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これほど熱い視線で見つめられたことなんて、これまでの人生で一度だってなかった。
その視線に含まれている、これでもかってくらいの殺気もまた同様だ。
殺される。これは後で必ず殺される。
そう思わせる楸さんの、あの突き刺さるような視線を一身に浴びながら、授業に集中するなんてこと、できるはずもない。
やや幼い顔立ちとはいえ、それでも十分すぎるほどに美人であるが故にその表情には迫力があり、その眼光はあまりに鋭く、まるで槍のように僕の身体を貫いていた。
楸さんは体こそ前を向いているものの、顔は明らかに僕の方を振り向いたまま固定されており、絶対に逃がすものかという気迫がひしひしと感じられた。
これはやはり、今日を限りの命ということか。
さよなら、父さん、母さん……僕は幸せでした……
心の中で呟きながら、なるべく楸さんと目を合わせないように黒板に視線を向ける。
現国の山本先生はそんな楸さんにちらちらと目をやりつつも、決して注意するような気配を見せなかった。
薄情だ、薄情すぎる。気付いているんなら注意してくれたっていいじゃないか!
それにしても、あの女の子三人はあの後どうなってしまったのだろうか。
あんなことが起きたっていうのに騒ぎになっていないところを見ると、黙っているようにあの子たちを脅したか、或いはあの不思議な力を使って息の根を――
そう考えた途端、背筋が大きく震えた。危うくお漏らしするところだった。
相変わらず楸さんはギロリと大きく目を見開いて僕を凝視している。
クラスメイトの何人かはそれに気づいて心配そうに僕と楸さんを交互にちらちらと盗み見てきているし、楸さんの隣の男子は時折楸さんに顔を向けながらも山本先生と同様、助け舟を出してくれそうになかった。
まるで蛇に睨まれた蛙の如く、身動きできない状態のまま時間だけが過ぎていく。
その時間の、なんと息苦しく長いことか!
最早ノートを取ることもできず、先生の言葉も聞こえず、板書されている文字すら読み取ることができなかった。
だらだらと流れる冷や汗。
荒くなった呼吸。
ぶるぶる震える身体。
何だかもう、叫びたくて叫びたくて仕方がなかった。
地獄のような午後の授業が終わり、いつものように職員室へ向かう。
今日の遅刻のお小言をもらいに、担任のところへ顔を出そうと思ったのだ。
……いや、違うか。
今日は担任に呼ばれなかった。
遅刻してきたにもかかわらず、何故か。
或いは毎度の事なのでいちいち呼び出すのにも飽きてしまったか、諦めてしまったのかもしれない。
けれど、今日に限っては是非とも呼び出して欲しかった。
何故なら、脱靴場で楸さんが僕が来るのを待ち構えているからである。
六時限目の授業を終えた僕は一目散に帰宅するべく、逃げるようにして教室をあとにした。
いつ背後から楸さんの手が伸びてくるかと冷や冷やしながら脱靴場へ駆けていくと、あろうことか、どうやって先回りしたのか、そこに楸さんの姿があったのだ。
楸さんはあの恐ろしい眼差しを僕に向け、口を真一文字に引き結んでじっとそこに佇んでいた。
もしそれが満面の笑みで可愛らしく待っていてくれたりなんかしたら、僕も嬉々として駆け寄っていたかもしれない。
けれど、そこに居たのは仁王像のように立ち塞がる、如何にも恐ろし気な影が一つ。
僕の足が自然と職員室の方へとスルーしてしまったのは当然の成り行きだった。
職員室のドアをノックし、ガラリと開ける。
「しつれいしまーす」
言いながら中に入ると、
「おう、どうした下拂」
すぐ目の前に、担任の井口先生がマグカップ片手に立っていた。
「今朝の遅刻の言い訳でもしに来たのか?」
やはりすでに諦めているのか、失笑に近い笑みを浮かべている。
「はい、そうです。あと、しばらく避難させてもらっていいですか?」
「――は? 避難?」
井口先生は、首を傾げてそう口にした。
「ほう、楸がね」
と先生はマグカップのコーヒーをひと口含むと、
「いったい、何があったんだ? お前、楸に恨まれるような何をしたんだ?」
「いや、僕は特に何もしてないっす。ただ、お昼に楸さんが――」
と言いかけて、僕はふと口をつぐんだ。
待て待て。あれを先生に話して、果たして信じてもらえるのか?
楸さんが右手を挙げた瞬間、突風で女子三人の身体が持ち上がって地面に叩きつけられた、なんて言って、いったい誰が信じるというのか。
じゃぁ、なんて説明すればいい?
校舎裏で楸さんが殴り合いの大喧嘩をやらかした?
いやいや、そんな解り易い嘘をついてどうなる。
例えば本当にそんな殴り合いの喧嘩があったとして、殴られた側の女子たちが黙っているとは思えないし、怪我でもしていればそちらの方で多少なりとも騒ぎになっているはずだ。そしてそれは教師の間でも情報が行き来しているはずだから、この嘘は通用しない。
ならば何か他に適当な嘘を――と思ったけれど、僕の頭の回転力ではどんなにテキトーな嘘すら思いつかなくて。
「……まさか、何か言えないようなことでもしでかしてたのか?」
井口先生から訝しむような眼を向けられて、僕は慌てて両手を振りながら、
「あ、いや、その――」
そんな僕に、井口先生は大きなため息を吐き、
「――まぁ、いい。俺は今からちょっと部活動に顔出してくるけど、お前はここで遅刻の反省文でも書いて、適当に時間潰してな。好きな時に帰っていいから」
「あ、はい……、ありがとうございます」
先生はうんと一つ頷くと、さっさと職員室から出ていった。
それから一時間ほど反省文を書いて時間を潰し、さすがにそろそろ楸さんも諦めただろうと思って反省文を先生の机に置くと、僕は職員室をあとにした。
ドアからそっと廊下に顔を覗かせ、左右の様子を窺う。
――よし、大丈夫。
抜き足、差し足。
なるべく足音を立てないように、それでも一応の警戒をしながら脱靴場へ向かうと、そこにはもう楸さんの姿はどこにもなかった。
ただ寂しげな空間がひっそりと佇んでいるだけだ。
よかった。やっぱりもう帰ったんだな。
そう思いながら、僕は自分の下駄箱まで行くと靴を取り出して――
ガシリッ
僕の肩を掴むその感触に、思わず「ひっ」と息を飲みこむ。
恐る恐る視線を背後に向けると、
「……ずいぶん遅かったですね。待ちわびました」
そう言って、彼女はにっこりと、微笑んだ。