テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
爆ぜる者に惑わされた夜、ソラマリアたちはリューデシアを見つけることが出来なかった。逃げ去った方角ですら全く分からない。初めは東、つまり救済機構の拠点であるロガットの街に戻ったのだろうと重点的に探索の魔術を放ったが、何も見つけられなかった。その後、西、南、北と範囲を広げるが何も手がかりは得られなかった。
「闇雲にお姉さまを探すくらいならば、試す者にかわる者の居場所を案内させませんか?」と提案したのはレモニカだ。
まだラーガの野営を離れる前、ガレインの冷たい秋のある夜のことだ。
「ですがラーガ殿下に多くの魔導書をうば……、所持されたままですが」とソラマリア。
「それこそ多くの魔導書を新たに所持しておかなければお兄様から奪還することも難しいのでは?」とレモニカに反論される。
かわる者派を回収すれば差が縮むというわけだ。
「それにラーガ殿下にとっては機構に渡らないことが重要で、魔導書の封印には反対しないと思うよ」とベルニージュが言い添える。「確実に全てが揃い、封印できる時なら渡してくれるんじゃないかな」
自ずと皆の視線はユカリへと向かう。油燈の明かりだけは温もりを感じる天幕の中、ユカリの視線は乳白色に照り輝く肌を晒したアギノアに向けられていた。
「とするとまたラーガ殿下から離れることになりますけど、アギノアさんはどうします?」とユカリが尋ねる。
「ヒューグ様のこと、その内分かるとお兄さまは仰っていましたが」とレモニカが言い足す。
「そうですね。少なくとも教えてくれそうにはなさそうな言いぶりでしたが、拒む風でもなかったですし、ラーガ殿下が許してくださるなら、この調査隊でその時を待ちたいですね」
そういう訳でライゼンの調査隊にアギノアを預け、ソラマリアたちと除く者率いる僅かに残されたユカリ派はかわる者派の拠点を目指し、ガレインにありふれた冷たい谷間を行く。
「しかしかわる者派拠点がどこにあるか知っている試す者がずっと戻って来ないのだ」とソラマリアは嘆息を漏らしながら呟いた。「当然かわる者派は警戒するだろう。最早奴らの拠点は蛻の殻か、あるいは迎え撃つべく準備万端か」
「と言っても残りの枚数から考えると十数枚、ワタシたちより少し多い程度じゃないかな」とベルニージュが励ますような声色で言った。
「十分に脅威だ」ユビスに跨る二人のグリュエーを見上げながらソラマリアは懸念する。
掘る者を奪われたのでレモニカはソラマリアに変身することができない。他者の嫌いな生き物の記憶を首飾りに封印する魔術を使うことで呪いを打ち消す手段を手に入れたが、そのためにはレモニカを嫌っている者の記憶が必要だ。
自身がレモニカを嫌っているという自覚すらなく、レモニカの騎士であるばかりか、今や義理の姉でもあるソラマリアはレモニカの記憶を失いたくなどない。
親子とも違う。夫婦とも違う。運命とも違う。偶然とも違う。そういう関係だ、というフシュネアルテの言葉を思い出す。
そして己を導いてくれたヴェガネラ王妃への思いが募る。義理の娘としてどうあって欲しかったのだろうか、と。
「誰かいる」とユカリが注意する。「真っすぐ先でこっちを見てる」
ソラマリアは殿から抜け出て道の先を注視する。確かに誰かがいた。ほとんど豆粒のようだが、ソラマリアにも何とか人の形が見える。
「矢を番えた!」とユカリが叫んだ次の瞬間、真っすぐにソラマリア目掛けて矢が飛来する。
長い距離をまるで空気など存在しないかのように減衰せず迫り来る矢を避け、その手で捕らえるのは容易かった。矢自体には不思議な力などないようで、ソラマリアの手の中で大人しくしている。
「本当に人間なんですか?」という除く者の呟きは聞こえたが聞き流す。
矢には手紙が巻き付けられていた。ソラマリア宛の矢文ということだ。手紙を開き、中身を読む。
「ご指名のようだ」とソラマリアは皆に聞こえるように言った。
「第五局?」とグリュエーが確認する。
「今回は一騎打ちする必要ないよ」とベルニージュが諫めるように言う。
「私の因縁だ。あいつらは死刑囚で私は処刑人らしいしな」
ソラマリアを討伐する任務自体が刑罰なのだという。
「嗾ける者がそんなようなことを言ってたね。信じてるの? そんな回りくどいこと」とベルニージュは突き放すように言った。
「まあ、実際のところは別の思惑もあるのかもしれないが、彼らの任務が刑罰であることも本当だと思う」
「そんなのに付き合う必要ないじゃないですか」とユカリがベルニージュに加勢する。「それに魔導書なんですから私たちに無関係なわけでもない」
「まあ、そうだな。ではこうしよう。取り逃がしそうになったら助けてくれ」
「ソラマリアなら大丈夫ですわ。わたくしを信じてくださいませ」とレモニカが助勢してくれたのはソラマリアには意外だった。
そしてそれはユカリとベルニージュが引き下がる理由として十分だった。
