に更に魔導書を奪われている現状を軽視する理由などあるのだろうか。モディーハンナ、シャナリス、ひいては聖女アルメノンにまでアンソルーペは疑いを向ける。一体何を企んでいるのだろう。
確かにケイヴェルノの言う通り、救済機構上層部で魔導書が軽視、楽観視され始めているのかもしれない、とアンソルーペもまた実感を持つ。時に国を滅ぼし、シグニカにおいても暗い歴史の一幕に関わった魔導書が許容される日が来るというのだろうか。
「もちろん。捨て置くつもりはありません」モディーハンナが言い添える。「そこで貴女たち第四局には魔導書奪還に代わって、使い魔かわる者の回収を最優先事項としてもらいます。まあ、かわる者も魔導書ですが」
モディーハンナの不健康な笑みを見つめながらアンソルーペは気落ちする。最優先事項がすげ変わったところで魔導書奪還は任務の内の一つのままだ。結局のところまた命令が増えてしまったのだ。