放課後の教室。
毎日凝った髪型をしている梨乃《りの》に声をかける。
今日は編み込みのポニーテール。
美容師の兄にやってもらっているとか、ずるい。
「ねぇ、知ってる?」
「なに」
素っ気ない返事。
梨乃は何時もこうだ。
何故か男子にも女子にも、クールな綺麗系っていいよね! と人気なのが信じられない。
ずるい。
「旧校舎の噂」
梨乃の真似をして冷淡に返す。
「あー、恋愛系の奴」
呆れたような返事に苛ついた。
自分はイケメンの彼氏がいるからって、そこまで見下す物言いをするとか、おかしい。
「そそ……気にならない?」
本当は気になるんでしょ?
恋愛話好きだよね?
そんな気持ちで話しかけるも。
「別に」
またしても気のない返しだ。
本当いい加減にしてほしい。
梨乃ほど和奏《わかな》を苛つかせる女はいないとしみじみ思う。
つい頬を膨らませてしまった。
一部の男子には人気だが女子には陰口をたたかれる表情だ。
「まぁ、莉乃ちゃんは彼氏がいるからなぁ」
でも梨乃はこの表情に弱いらしい。
いやみったらしい口調で言っても。
「……行ってみたいの?」
和奏のオネダリを聞いてくれる。
この調子でいろいろとやってくれるから、表面上親友面を許しているのだ。
「うん!」
満面の笑みで返しておく。
和奏に好意を寄せる男子と同じ対応だ。
お手軽よね。
「はぁ……でもあれって、一人じゃないと駄目なんでしょ?」
わざとらしく大きな溜め息を吐く。
またスポーツ万能な彼氏と約束でもしているのだろうか。
ずるい。
「だからさぁ、途中までついてきてよぅ」
重ねてオネダリをする。
頭脳明晰な彼との時間を目一杯邪魔してやるのだ。
「仕方ないなぁ……」
ほらね?
単純。
簡単。
この調子で彼氏を譲ってくれればいいのにね!
仁宇《にくま》高校には昔からいくつかの噂がある。
学校の七不思議に似ているかもしれない。
そのうちの一つが、通称 旧校舎のアネモネ。
恋愛に悩んでいると、箱が現れて、その中に入っているアネモネの種類や本数を解読すれば悩みが解決できるのだとか。
なにそれ! と思ったけれど、試した人の話をいくつか聞いた。
その中で略奪愛でも解決方法が示されるというのに、興味を擽られたのだ。
自分が悪者にならず。
むしろ梨乃を悪者にして。
あの素敵な彼氏を私のものにできるのではないかと。
「……あー、この教室にもないし」
五個も教室を調べたのに箱は現れなかった。
やっぱりただの噂なのかしらと、椅子の一つを軽く蹴る。
梨乃が深い溜め息を吐いた。
苛つくから溜め息とか絶対に止めてほしい。
「ねぇねぇ! やっぱりこーゆーのって、立ち入り禁止区域にあるんじゃないのかなぁ?」
だから梨乃が嫌がりそうな提案をしてみる。
「……私は行かないよ」
案の定、嫌そうな返事。
しかし口にしてみると良い提案に思えてきた。
調べた噂のほとんどが北側で起こったって、話だったのだ。
「じゃあ、北に渡る階段で待っててくれればいいから! ね? ね?」
「……了解」
「梨乃ちゃん、大好き!」
大げさに背中から抱きついておく。
真逆の言葉を疑われないようにするには、こうやって態度で示すのが一番。
時々、梨乃の首筋に爪痕を残すためだけに爪の手入れをしているなんて、誰も知らない。
北に向かう階段の一番上の段に梨乃が腰を下ろす。
早速携帯電話を取りだしていた。
メッセージを確認している。
あまり笑わない梨乃の口元がわずかに緩んだ。
彼氏のメッセージを確認したのだろう。
ずるい!
和奏は咄嗟にその背中を思いっきり押した。
みっともなくごろごろと梨乃の体が下へと転がって行く。
下着も丸見えで無様だ。
ざまぁみろ!