丁度会話が終わった時を見計らって再び矢文が届いた。
『射る者だ。よろしく』
更にもう一通届いた。
『知ってると思うが第五局の僧兵としてソラマリアを殺すことが任務だ』
更に。
『なあ、返事は寄越せないのか? 弓はないのか?』
『まあ、いい。準備は出来ているようだな』
『ちなみに一騎打ちで頼む。でなけりゃ逃げる』
『そして見えない所から全員を狙撃し続ける。それくらいじゃあ殺されてくれないだろうが、嫌だろう?』
ソラマリアは氷の投げ槍を掴み、駆け出す。さすがに膂力だけでは弓の飛距離には敵わないので、距離を縮め、助走をつけて返答代わりに放つ。
狙いは良かったが、しかし余裕をもって躱される。とはいえ弓矢の魔術に回避に関する魔術はないだろう。どこまで距離を縮められるかが鍵だ。
レモニカの声援が耳朶に触れた。
勇気に満ちたソラマリアの頭上にまるで黒雲の如き大量の矢が降り注ぐ。応じるように抜刀し、矢の群れを叩き落とす。矢雨が止むと、もう一度氷の槍を放つ。今度は少しばかり焦らせることができたようで、射る者は飛び退くように避けた。目は良いようだが身のこなしも足の速さも凡庸だ。
弓使いの暗殺者は矢を放ちながら駆けて、林の中へと身を隠した。矢は途切れることなく、かつ放たれる位置を次々に変えつつ、林の向こうから飛んでくる。ソラマリアは矢の現れる場所に次々と氷槍を放つが仕留めるには至らず、矢は林から放たれ続ける。角度も様々で地を這うように飛来したかと思えば、天高くから鋭い弧を描き、頭上に落ちてくる矢もあった。
その内ソラマリアは妙なことに気づく。先ほど見た足の速さ以上の速度で、矢が放たれる位置が移動している。射る者の矢はただ強力なだけではない。矢を飛ぶ鳥のように操る魔術を使っているに違いない。
木々の向こうのあらゆる場所から放たれているように見えるが、そこに射る者はいない可能性が高い。
ソラマリアは矢を叩き落とすことに専念する。体力を削ることが狙いならば、それは悪くない策だ。いかな超人ソラマリアとて不眠不休で戦い続ける訳にはいかない。
仮に只人の弓兵部隊がこの矢雨を放っているとすれば、林には溢れんばかりの人間が敷き詰められ、二段にも三段にも重なっていることになるだろう。そう考えると、ソラマリアは射る者の居場所が、ある一地点だと分かってきた。初めは罠かとも思ったが、他の可能性も思いつかない。後は如何に隙をついて、その一点に確実に槍を放つかだが。
気が付けば林から飛び出した後の矢が不自然な軌道を描き始めた。どうにも策があるというよりも使える魔術を全部試しているように思えた。それらを叩き斬ると更に多様な魔術がソラマリアを襲う。矢が分裂し、光や音や火や煙を放ち、外れた矢が尺取り虫のように地を這って帰って行く。
「ソラマリア!」と呼ぶレモニカの鋭い声に振り返り、背後に迫った矢をぎりぎりで躱す。が、僅かに腕を掠り、血が滲み出た。とうとうソラマリアが一矢を受け、それを有効だと考えたのか、同じ魔術で何もない空間から矢を放ってくる。しかし少なくとも目の前に前触れもなく矢が現れるということはない。空間から鏃が顔を出し、いくらか間を置いて放たれる。一瞬に近いがソラマリアにとっては十分な猶予だ。それに二本、三本を同時に放とうとすると引き絞る時間も増えるようで、叩き斬るだけでなく身を翻す選択肢も有効になる。
全方向から放たれ続ける矢を叩き落とし、躱しきるソラマリアに耳慣れない音が地面の下から聞こえる。が、これに中るほど馬鹿ではない。矢が土を掻き分けて飛び出した時、既にソラマリアは数十歩移動していた。その魔術を使うならもっと序盤に試すべきだったと射る者に指摘したくなる。
念のために鏃が現れた空間、見えない射出口に氷の槍を投げつけるが手応えはない。お返しとばかりに矢が増量し、全天を覆う半球状に魔術の矢に囲まれる。
それが勝負の決め手だった。ソラマリアを確実に屠ることのできる量の矢を放つのにかかる時間は、ソラマリアが対策を講ずるのに十分な時間だった。ソラマリアは一本の氷の槍を全身の発条がねじ切れんばかりに力を込めて放つ。途端に周囲を取り巻いていた番えられた矢が消え失せた。
ソラマリアは槍の放った方へ、林の中へと急ぐ。
「やったわね、ソラマリア!」とユビスに跨ったグリュエーの片方が言った。
「まだ警戒してください」
ソラマリアとグリュエーとグリュエーとユビスは林に分け入る。目星のつけていた場所に、肩を氷の槍に刺し貫かれ、木に磔になった男がいた。
「どうして分かったんだ!? 決して、決してオレの居場所からは矢を放たなかったのに!」と射る者が叫ぶ。
「だからだが」
「分かるように説明してくれ!」
説明するのは面倒なので射る者の封印を剥がす。憑代となっていた第五局の焚書官は既に死んでいた。
「さすがソラマリアだね」とグリュエーの片方が言った。
「自分のことのように誇らしいわ」とグリュエーの片方が少し照れ臭そうに言った。