テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
シズカは、母と2人で暮らす実家アパートの自室で、段ボール箱と格闘していた。
天利が「余計な人間に居場所を知られたくない」と頑なだったため、引っ越し業者は使わず、休日に少しずつ天利の車で荷物を運び入れる計画だ。
季節外れの衣類や小物、茶道具の予備、そして数多の編み物の本や道具。
それらを詰め込みながら、シズカはふと手を止め、壁に貼られた父との古い写真を見つめる。
シズカ「(いつ、パパに天利さんのことを言おう……)」
シズカは、父が「裏の世界」の人間であることは知っているが、父から「裏の世界」の話を聞かされたことは1度もないので、詳しい立ち位置までは把握していない。
会ったことがあるのは、「万が一、自分に何かあった時はこの人頼れ」と紹介された父親の「親」にあたる人物くらいで、それ以外に組事務所に足を踏み入れたこともなければ、他の構成員に会ったこともないので、
彼女にとっての「パパ」は、時折物騒な空気を纏って帰宅する、少しばかり気性の荒いが自分と母には甘い「父親」でしかなかった。
しかし、だからこそ天利が自分の交際相手だと知れば、組の秩序も親子の情愛も、どちらに転んでも爆発しかねない。
父の性格上、天利の元に殴り込むか、あるいは逆に縮こまってしまうか……どちらにせよ、まともな顔合わせになるとは思えなかった。
シズカ「……考えただけで胃が痛い」
父には「自立して広いところに引っ越す」とだけ伝えているが、相手が大判組二次団体の組長だとは口が裂けても言えない。
シズカ「(……同じ世界の人だって言ったら、パパ、怒るかな?
それとも喜ぶ……わけないよね……)」
シズカは慎重に、そして手際よく「聖域」の梱包を進めていた。
手に取ったのは、重厚な装丁のコミック全巻と、豪華な装飾が施されたアニメのBOXセット。
シズカ「(……これだけは、絶対に傷つけられない)」
彼女が「休日はダラダラしている」と謙遜気味に語ったその実態は、19世紀英国を舞台にした、悪魔の執事と若き伯爵が織りなすダークファンタジーの世界に没頭することだった。
シズカにとって、その作品は単なる娯楽ではない。
英国文化、ヴィクトリアン様式の美学、そして「主従の絆」を学ぶ教典のようなものだ。
シズカ「(パパにもまだ内緒にしているこのコレクション……。
天利さんの新居に運び込むのは、もっと関係が深まってから……。
今はまだ、完璧な私でいなきゃ)」
そう決意して、彼女は段ボールの底に「黒い執事」のグッズを深く沈め、ガムテープで厳重に封印した。
─── ───
一方、大判組の定例会議を終えたばかりの会議室。
紫煙が立ち込める中、統括本部長の伊佐治組長が、手元のスマホを熱心に覗き込んでいる俺に声をかけて来た。
伊佐治「おい、天利。
さっきから熱心に何を見てやがる。
『ブリキ』の家具か?」
天利「……ブリティッシュ・アンティークですよ、本部長。
……それと、ヴィクトリアン様式の椅子を少し」
新界「……ぷっ! 天利、お前そんな趣味あったか?
似合わねえ。 お前、最低限の家具があれば十分だとか言ってたじゃねーか?」
天利「……うるさいな。 家具は下見だけだよ。
……勝手に買うと、彼女に怒られるからね」
伊佐治「ほう……。 忍みたいな趣味だな。
あいつ、シャーロック・ホームズに憧れているとか何とかで内装を全部イギリス風にしてたろ?
お前、あいつに憧れてんのか?」
天利「……まさか。
ただ、彼女がそういうのを好むと言っていただけです」
伊佐治「女はイギリスよりフランスっぽい方が好きなんじゃねーの?」
天利「フランスのコロロ様式?も好きだけど
イギリスのアンティークの方が好きだそうで……」
新界「コロロじゃなくて
ロココ、な」
俺の愛妻家(予備軍)ぶりが意外だったのか、執行部の面々は驚きと呆れが混ざったような笑い声を上げる。
会議室には、幹部会への出席を許されたシズちゃんの父親の姿もあったが、俺はそうとは知らず、新居の鍵をポケットの中で弄ぶ。
シズ父「(……天利のヤツ、柄にもなく浮ついてるじゃねえか。
どこの女だ、あの野郎の牙を抜いたのは。
……それに引き換え、うちの娘ときたら『自立する』なんて言って、ろくに男の影も見せやしねえ……。
まぁ、んな事言おうもんなら、また時代遅れだのなんだの言われんだろうし、変な男に引っかかるよりはマシだけどよ……)」
彼は、自分の娘がその新しい城の名義人であることも俺の隣で「ふわふわのニット」を着て笑っていることも知らないし想像すらしていない。
新界「お前、そんなに家具にこだわるなら、姉貴に聞いてやろうか?