口にしたかもしれないと思うも、死んでいるなら聞こえていてもいいかー、と思い直して階下を覗き込む。
梨乃の体は大きな箱の上に投げ出されていた。
箱。
箱。
アネモネの入った箱?
「ずるい!」
大きな声で叫んでいた。
求めているはずの和奏ではなく、何もかも運良く恵まれている梨乃の前に現れるなんて。
おかしい。
箱を奪うために階段を駆け下りる。
体を起こした梨乃のポニーテールを力任せに掴んだ、はずだった。
「あ、れ?」
手が空を掴む。
足を踏み外したのかもしれない。
和奏の体は階段から転げ落ちていた。
「……い、つぅ……」
後頭部が痛い。
そろそろと軋む腕を動かして、後頭部に掌をあてる。
「ひっ!」
べっとりと真紅の液体が掌を滑っていく。
「りのぉ! たすけてぇ!」
梨乃の近くに転がったはずだ。
彼女は無事だったのだから、和奏を助けなければいけない。
そう、思ったのに。
「え、え?」
梨乃の姿はなかった。
大きな箱もなかった。
「……ここって?」
酷いめまいをこらえながら半身を起こす。
自分がいる場所は、先ほど梨乃がいた場所ではなかった。
「北の中央階段?」
一番箱の発見率が高かった教室へは、その階段から行けるのだという噂の詳細を思い出した。
「箱……そうよ、箱を探さないと……あぁ、頭っ痛いなぁ……」
ポケットに入っていたハンカチで後頭部を押さえながらのろのろと歩く。
目的の教室は数えて三つめ。
あと、少し。
ハンカチが濡れていく感触に怯えながらも歩みを進め、教室のドアに手をかけたそのとき。
携帯の着信を告げる無機質な音が響く。
「え?」
着信音は厳選した可愛らしい音にしたはずなのに。
……おかしい。
首から提げている携帯を手に取った。
彼氏が迎えに来るから先に帰るね。
そんな梨乃からのメッセージが届いていた。
「はぁ? 待ってろって言ったじゃない、ふざけっ!」
血で滑る指先で、怪我をしたから待っていて! と打ち込もうとしたのだが。
目の前で勝手にスタンプが送信された。
死に神が手招きをしているスタンプだ。
こんな気持ち悪いスタンプなんて、そもそも持っていない。
おかしい。
おかしい。
おかしい!
握り締めた携帯の画面では、相変わらず死に神が手招きをしている。
「……頭を打った幻覚ね。とにかく梨乃を引き留めないと」
再度メッセージを送信しようとすれば、教室のドアの向こうで、小さくことんと音が聞こえた。
そう、まるで今正に箱が置かれた音だ。
和奏は大急ぎでドアを開けた。
教室を見回せば、教卓の上にリングケースほどの箱が置かれていた。
「……小さすぎない? 花、入っているの?」
走り寄って箱に手をかける。
丁寧にラッピングされた包装紙をびりびりと破く。
綺麗なピンク色の包装紙が床に散らばった。
「はぁあああ?」
中に入っていた物を確認した和奏は怒りの声を上げる。
箱の中に入っていたのは、小さなファスナー付のポリ袋に入っていた種子。
それに張り付けられていた付箋には、ピンクアネモネの種、と書かれていた。
「どういう意味なのよぉ! 教えなさいよぉ、梨乃ぉおおおおお!」
梨乃からの返事は当然ない。
ただし、携帯にメッセージが届いた。
差出人は知らない人物。
登録していない人物は拒否設定をしているのに、届いていた。
花を受け取るのに相応しくない者に種子を。
その花言葉通りに、ここで、永遠に待ち望むがいい。
己の求める彼氏とやらを。
「は、はぁ? ふざっ! ふざけんなぁ!」
和奏の絶叫は人っ子一人いない教室によく響いて、消えた。
ピンクのアネモネの花言葉 待ち望む
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