今日は山奥の神社で祭りがあるんだ。祭りは三日三晩行われてて、面白い。「通祭り」と呼ばれるそれは、村の人たちが非日常を味わうために一斉に集まってくる。出店が華やかな装飾とともに軒を連ぬる。ありふれた夏の神社の祭り。だけど、母は日々の生活から脱したハレの日だから、思いっきり楽しみなさいと給う。皆も僕も心待ちにしている祭事。
村には娯楽も少ない故、一年に一度しかない祭りに、皆が何かを求めてやってくる。それは伝統文化かもしれないし、他所の懐の銭かもしれないし、男女の仲かもしれないし。鳥居を一つ、入ってみると雑踏がひっきりなし。どこからともなく叫ぶ声もしてびっくりする。きっとアタリを引いたのやも。人気のあるベーゴマの一つでも当たったのかなと思うてみる。いやはや羨ましい。灯篭が連なっていてここが唯一の明かりとなっているみたいだ。人の名前と思しき字が黒き墨によって塗られている。それを一つ一つ吟味しているだけでも日が暮れそうだ。いやいや、日はもう暮れていた。正しくは日が明けそう。…でも、不思議と暗くはなくて夜の神社には不気味で立ち入らぬようにしていたが、今日はその限りではなかった。出店も見た事のない食べ物でいっぱいだ。僕は母にもらった十銭ほど入った巾着を握りしめて無くさぬように、その雑踏の中に紛れ込んで行った。
しばらく雑踏に紛れていると、祭りの賑わいにそぐわぬ女の泣き声が聞こえてくる。他の人達には聞こえぬのか、聞こえぬふりをしているのか、気にも留めない。声を頼りに歩いてみると、社の後ろに僕と同じかそれより上かどうかくらいの、派手な晴れ着に身を包んだ女子を見つけた。その社は出店の連なりとは外れたところにあって、暗い。周囲の熱に浮かれた僕は勇気か無謀か分からぬけれど、その女子に話かけることにした。
「探せど探せど、母が居ないの!どこへ行っちゃったのかしら…」
不思議だ。子供特有のよく通る声は喧騒がありきでもよく目立つのに、いかに大人たちは聞こえぬふりを?だけど、事情がよくわかった。この子はきっと迷子なんだ。よし、僕が共に探してやろう。
狐の面を斜めに被った女は愛らしい顔をしていた。浴衣の下駄が千切た辺りで母の捜索を断念し、斯様に泣く他に術が無かったと見た。それは心細かろう。さ、僕の背に預けなさい。巾着袋は懐に仕舞い、背中を見せる。
狐の女子はおずおずと僕の双肩を持って、体重を預けてきた。年柄、背の丈が僕よりふた周り大きい。僕は跳ねて、膝裏を持ち直す。いざ行かん。
喧騒に戻って、狐の女子の母を探す。本当ならば出店の中で遊びたかったという気持ちをぐっと堪え、歩み続けるうち僕の脚が徐々に鈍くなってきた。母と思しき女性は沢山居れど、彼女が声を上げることは叶わぬ。此人でもない、彼人でもない、其人でもない様だ。
ついに見つからず、僕たちは休憩することにした。一瓶一銭のラムネを二つ開ける。狐の女子は開けるのに苦戦していた故に僕が代わりにぱんっと開けてやった。うまそうな顔でよく飲む。腹が減っていたのか、喉が渇いていたのか。機嫌がよくなり、千切た下駄の紐を指に掛けながらも、自分の足で歩むことにした様だ。その姿を見、 僕は間一髪で男の義理を果たしたような気がして誇らしかった。僕の脚はほぼ限界に等かったからだ。狐の女子は祭りの面妖な雰囲気を楽しむ余裕も出てきた様で、僕にかの出店で共に遊ばないかと幾度か誘ってきた。とても魅力的だったけれど、目下彼女の真の目的を果たすべきだと説得した。
祭りの熱が頂を過ぎた頃、一人の女が僕らの元に駆け寄ってきた。正しくは狐の女子に駆け寄った。お揃いの晴れ着である故に、きっと彼女の母だろうと僕は安堵した。僕は母に事の顛末を説明して、次いで祭りを案内してもらえるようになった。
「うちの子を連れ戻してくれてありがとう!」
3人で巡った祭りは、案内役が居るおかげか、初めのうちとは空気が全く異なる。そのせいか、ずっと僕の頭で何かが違うと訴えかける。いや、それは道に見る人々の数が違うせいでも無く、案内役が居るせいでも無い。人々の纏う雰囲気が可笑しい。祭りの雰囲気は変わらぬはずなのにだ。まるで違う世に生まれ変わったかの様。雑踏の動きは逆転していて、右側には往く人、左側には来る人。灯篭の墨の名前は全て左右で逆転していた。此違和感は違和感では済まされぬ。間違いなく通祭りは何かが変わった。一体何がきっかけとなったかも露にも分からぬ。
女子の母は上機嫌に祭りの案内をしてくれる故はぐれぬよう足を止めるわけにもいかず、狐の女子は僕の手を握って離さなかった。頭は僕に訴えかけたままだけど、言われるがままに遊び、食い、休み、一日目祭りは遂に終わりを迎えた。
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