テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
土曜日の昼下がり。
赤坂の喧騒から1本入った路地裏 に、1軒の古びた洋館のような店がある。
看板は出ていない。
シズカは、同僚たちと選んだモカ色のワンピースに、少しクラシカルなレースの編み手袋を合わせていた。
シズカ「(……今日は『黒い召使い』の聖地巡礼ではない。
あくまで、天利さんと私の『城』を形にするための視察……)」
自分に言い聞かせるが、重厚な真鍮のドアノブを前にして、高鳴る鼓動を抑えられない。
隣を歩く天利は、上質な黒のカシミアコートを羽織り、まるでその洋館の主のような落ち着きで扉を開けた。
店内に1歩足を踏み入れた瞬間、シズカの空気が変わった。
仕事中よりも鋭く、それでいてどこか熱を帯びた瞳が、薄暗い店内に並ぶアンティークを射抜く。
天利「……ここだよ。
先日話していた、例の……」
店主「ああ、天利さん。
お待ちしておりました」
老舗の店主は、天利の顔を見るなり背筋を伸ばしたが、隣にいる小さな貴婦人のようなシズカを見て、さらに居ずまいを正した。
天利「今日は彼女の買い物だ。
俺は財布に徹する。
彼女が納得するまで、最高の品を見せてやって」
そう言って天利が下がると、シズカはおもむろにタブレットを取り出し、店主に画面を見せた。
そこには、まだ何も置かれていない、あの広大なLDKのパノラマ写真が映し出されていた。
シズカ「……店主さん。
この部屋を、ただの英国風にするつもりはありませんの。
『明治大正時代、西洋文化を取り入れたばかりの日本の邸宅感』
……和と洋が、どこか背徳的に混ざり合ったような、あの独特の静謐さを出したいんです」
店主「ほう……。
和魂洋才、あるいはアール・ヌーヴォーが日本に上陸した頃の、あの重厚な空気感ですな」
シズカ「ええ。
剥製が飾ってあるような冷たい洋館ではなく、畳の香りがどこかに漂うような、温かみのある『影』を落としたいの。
……例えば、あのマホガニーのライティングデスク。
あれをこの窓際に置いたら……」
シズカは、天利が先日見せた「成金趣味の金ピカ」には目もくれず、店の奥にある、使い込まれた飴色の家具たちに吸い寄せられていく。
天利「(明治大正……要は、光と影の境界が曖昧な場所、ということか。
逃げ場のない真っ暗闇より、そういう薄暗がりの方が、案外人は安心するものなのかもしれない……。
俺のような人間が、唯一、息を潜めていられる場所。
彼女は無意識に、俺に居場所をくれようとしているのかもしれないな)」
……チッペンデールだか何だか、天利には呪文にしか聞こえない会話が、2人の間で火花を散らすように交わされていた。
天利「(……シズちゃん、目が輝きすぎているな。
仕事中の彼女よりも、今のほうがずっと……『毒』が抜けていて、いい)」
シズカ「……ガラスは、できれば当時の手吹きのような。
少し波打ったものがいいんですの。
ガス灯のような淡い光が、歪んで落ちるような……。
天利さん、そういう『不完全な美しさ』って、素敵だと思いませんこと?」
天利「(歪んだ光、か。
……真っ直ぐな光を眩しいと感じる俺たちには、そのくらいの方が落ち着くのかもしれないな)」
天利「……ああ、不完全な方が、見ていて飽きない。
君の選ぶものは、どれも正解だよ。
俺の部屋以外は、君に任せるよ。
俺は君の理想の空間を間借りさせてもらえるだけで幸せなんだから」
結局、シズカが選んだのは、19世紀末のイギリス製だという巨大なブックケースと、猫脚の重厚なダイニングセットだった。
シズカ「……素敵。 でも、天利さん。
……これ、業者さんを使わずにどうやってあのマンションまで搬入するんですの?
相当な重量ですし傷がついたら大変よ」
不安げに首をかしげるシズカに、天利は少しだけ口角を上げた。
天利「……心配ないよ。
俺の知り合いに、『物の移動』と『梱包』、『養生』に関してはプロ中のプロがいるんだ。
……絶対に、指紋ひとつ、傷ひとつつけずに君の部屋まで運んでみせる」
シズカ「プロ……?
引っ越し業者さんではありませんの?」
天利「……まあ、似たようなものだよ。
深夜に、音も立てずに仕事を済ませる連中だ」
実際には、天利が信頼している「運び屋」と、遺体や証拠品の隠蔽に長けた「掃除屋」の連中を動員するつもりだ。
天利「(死体なら15分、証拠品なら5分でこの世から消せる連中だ。
アンティークのひとつやふたつ、呼吸を合わせるだけで配置まで終わらせてくれるだろうよ)」
シズカ「ふふ、『お掃除屋さん』のネットワークって、本当に多才ですのね」
天利「ああ、重いものを『見られずに運ぶ』ことに関しては、彼らの右に出る者はいないからね。
……アンティークのブックケースも、動かなくなった人間も、彼らにとっては『丁重に扱うべき荷物』でしかないんだ」
天利「(鑑識の目を欺き続けてきた連中だ。
数トンのブックケースを運び込む足音さえ、隣人には微風程度にしか聞こえさせないさ)」
シズカ「……『丁重に』、ね。
それは素敵ですわ。
たとえ魂が抜けた後の抜け殻であっても、かつて誰かの大切だったものとして扱う……。
物に対しても人に対しても、その『最期の尊厳』を守れるのが、本当のプロフェッショナルですものね」
天利「(……尊厳、か。俺たちは単に足がつかないように消しているだけなんだが、彼女に言われると、まるで聖職者か何かにでもなった気分だよ)」
天利「……さあ、次はティーセットを選ぼうか。
君が、あの和室で淹れてくれるお茶にふさわしいやつをね」
シズカ「ふふ、天利さん。
和室で点てるお抹茶は、もう私のとっておきがあるんですの。
……ここでは、あの広々としたリビングで、あなたと一緒に楽しむための『お紅茶かコーヒー』の器を選びましょう?
ほら、あちらのカップ……大正時代の輸出用でしょうか、とても繊細な絵付けですわ」
天利「……そうか。
2人でゆっくりコーヒーでも飲むためのやつ、だな
俺はそっちの方が、作法を気にせず君の顔を見ていられそうだ」
─── ───
支払いを済ませ、店を出た2人は、赤坂の湿り気を帯びた黄昏時を歩いていた。
天利の隣を歩くシズカの足取りは、店に入る前よりもどこか軽やかで、充足感に満ちているように見える。
シズカ「……ありがとうございます。
私、あんなに自由に選ばせてもらえるなんて思っていませんでしたわ」
少し照れたように、けれど真っ直ぐに天利を見上げてくるその瞳。
天利「(時には怒号を浴びせ合い、血生臭い「掃除」の算段を立てている時と同じ男だとは、彼女には一生教えたくないな……)」
天利「君が笑っていられる場所を作るのが、今の俺の『シノギ』だからね」
冗談めかしてそう言いながら、天利はシズカの華奢な肩を引き寄せた。
指先に触れるコートの質感。
腕の中に収まる小さな体。
端から見れば、年の離れた恋人同士の睦まじい光景に過ぎないだろう。
黄昏に溶けていくシズカの笑顔が、いつか「毒」に侵される日が来るとしても、今はただ、この静かな夕闇を2人で歩き続けたいと天利は思った。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!