あいつもインテリアにはうるさいぜ。
……つーか、お前のその相手、誰だよ
まさか……!!」
天利「(お前の姉さんの右腕を、俺がもらい受けることになったとは、まだ言えないな。
言ったら、その場で発狂するだろうからね)」
天利「……ただの、可愛らしいお嬢さんだよ。
お前には関係ないだろ」
蜘蛛の糸のように張り巡らされた人間関係。
誰1人「真実」を共有しないまま、新しい「城」への引っ越しは、着々と進んでいく。
その夜。
セーフハウスで、俺はシズちゃんを隣に座らせ、タブレットを広げた。
前回、新居を決める際、俺が勝手に決めて不満を漏らされた反省を活かし、今回は慎重に、仕事の合間に厳選した「家具の候補」を見せることにした。
天利「……シズちゃん。
これ、少し下見をしてきたんだけど……どうかな」
俺が自信を持ってスワイプしたのは、赤坂の老舗アンティークショップで見つけた一品だ。
天利「君が言っていた、ヴィクトリアンのなんとか様式だろう?
椅子もテーブルも、1番装飾が派手で高いやつを選んでみた。
……彫刻が禍々しいくらい凝っていて、君の言っていた『ロマン』があると思うんだが」
画面に映し出されたのは、あまりにも重厚すぎる、もはや玉座のような猫脚の椅子。
金糸の刺繍がこれでもかと施されたベルベットの座面。
シズカ「…………」
シズちゃんは、画面を見つめたまま固まった。
……おかしい。もっと喜んで、「おじさま素敵!」と飛びついてくる予定だったんだが。
シズカ「……天利さん。
これ、どこの貴族の晩餐会ですの?」
天利「え? いや、1番いいやつを……」
シズカ「……やりすぎですわ。
私、こういう『いかにも成金です』というギラギラしたものは求めておりませんの。
もっとこう……背徳感の中にも気品があって、影が落ちるような、落ち着いたダークな様式が……」
天利「影……。
……ああ、もしかして、これのこと?」
俺は別の検索結果を見せた。先日、彼女の趣味を少しでも理解しようと「英国 執事 漫画」というキーワードで調べて出てきた、あの独特な世界観に近いものだ。
天利「君が好きな、あの……『黒い召使い』が出てくる話のような雰囲気か?」
その瞬間、シズちゃんの肩がビクッと跳ねた。
シズカ「なっ……ななな、なぜそれを!?
いえ、何のことかしら、私、そんなサブカルチャーには詳しく……!」
天利「……?
いや、君が以前、英国のロマンが好きだと言っていたから。
少し調べてみたら、そういう雰囲気のものが流行っていると出てきてね。
……例えば、このマホガニーの渋い色合いの書斎机とかはどうだい? 悪魔が潜んでいそうな雰囲気だと言えばいいのかな。
たしか……セバスチャンとかいう名前だったかな」
シズカ「(……っ!
天利さん、まさか実写映画版までチェック済み!?
いえ、でも執事じゃなくて『召使い』って言ってるし……!)」
シズちゃんは顔を真っ赤にして、激しく首を振った。
シズカ「とにかく!
豪華ならいいというものではありませんわ。
……今度、私も一緒に行きます
天利さんに任せていたら、新居がどこかの怪しいテーマパークになってしまいますもの!」
天利「……そっか。
……ごめんね、また空回りしたな」
肩を落とす俺に、彼女は少しだけ申し訳なさそうに、けれどどこか嬉しそうに、俺の腕に頭を預けてきた。
シズカ「……でも、ありがとうございます。
私のために、慣れない『呪文』を調べてくださって。
……家具は、2人で選びましょう?
私たちの『城』なんですもの」
天利「……ああ。そうしよう」
俺は彼女の柔らかい髪の香りを嗅ぎながら、密かに安堵した。
だが、彼女の段ボールの底に、俺が「下見」で見つけたあの漫画の全巻が隠されていること。
そして彼女がその世界に人生を捧げているレベルの愛好家であることに気づくのは、もう少し先の話になりそうだ。