テラーノベル
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純一は、脳が極限まで疲弊すると、感情のブレーキが効かなくなる。
心理士としての知識としては、百も承知だ。
障害のせいで、人一倍脳がエネルギーを消費し
疲れやすい彼が、あの冷徹な社会の荒波の中でどれほど爪を立ててきたか。
「普通の大人のフリ」をしようと、どれほど必死に踏ん張ってきたか。
それを思うだけで、俺の胸の奥が焼き切れるように愛おしくて──
同時に、どす黒い感情が理性を侵食していく。
もういい。そんなに泣くほど頑張らなくていい。
会社なんて、明日すぐに辞めてしまえばいい。
俺の稼ぎだけで、キミを一生養って、この部屋から一歩も出さずに守ってあげるから──。
心理士として、いや、人間として絶対に抱いてはならない身勝手でドロドロとした独占欲が
俺の理性をじわじわと侵食していった。
彼を可哀想だと思う気持ちと
このまま俺の手の中で無力なままでいてほしいと願う邪念が混ざり合う。
「……純一、今日もいっぱい、本当にいっぱい頑張ったんだよね?知ってるよ。いいんだよ、そんなに自分を責めなくて」
「りひとさん…じゅんくん、だめだよね。大人なのに、こんなんで……みんなができること、できなくて……」
「だめなんかじゃない。純一はちゃんと頑張ってるでしょ? ただ、脳がまだ少し疲れやすいだけで、純一の心が怠けてるわけじゃないんだから」
「…ほ、本当に……?じゅんくん、理仁さんの、迷惑じゃ…ない……?」
上目遣いに見上げてくる純一の目は真っ赤に腫れ、息もまだ完全に整ってはいない。
俺は愛おしさに堪えきれず、彼の火照った頰に指を這わせ、幾度も流れる涙の跡をそっと拭った。
「うん、本当だよ。復帰したばかりで、毎日生きているだけで満点なんだから。少しずつ、一歩ずつでいいんだよ」
「…っ、ぅん……」
それでも純一は不安なのだろう。
俺のシャツを頑なに離そうとしない。
そのまましばらくの間、俺の胸にトクトクと響く心音を確かめるように耳を押し当てていたが
やがて、掠れた小さな声でぽつりと言った。
「……明日、休みだよね?」
「うん、休みだよ。どこか行く?純一が前に行きたがってた、あの新作のケーキ屋さんとか」
「えっ……ほんとに?い、行きたい……かも」
さっきまでの絶望が嘘のように、一瞬でその瞳に眩いほどの輝きが戻る。
しかし、すぐに自分の現金さが恥ずかしくなったのか
照れたように俺の胸へと勢いよく顔を埋めてきた。
「…りひとさん……っ、その、励ましてくれてありがとう…りひとさん…だいすき」
こもった声で囁かれたその言葉は俺の耳の奥を甘く貫いた。
「嬉しいな…俺も大好きだよ、純一」
抱きしめる腕に、自然と力がこもる。
このまま俺の腕の中だけで、その純粋な瞳を輝かせていてほしい。
臨床心理士としての理性の境界線が、純一の体温によって
今夜もまた少しずつ溶かされていくのを、俺は止めることができなかった。
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